この夏、前にも書いたけど、オラは大きなラジカセかついで旅に出てた。といっても、山梨から大阪、大阪から山梨みたいにして、いろんなところを鉄道で旅していた。
どうしてそんなにラジカセが大事だったのかというと、それがオラの宝物だったんだ。だから、その宝物とどこまでも旅しようなんて、思ってたらしい。音楽こそが生きがいみたいに思ってたんだろう。
でも、どんな音楽を聞いてたのか、はなはだ危なっかしくて、ニューミュージックとか、ユーミンとか、そんなじゃなかったかな。確か、サーカスの
♫さあ、いまコバルトの風、フィーリング・イン・ナメリカー
みたいな、コーラスでわくわくしていた気がする。ハイファイセットも好きだった気がする。♪中央フリーフェイ、ひだりは競馬場とか、どれも意味のないことばなどに浮かされて、何だかやたら聞いてた気がする。
勉強したり、バイトしたり、本読んだり、家の手伝いしたり、友だちに会ったり、もっと、もっと有意義な時間の使い方はあったと思うけれど、そんなことはしなかった。
無意味に時間を音楽で流し込んでたんだろう。音楽だって、真剣に聞けば、疲れたりするくらいの、それなりの密度はあっただろうけど、聞くのもチャランポランで、身につくものはなかった。
それで、豊橋から延々と飯田線に乗り、ずっと眠りこけ、秘境駅にも降り立たず、写真も撮らず、ただ乗ってるだけの電車で、終点の辰野まで来たんだね。
なんか、手帳に書いてあるぞ。
今、ふたたび辰野に戻って来た。ここでだいぶ時間をすごす計画は、やはり無謀といえただろう(ずっと駅でボンヤリすることにしたんです)。
何だか(前に来た時と)ちがっているようで、やはり、辰野はまさしく、そうである。確かめるというんじゃないんだけど、ホームに出たら、とても寒いって感じで、シュッと(駅舎の)中へもどってきたのさ。
9月2日の長野県の、夜の辰野駅は寒かったらしい。ああ、そんな寒いところ、あったらいいな。今は温暖化していて、9月はずっと夏に属することになってしまった。変わってしまったんだね。
わりと時刻は遅いのに(22時あたり)、乗る人がたくさんいるのには驚いてしまう。女高生二人がやって来た。ガラガラの車内だから、どこか他のところへ座ってしまった。
単線で、普通列車だから、特急の待ち合わせをしていて、車内で待機していたようです。ヒマだから、つまらないメモをしてたんですね。
そんな時間があったんだね。何だか、ふたたび、そんな電車に乗れたらいいのに、もうそういうのはないのかな。それが時間の経過というものなのかな。