小学校の頃だったか、大阪は「東洋のマンチェスター」と呼ばれて発展しています。なんていうのを習ったと思います。マンチェスターがどこにあるのかも知らないし、サッカーのチームが二つもあるのも知らないし、どこの国かもわかってなかったのです。ただ西洋にそんな町があるなんていうのを丸暗記させられていた。残念ながらテストには出なかったと思うけど、ちゃんと憶えてなかったなあ。
うちの実家の近くには、日本最初だったか、紡績工場の最初の土地、というのもあった気がするんだけど、記念碑も作られているはずですが、ちゃんと見たことはありません。公園の中かどこかに埋もれています、たぶん。
大阪は「世界のOsaka」にずっとなりたかったようで、アジアの中のオオサカにはなって、観光の拠点として利用されているし、アジアの人々はたくさん訪れているようです。食べ物のおいしさ安さ、人々の何とも言えない活気、小さくコンパクト、お城・お寺・古い町・目立つ看板、周辺の観光地にいくためのアクセス方法の多様性、USJみたいな遊戯施設、たくさんの私鉄、町の中に入り込んでいる外国人の多さなど、利用するということにおいてフル活用されています。
私の実家は、大阪市内でも人口減少の進んでいる、優遇されていない地域にありますけど、たくさんの外国の人たちが入り込んでいて、町を何とかキープしてくれている。外国の人たちがいなくなれば、うちの実家は限界市域となることでしょう。
フランスの人が作った曲で「マンチェスターとリバプール」という曲が生まれ、それが海を渡ってスコットランドのグループのピンキーとフェラスという人たちが歌い、日本でもザ・ピーナッツや大木康子という人たちが歌ったそうです。たぶん、日本語の歌を聞かせてもらったことがあります。
大木康子さんは、岩谷時子さんという方の訳詞です。youtubeで確認したところ、私が聞いた歌ではなくて、歌詞も違っていました。ザ・ピーナッツさんたちは英語で歌っていました。
私は、いったい誰の歌を聴いたのかわかりませんけど、たぶん聞いたのです。私が頭の中で勝手に作ったものではありませんでした。
英語版では、
May not seem cities for romantic fools
Bustling feet and dusty streets
なんて歌っていて、ロマンチックな町じゃない。ちょっとゴミゴミしている町だという風に歌われています。
でも、好きなんだよとか、愛着が語られるんだと思います。フランスの方はどうしてイギリスの二つの町を選んだのか、何か思い出があったのか、町をテーマに歌ったようですね。
サビの部分は、その町への愛を語ることになるのだと思われます。私は、小さい頃、それをこんな風に聞き、記憶していました。記憶そのものが間違ってインプットされたのかもしれません。
♬これが、これがなつかしきふるさと
たとえ、たとえ、とおく離れても
私のインプット版は、こんなサビでしたが、ネットでは見つけられなかった。まあ、ただの記憶間違いかもしれないし、今さらマンチェスターも、リバプールもないのです。サッカーだって見たことないのだから、二つの町がどれくらい離れていて、どれくらい対抗意識があるのか、どんな歴史があるのか、何もわかりません。ただ、二つの町を歌う歌を記憶し、それが私の大阪意識を作る一つの材料にはなっていました。
でも、そんな風にして歌われた町は、もう私の心の中にあるだけで、大阪は勝手に近代化とビル化を進め、そこに暮らす人々は、昔よりも何だかビンボくさい暮らしをしているようで、少し不安です。大金持ちはいるでしょう。でも、普通の人たちは、自分の暮らしを築くのに必死で、あまりまわりを見られてないんじゃないの? なんて思うのは、大阪を離れた私のひがみかな。そうかもしれない。
でも、ノックさんが知事をしていた大阪に戻ってもらいたいのです。ノックさんがいなくなってから、大阪の転落が始まった気がしています。これも私の誤認かもしれないけど。