甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

左腕の誇り テデイ・ヒゲーラさん

2020年05月28日 18時57分14秒 | スポーツいろいろ
Teddy Higuera tips his cap during his record-breaking 32-inning scoreless innings streak in 1987. (Photo: Tom Lynn, Journal Sentinel)

 サウスポーって、不思議でした。横から投げても、真っ向から投げても、アンダースローになっても、サウスポー・左利きのピッチャーが投げるボールは、その球筋も、速いのも緩いのも、もうキラキする感じでした。

 もう四十年以上昔、スワローズにヤスダさんという人がいたでしょうか。この人、ちっともスピードは出ないのに、当時のタイガースは、ころりと凡打の山で、毎回負け続け、ヤスダさんがいなくなったと思ったら、今度はカジマさんというピッチャーが現れ、これまたずっと負け続けていました。二人とも、憎らしいくらいタイガースから勝ち星を挙げたことでしょう。

 左投げの投手は、スピードがあろうがなかろうが、バッターにとっては脅威でした。スピードがあれば、左打ちの人なら、まず恐怖心があるから、自分を奮い立たせないと打てません。右バッターなら、よく玉が見えるとかいうものの、それがたぶん途中で視界から消えて、ハッと気づいたら、見逃し三振ということにもなるでしょうし、もし内角を攻めてこられたら、これまた腰が引けてしまうでしょう。

 スピードが遅い左投手は、いつでも打てると過信してしまうし、イメージと違う球筋となって、これまた凡打してしまう。左投手でダメな人というのは、コントロールがダメだったら、それこそ四球で自滅するか、監督・コーチに認められないのかな。多少コントロールが悪くても、投球術でごまかせることもあるのかな。

 できれば、投手としてメシを食っていこうと思えば、コントロールを身につけなきゃいけないんでしょうね。

 阪神の藤浪晋太郎選手は、大谷翔平くんと同級生で、同期の入団なんですけど、予想されたように、大谷君は世界に飛び立ったのに、藤波君はコロナに倒れ、コントロールを身につけられず、低迷しています。彼がふたたび輝くのか、潜在能力はあると思うのですが、なかなか伸び切れていない。藤波くんは、たぶん、高校の時の輝きを失っている。小さく、まとまろうとして意識するから、大事なものを失っているし、闘争心が感じられません。ああ、彼はどうなることか……。


 日本には、江夏豊という剛速球のピッチャーと、一つ年上の鈴木啓示さんというピッチャーと、関西にすごい左腕がいました。

 子どもの頃の私は、そんなすごい人たちがいるのを何となくは知ってたけど、そんなに意識することもありませんでした。気づいたら、阪神のピッチャーをしておられた。やがて、阪神を追われ、南海にトレードされた。

 何年かが過ぎて、江夏さんは、いくつかの球団を渡り歩き、広島を日本一にさせて、優勝請負人になって、そのままどこかに再就職して、コーチ・監督の道を歩いてもらえたらよかったのに、いろいろあって、アメリカで大リーグに挑戦して、最後の最後で、どちらを選ぶ、というところで落ちてしまって、江夏さんは解説者とかの道に進むしかありませんでした。

 最後のところで、江夏さんを蹴落としたのが、このテデイ・ヒゲーラさんでした。ボクが90年代の初めに、MLBのにわかファンになって、しばらく見てた時があったんですけど、そのころにはピークは過ぎてたみたいですけど、チラッと見ただけで、印象に残るピッチャーで、ヒゲラさんが投げてるなら見たいな、と思わせてくれるピッチャーでした。80年代に栄光があったなんて知らないけど、何だか惹かれたんです。

 表紙の写真は、1987年に32イニング無失点かの記録を作った時の写真のようです。彼はずっとミルウォーキー・Brewersに所属していて、よそには行かなかった。今回初めて見つけた写真だったけれど、この年は、18勝10敗で、翌年も16勝と、このころがピークだったようです。江夏さんを蹴落としたときは1985年だったそうです。

 そうですか、阪神が唯一の日本一になったシーズンに江夏さんはいなくなり、その江夏さんを蹴落としたヒゲラさんは数年ほど大車輪で働き、働き過ぎたのか、91年からは3年間で5勝しかできなかったみたいです。

 人の浮き沈みみたいなのを感じています。江夏さんを放り出した阪神球団はずっと低迷してみじめな成績しか残せなかったのに、江夏さんは何度も日本一を手にします。でも、年齢のピークは過ぎたら、彼らしいといえば彼らしいけど、最後はMLBのテストを受けて、一軍昇格というギリギリのところまで来たけれど、最後にはじかれ、それからは表舞台に立てなかった。コーチ・監督もさせてもらえなかった。ヒゲラさんは、飛ぶ鳥を落とす勢いだっけれど、6年間輝いたと思ったら、そこからは勝てなくなった。その落ちぶれてたかもしれない姿を見て、ボクは感動して、彼の姿を追いかけたけど、もう今ではメキシコに帰ったかもしれない。

 でも、彼のことを検索しただけで、こんなカッコイイ姿が今でも見られるし、ボクより二つ年上なんだけど、カッコよかったんですよ。

 そして、今、もう野球への興味はなくしてしまった私なんですけど、今もすごいピッチャー、特に剛速球のサウスポーには憧れるのです。

 ボクは野球をするわけではないのです。でも、その剛速球がズドーンと通り過ぎるのを見せてもらったら、それだけで拍手喝采するんです。最近は、アメリカでも、そういう剛速球ピッチャーいるんだろうか。あまり聞かないんだけど、いるんだろうな。また、見られるようになるとうれしいんだけどな。


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