一昨日の続きです・・・・。
ずっと後になって、世はレーザーディスクの時代に・・・。
そしてついに、このドキュメントの後半を占めている「第9」の全曲演奏がレーザーディスクで発売された時は飛び上がらんばかりに喜んだ。
その5枚セットには例の「ヴェルディ/レクィエム」が含まれていたが、この「ウィーンのバーンスタイン」の「第9」が全曲収められているのも魅力だった。
「第9」をずっと通して視聴していて、最後の最後で驚いたのなんの。
記憶の中にある映像と全然違うのである。
前に書いたように、この映像は(特に「第9」の終結部は)1972年に4回観ており、いくら録画もなかった昔々のころとは言え、その違いははっきりと分かった。
記憶の中の映像では、熱狂的な身振りで最後の音を振り終えるたバーンスタインは、しばらくはそのまま頭を垂れて肩で息をしている。聴衆の拍手が沸き起こると、少し遅れて彼は顔を上げ、オケ、ソリストの方に微笑みかける・・・と言うようなものだった。
ところが、このレーザーディスクの全曲盤では、振り終えた後、聴衆の拍手は起こらず、静寂の中、放心したかのようなバーンスタインは会釈もせずに指揮台を下りて袖に向かって歩き出す。いつもの笑顔は全く無い。彼が歩き出すと同時くらいに拍手は起こるが、なんとなくチグハグな印象だった。
カーテンコールで4人のソリストが出できて聴衆の前に立ってもレニーは出てこず、歌手達の様子もなんだか変(に見える)・・・という感じだった。
あとで、掲示板だったかチャットだったかで謙一さんに教えていただいたのだが、この全曲版映像の方が当日の演奏であり、先のドキュメントでは最後の部分だけが別日の演奏と差し替えられているとのことだった。
後日、「ウィーンのバーンスタイン」もレーザーディスクで発売され、問題の部分を 観ると、確かにプレスティシモに突入する前の最後の「ゲッテル フンケン」で映像・音声ともに繋いだような編集痕が認められた。
テレビで観た時は全然気付かず、一流れの演奏だと思い込んでいたから、これには驚いた。
映像でも録音でも、かなり以前から、このような継ぎ接ぎ編集は為されていたから別に特別なことではないのだが、このように「ひとつの演奏」とされるものが部分的にせよ「別バージョン」で存在するとなると、一方を観て強烈な印象を受けた私のようなものは困惑してしまう例、というお話。
確かに、あの奇妙な終結では、ドキュメントのクライマックスを飾るにはあまりにテンションを下げてしまう映像だ。
あのようなことになった理由は、いろいろと書かれているし、私も自分なりに思うことはあるけども、いずれも推測の域である。
「第9」以外では、フィデリオのリハーサルが、曲の紹介と同時に、緊張をはらんだリハーサルの実態を垣間見せて面白い。
いろいろなトラブルが映し出され、例えば、序曲の終わりごろを振っているバーンスタインの明らかに不機嫌な表情や「もう、勝手にやってくれ」とでも言っているようなジェスチャーを見ていると、ウィーン・フィル相手に長年苦労したという話も思い出される。
ピアノ協奏曲第1番も「ちゃんとした」全曲映像が出ているが、ここでは演奏場面もあるものの、ややBGM的扱いであった。
今回は、なんとなく「重箱の○を・・・」的なチマチマした話になってしまったが、繰り返しになるけど、この番組は、当時、中学3年だった私にはまさしく神番組だったのであり、人物を多様な角度から見てキレイゴトで済まさない彼の捉え方は、今見ても共感を覚える。
ずっと後になって、世はレーザーディスクの時代に・・・。
そしてついに、このドキュメントの後半を占めている「第9」の全曲演奏がレーザーディスクで発売された時は飛び上がらんばかりに喜んだ。
その5枚セットには例の「ヴェルディ/レクィエム」が含まれていたが、この「ウィーンのバーンスタイン」の「第9」が全曲収められているのも魅力だった。
「第9」をずっと通して視聴していて、最後の最後で驚いたのなんの。
記憶の中にある映像と全然違うのである。
前に書いたように、この映像は(特に「第9」の終結部は)1972年に4回観ており、いくら録画もなかった昔々のころとは言え、その違いははっきりと分かった。
記憶の中の映像では、熱狂的な身振りで最後の音を振り終えるたバーンスタインは、しばらくはそのまま頭を垂れて肩で息をしている。聴衆の拍手が沸き起こると、少し遅れて彼は顔を上げ、オケ、ソリストの方に微笑みかける・・・と言うようなものだった。
ところが、このレーザーディスクの全曲盤では、振り終えた後、聴衆の拍手は起こらず、静寂の中、放心したかのようなバーンスタインは会釈もせずに指揮台を下りて袖に向かって歩き出す。いつもの笑顔は全く無い。彼が歩き出すと同時くらいに拍手は起こるが、なんとなくチグハグな印象だった。
カーテンコールで4人のソリストが出できて聴衆の前に立ってもレニーは出てこず、歌手達の様子もなんだか変(に見える)・・・という感じだった。
あとで、掲示板だったかチャットだったかで謙一さんに教えていただいたのだが、この全曲版映像の方が当日の演奏であり、先のドキュメントでは最後の部分だけが別日の演奏と差し替えられているとのことだった。
後日、「ウィーンのバーンスタイン」もレーザーディスクで発売され、問題の部分を 観ると、確かにプレスティシモに突入する前の最後の「ゲッテル フンケン」で映像・音声ともに繋いだような編集痕が認められた。
テレビで観た時は全然気付かず、一流れの演奏だと思い込んでいたから、これには驚いた。
映像でも録音でも、かなり以前から、このような継ぎ接ぎ編集は為されていたから別に特別なことではないのだが、このように「ひとつの演奏」とされるものが部分的にせよ「別バージョン」で存在するとなると、一方を観て強烈な印象を受けた私のようなものは困惑してしまう例、というお話。
確かに、あの奇妙な終結では、ドキュメントのクライマックスを飾るにはあまりにテンションを下げてしまう映像だ。
あのようなことになった理由は、いろいろと書かれているし、私も自分なりに思うことはあるけども、いずれも推測の域である。
「第9」以外では、フィデリオのリハーサルが、曲の紹介と同時に、緊張をはらんだリハーサルの実態を垣間見せて面白い。
いろいろなトラブルが映し出され、例えば、序曲の終わりごろを振っているバーンスタインの明らかに不機嫌な表情や「もう、勝手にやってくれ」とでも言っているようなジェスチャーを見ていると、ウィーン・フィル相手に長年苦労したという話も思い出される。
ピアノ協奏曲第1番も「ちゃんとした」全曲映像が出ているが、ここでは演奏場面もあるものの、ややBGM的扱いであった。
今回は、なんとなく「重箱の○を・・・」的なチマチマした話になってしまったが、繰り返しになるけど、この番組は、当時、中学3年だった私にはまさしく神番組だったのであり、人物を多様な角度から見てキレイゴトで済まさない彼の捉え方は、今見ても共感を覚える。
今年も、8月25日という特別な日が近づき、
LBの音楽を集中的にお聴きになっている
のをうらやましく思います。
山本美香さん、アフガン戦争のときに連日
現地からレポートしていました。
結局、彼女は、ホームグラウンドである紛争
現場へ戻っていったのでした。
銃弾が飛び交う地域ではなく、「領土ごっこ」
や勇ましい発言をお互いに繰り返している
人々は、まさに彼ら自身が他人を非難するとき
に使いたがる「平和ボケ」そのものなのです。
仰せの第九でレニーがカーテンコールに応じなかったというのはやはり不満だったということなんでしょうか?
「領土」問題での発言やテレビでの採り上げ方に、恣意的なものを感じてしまうのは考えすぎでしょうか?
たとえば、今日の野田首相の会見を報ずる韓国メディアの言葉を「首相が妄言・・・」とNHKは訳していましたが、本当にむテレビ局のアナウンサーが、そんな主観を強く加味した言葉を選ぶのでしょうか?韓国では?韓国語が分からないので、なんとも言えませんが・・・。
そんなことみたいな、小さないろいろで私たちにインプットさせられるものが不気味であり腹立たしくもあります。
カーテンコールに出なかったのではなく、なかなか出てこなかった、と見えたのです。歌手達が「早く、こっちへおいで」と招いているみたいに見えました。出てきたことは出てきたのです。
原因は、想像ですが、ひとつはオケとちぐはぐしていて、聴衆も沸かなかったのか、全く逆で、何か特別な理由で拍手などを自重するような演奏会だったのか、等なんとでも考えられます。
あのバーンスタインの振り方は、まだあの頃のウィーンでは、かなり拒否反応を引き起こしていたのだとも思えますし・・・・。