やはり、メモしないではいられない文章が載っていました。
大事な所だけをコソッと打ち込んでおこうと思います。
先ずは、「母性」についてです。
先日、ある所でこんなことを聞かれた。
「父性の喪失ということが言われていますが、母性というのはまだ健在なのでしょうか」
「さあ」
と私は首をかしげた。母性というのがどういうものか、よくわからない。自分が親になってみると、神聖なものと言われることの多い〈母性愛〉というものを疑いたくなるような、自分の行動や心理も少なくないのだ。
あがたさんって、すごく正直な書き手だったのだと改めて思います。とてもストレートに思ってることを語ってくれているじゃないですか。
それにしても、「母性」とは何? そんなのあるの? あなたは持ってるんじゃないの? 男としては、そういうものを信じてるんですけど、と言わんばかりの質問。いやですね。こんな質問にもあがたさんは素直に答えている。
「さあ」というのはすごく素直な対応です。でも、この男の人は、なんだあの作家は、せっかく質問してあげたのに、ちゃんと答えようとしていない。なんということだ! とかなんとか。そんなふうにどこかで文句を言ったでしょうか。そもそも、質問が失礼だろう。その質問をする前に、自分の思い当たる父性とか、自分の親たちのことを語るべきだろう。
娘の時から子供を可愛がる女性はよくいるが、私は娘のころ、子供が好きではなかった。電車に乗り込んできた妊婦を見て、席を譲ってあげねばと思うのに、意地を張って脂汗にじませながら居座っていた覚えもある。
それが今では、よその子でも可愛いと思う。どこで何が変わったのか、よくわからない。
子を持った女の誰もがいうように、わたしも初めて乳をふくませたとき、自分が母親である喜びを実感した。だが同時に、寒くて眠い夜、三時間おきに授乳をするのがつらく、子供がいなければ楽なのにという、人にあまり言わない実感もあった。ただ子供を持ってしまい、眼の前にいるので、子供を守ったり育てたりしてきただけ、という気がする。
世の中の人は、あまりにありふれた答えを求めているんですよ。
あなた、離婚した女性作家でしょ。シングルマザーとして子育てする苦労あるでしょ。だから、母親一人で子育てする苦労を聞かせてよ。それを連載してよ。だなんて!
確かに、それをきっかけにあがたさんは連載を勝ち取ったのだけれど、でも、ありきたりの苦労ではなくて、ただそこに子どもたちがいて、二人の男の子それぞれが違うから、それぞれに合わせて対応し、二人からあれこれと学んでもいる。それを正直に、でも、少しだけあがたさんのテイストで、語っていくだけです。
この項の最後に、こんなことを書いておられます。
子供は自分の思いどおりにならない、やっかいな存在だが、思いがけないところから喜びを与えてくれる。その繰り返しだ。それが子供とつきあい続けていく回復力になっている。男の人より女の人の方が、まだその機会が多いから、子供とつきあっていく気持ちを〈喪失〉しないでいられるのではないかしら。
そうですよね。喪失うんぬんするまえに、自らがどれだけ子どもと向き合えているかの問題です。
私だって、どれだけ向き合えているんだよ。向き合えてないだろう。
そうだ。そう、向き合おう。もともと私は「父性」「母性」へのこだわりはなくて、ただボンヤリしてただけだよ。
ボンヤリしないで、向き合わなくては! 今から、向き合うの? 誰に?
まあ、ボチボチやります。