女性週刊誌の広告見出しに桐島洋子の記事に
「見栄を張り胸を張り・・・・」とあった。
見出し見ただけですが、次に続く文章は大凡見当がつきます。
私は「見え」を張っていないつもりですが、
よ~く考えてみるとちょっと怪しい。
意識すること、即ち「見え」かもしれない。
乗り物(主に地下鉄)でキョロキョロ見回して座りたそうな顔をしない。
座りたいのに瞬間空席がないとみるや、
乗降口のバーに掴まって外を眺める。
買い物の時レジで素早く支払いたいので工夫している。
最近ははプリペード式のカード利用で助かっています。
ナナコ、ユニコ、Tカード、マナカ等々
杖をついていますが、胸を張って大股で歩くようにしている。
まだまだあると思いますが、今は思いつかない。
「見え」とは
1:見えるさま (見栄と充てる)
2:他人を意識して自分をよくみせようとすること
体裁を作ること
3:見得(これは別の意味です。歌舞伎用語)
類似語に虚栄がある。
1 実質を伴わない外見だけの栄誉
2 うわべだけを飾って自分を実際よりよくみせようとすること
3 みえ (広辞苑から)
うーん、やっぱり見えと虚栄は似てる面もある?
「見え」を張ってないつもりですが、やはり張っています。
おばぁさんなのにおばぁさんくさく見られたくない。
人間ができていません。
無料パスをもらった頃、
同い年の友人は、70以上に見られたくないから、一番後ろから乗ると。
私は立っているのが辛いから、一番前に並び、乗っていました。
リハビリでご一緒だった方は、88歳でしたが、いつもきれいにお化粧していらっしゃいました。
少しでも多く、見栄を張っていたい、です。
少しくらいはいいのでは無いのかと人間らしく( ;∀;)
特に考えたことはありませんが、いつも自然だとか話しやすいとか言われていますが、
醜いところを隠しているのかもしれません(#^^#)
思うに私は主人に恥をかかせない生活態度を考えてはいますので見栄を張ることもありそうです。
何とでも言ってください、思ってください、なんて可愛くないですね。どう思われても自分は自分でしかありませんもの。
でも心のどこかで見えを張っているのかも?
無いとは言い切れません?
見栄っ張りではありませんが(と思っていますが)、他人の目を意識することは多々あって、ひいては体裁を繕うことになるのでしょうね。
見栄を張る、難しいですが、ぎりぎりのところで自分を支える力にもなるような?
Reiさんが意識なさってること、お姿は素敵だと思います。
切れませんね。
心張り棒みたいなもので、外れると
際限なく崩れていきそうで・・・
最低限度の見栄はあるかもしれません。
もういいや〜と思いつつ、まだ髪染めて
ます。
でも乗り物で、必ず座席を探しますね。
でも思うに、服装など、着るのも趣味の
一つだし、ほとんどは好きにやってる感じ
ですね。
今回思い返してみて少しは必要なものかなと思いました。
私の場合、白髪、杖と揃っていますので
乗り物ではいたわられることが多いです。
嬉しいような、そうでもないような・・・です。
ようになりました。
偽るのはよくありませんが
見えがなくなったら、ちょっと恐いです。
ご主人様がなにごとにも基準になっていて、
ふくちゃんらしいと思います。
自分らしく・・・私にはどうあれば自分らしいのか
よくわかりませんが、
いつまで見えを張っていられるでしょうか?
90歳まで見えを張ることにしましょう。
今回桐島さんの雑誌の広告みて
考えてみました。
褒めて頂いたのでしたら、嬉しいですが
この先私はどのようになっていくのでしょう?
見えを張る余裕がないとのコメントも頂きましたが、
私にはまだ余裕があるのかしらと思いました。