甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

松浦武四郎と北海道 その1

2020年05月05日 09時18分58秒 | 松阪探検メモ

 三重県って、そんなに有名な人が出ているわけではありません。高校駅伝でも、高校野球でも、サッカーでも、頂点に立つということはそんなにありません。
(実は、地味に優勝したりしてることもあるんですけど、それが続かなくて、野球王国でもないし、サッカー王国でもないし、博士がバンバン出るとか、そういうこともありません。でも、地味に頑張ってるし、コロナだって、クラスターにならないでみんな頑張ってます。今も地味に自粛していると思います。わりと真面目かな……。)

 だから、200万人の県民を統合する存在があまり見つかりません。それぞれがバラバラに存在している。イタリアみたいかな? 

 伊賀は関西圏、北勢は名古屋圏、中勢は独自の色で、オバチャンたちは「……ですニ」とか言います。この語尾の「ニ」が微妙で、四十代の若い女性でも、子育てしていると、子どもにこの語尾の「ニ」を使うようになります。不思議です。「そんなんしたらあかんニ」って、子どもたちは変だなと思って聞くだろうけど、わりとしみついてて、「やろうニ」とか、呼びかけたり、変てこな語尾です。

 南勢は伊勢志摩といわれる地域で、個々に独立して存在し、港々で雰囲気・文化がある気がします。三重県の南は、県民から忘れられた存在で、東紀州と呼ばれています。ここは三重県ではありませんでした。昔の管轄でいくと、紀州の徳川家の御料地で、違う世界だったのです。

 この東紀州。郡でいくと、南北牟婁郡(むろぐん)は、これまた山で区切られていて、ことばも文化も違う気がします(和歌山県には西牟婁郡と東牟婁郡があります。みんなまとめて紀州なんです。紀伊半島の南は全部熊野だったんです!)。尾鷲の人と熊野の人、今では行き来がありますけど、昔はすごい壁がありました。クルマでも一時間山を登り峠を降りないとたどり着けませんでした。それくらい個々が隔絶した環境にありました。

 まあ、人間たちは離れ離れになりながらも、ほそぼそと海や峠でつながっていたんです!

 三重県で一番有名な人といったら、それは芭蕉さんですけど、芭蕉さんも時々は帰郷したけれど、地元で活躍したわけではありません。各地を旅して、大阪で亡くなり、お墓は大津の義仲寺にあります。

 どうして芭蕉さんが、わざわざそちらを選んだのか、芭蕉さんの理屈があったと思うけれど、ふるさと伊賀には眠らないことにしたそうです。木曽義仲さんのあとを追いかけるなんて、意外なところで芭蕉さんも渋い選択をしましたね。

 お墓なんて、どこだっていいや、という感覚かな。


 宣長さんは、松阪では大きな存在ですけど、津市や伊勢市、鈴鹿市、四日市の人たちからしたら、それはそうだけど、古典の研究はしたみたいだけど、それがどうしたの? という感じかな。確かに、大きな存在なのに、現代の私たちにどれだけ宣長さんの残したものが伝わっているのか、少し不安になります。マニア向けの作品しかなくて、今に伝わるものがない。

 私は、宣長さんと人々との接点を探そうとしたけれど、まだ見つけていません。「菅笠日記」というのを訳してみたりしてますけど、ダラダラとどうでもいいことが書いてある気がして、あまり進みません。そして、一番の盛り上がりのお父さんの思い出のところは訳しちゃったから、もう盛り上がりがなくて、淡々と進んでいくだけです。

 他には、鈴鹿の大黒屋光太夫さんもいますけど、詳しく知らないです。

 というわけで、地元では熱狂的に取り上げられるのに、少し離れてみると、「それがどうしたの? 宣長さんって、結局何?」という方が多い。うまく地元の熱狂を伝える何かが欲しいんだけど、ボクは持てていません。

 松山の子規さん、カゴシマの西郷さん、高知の龍馬さん、ナゴヤの家康さん、もっといろいろといるんだと思われます。

 それにしても、三重県の誇りって、みんな「さん付け」されて呼ばれてます。宣長さん、芭蕉さん、そして、武四郎さん! この方も松阪の人でした。

 ご実家のあたりはこんな感じです。




 東海道の関宿から参宮街道、東海道の四日市の追分からも伊勢への街道、津あたりで2つの道が重なって、松阪あたりでは1本の道になっています。

 昔は、もっと海側に道があったそうですが、豊臣秀吉さんの時代に、蒲生氏郷さんが松阪に赴任されて、その時にお城も内陸に作り、街道も少し陸側に設定して、それが今も残っていて、街道沿いは今でもいい雰囲気なんです。

 伊勢のおかげ横丁も、少し前までものすごい人出だったけれど、あれは現代に創り上げた古い雰囲気の街ですけど、ホンモノはくたびれたまま、一部のマニアだけが歩く道になっていて、クルマもそれなりに走っています。

 だから、ボクだって、たまに気分が乗ったら、メインルートじゃなくて、わざと古い道を走ろうと、クルマをそちらに向ける時もあります。

 古い街道が今も生き残っているんですね。

 そして、武四郎さんの家は、今から百数十年前の雰囲気を残して、存在している。



 遠くに行かなくても、すぐ数キロのところに、北海道から樺太(サハリン)まで行った人がいて、晩年は3回も大台ケ原山だって登っている、そんな方が住んでた街があります。

 コロナの嵐だから、足もとの遠い旅を見てみたいです。

 今から、買い物のついでに行くかな。少しは外を歩かなきゃね!


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