高校野球は三回戦の激突が盛り上がっています。野球だけではなく、マンガ甲子園、短歌甲子園、俳句甲子園など、いろんな高校生のイベントが今、行われています(このどうしようもなく暑い時に、どうして高校生は対決しなくてはいけないんだろう。大人の暇つぶしのためなんだろうか?)。
ものすごく青春真っ盛りなんですけど、そんな時ふと、「ああ、もう夏も終わるのだ。そうすると、みんな次のステップに向かっていくし、このものすごい暑さも、もうすぐ終わるのだ。」という終末感が漂います。
みんなが熱心であればあるほど、私は、もうそんな若さもないし、この若者たちも、今が真っ盛りで、あとはもう違うステージのことで頭がいっぱいなんだろう、という気がしてきます。ものすごく淋しい感じがして、どんなに盛り上がっていても、どこかで楽しめない私がいます。
昔からひねくれ者でしたから、シンプルに頑張っている姿に感動もするのだけれど、「そんなの仮の姿さ」とうそぶいたりしてしまう。
素直に楽しめばいいのに、楽しめない私です。
全く見ていないけど、星稜高校と智弁和歌山の試合は、いい試合だったそうですよ。きっと賞賛の嵐になるんでしょう。それはいいんですけど、マスコミの変な持ち上げ方、気に入らないなあ。
まあいいや、私には関係のないことです。
ぜひ、東北地方のチームに優勝旗を持って行ってもらいたいです。それだけが楽しみです。中身はどうでもいいかな。
今日も、明日も仕事でした。明日もしんどいと思います。台風が来てくれた日が懐かしい。もうただの暑い毎日になりました。
1982年の夏、離れてしまった彼女を取り戻すために、大阪から青森経由で岩手まで行ったことがありました。
あの時、彼女とツーショットを撮るために、ポンコツの三脚を立て、何枚も撮りました。
どうしてそんなに二人が並んだ写真を撮る必要があったのか、全くわからないけれど、仕事もしていなかった私は、やみくもに彼女と一緒にいたかったということなのかな。
このやみくもさが、やがての結婚につながったのかもしれないです。
というわけで、平泉をその時初めて、暑い中を二人で汗かきながら歩きました。
たぶん、暑かったと思います。でも、そんなに暑さは感じなかった。
毛越寺の門前でもツーショットを撮りました。
その時を思い出そうと、門前に誰もいない時をねらっていました。でも、後ろ姿がかわいらしい女の人たちがいたから、自分たちの代わりに、この人たちが今歩いているのだと、勝手に撮りました。
私たちの青春は、古い写真と変てこな絵の中にあります。この人たちの夏は、今真っ盛りだったのかなあ。
1982年でも歩いた、無量光院あと、藤原秀衡さんが作ったお寺でした。かなり復元されて、池と跡地だけが残されています。
真夏の、光り輝く時ですし、クルマはエアコンはかけまくってましたけど、まっ盛りの時はもうここにはありません。ただ、光の跡だけが、それも池だけが残されていて、サギが池の中の生き物を探していました。
サギには、ただの池にしか見えなかったでしょう。それでいいのですけど、人間は、そこに勝手に、歴史やら、光と影やら、人の栄枯盛衰を見てしまうようです。余計な気苦労というべきか、人間だけの楽しい空想というべきか。
表紙は、山形県の瀬見温泉の川沿いのネムの木でした。川に沿ってたくさん植えられていました。何だか懐かしい。