甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

一つの才能を身につけること 徒然27

2022年07月03日 17時36分30秒 | つれづれ草の抜き書き

 この土日、どこにも行かないで家でグダグダしていました。昨日は猛暑。今日は雷雨でした。週明けからは台風も来るというし、少しだけ雨も降りますか、まあ、雨が降るのはいいのだけれど、猛暑が何日も続くと、エネルギーがなくなってしまいます。ずーっと夜にはボンヤリしていて、何だか何のために生きているんだか、みたいな気分になります。

 でも、何のために生きるではなくて、どれだけ生きたかというのが大事なんだし、どんなに暑くても、しんどくても、何か楽しいことが見つかればいいんだけど、こういう時って、すべてのものが楽しくなくなるし、困りましたね。

 暑さをそんなに感じなくていいのは、アドレナリンを出さなきゃいけないわけですけど、私は、何か違うことをしてるだけで、出るような気がします。

 だったら、せいぜい違うことをすればいいわけですが、あまりに暑いと、気力もなくなります。暑くない時にせいぜいやらなくちゃいけません。

 今は、雨も少し振って、夕方で薄暗いけれど、大雨ではなくなりました。窓を閉め切っていても、そんなに暑いという訳ではなくて、突然ですが、『徒然草』を引っ張り出してみました。

 150段の「能をつかんとする人(一芸を身につけようとする人)がテーマのようです。

 能をつかんとする人、「よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得てさし出でたらんこそ、いと心にくからめ」と常にいふめれど、

 一芸を身につけようとする人がよく言うのです。「上手にできないうちは、なまじっか他人に知られないようにしていよう。ある程度技術を磨いて、人前に出せるようになってから自分の技量を見せたらどうかな。その方がカッコイイよね」とかなんとか、みなさんよく言うようです。

 かくいふ人、一芸も習ひ得ることなし。

 このように言う人は、一つの芸も身につけることはできません。

 さあ、兼好さんは断言しました。未完成なものを見せない人はダメだというのです。まあ、ダメでもともとという気構えの方が、完璧主義者よりは力が抜けていて、いろいろな場面には出て行けますね。しり込みしているようでは、いつまで経ってもひとり立ちはできませんからね。

 いまだ堅固(けんご)かたほなるより、上手(じょうず)の中にまじりて、そしり笑はるるにも恥ぢず、つれなく過ぎてたしなむ人、

 まだ全く未熟なうちから、すぐれた人の中にまじって、人から非難されたり、笑われたりしても恥ずかしく思わないで、平気でやり通して芸をたしなむ人というのは、

 天性その骨なけれども、道になづまず、みだりにせずして年を送れば、堪能のたしなまざるよりは、つひに上手の位に至り、徳たけ、人に許されて、並びなき名を得ることなり。 〈150段〉

 たとえ生まれつき、その天分はなくても、修業の途中で停滞することなく、自分勝手なことをしないで年月を過ごしてゆくと、天分があって器用ではあるが自分を鍛えることをしない人よりは、最後には上手の域に達して、芸の徳もさらに増して、人々から認められて、並ぶ者のない名声を得るのである。



 一つの正論だと思います。私は、何一つ身につけていなくて、誰かに自分の芸を見せるということがありませんでしたけど、誰かに喜んでもらえる芸を持つというのは、人に対しての礼儀でもあり、気遣いでもありますね。

 私って、何もお見せするもの(芸)がないんです。というふうに居直れる人間は、いいようで悪い。どうして人に喜んでもらえるようなことを身につけなかったのかと、今さらながら反省してしまう。

 ギターを弾く、美声を披露する、鍛えた話芸を披露する、とっておきのネタで人を笑わせる、誰もが震え上がる怖い話をする、何十年も生きて来れば、そういうものの一つや二つはあるはずです。

 それが受ける受けないは置いておいて、とにかく、そばにいる人をリラックスさせなくちゃ! 楽しませてあげなきゃ! そういうのを放棄してきた私は、卑怯者であり、グータラであり、オッサン失格です。でもまあ、ボンヤリ黙って聞くという芸とも言えない芸がありますよ。

 いや、やはり却下ですね。芸とは言えないな。

 つまらない絵なら描き散らしますよ。あれは芸かな。恥知らずで描けますよ。まあ、芸ということにしておきましょう。誰かを喜ばせるための芸、今からでも遅くないなあ。身につけたいです。何にしようかな……。


 
 続きを引用してみます。

 天下のものの上手といへでも、はじめは不堪(ふかん)の聞こえもあり、むげの瑕瑾(かきん)もありき。

 天下に知られた芸の名人であっても、初めのうちは未熟だ(不堪)という評判もあり、ひどい欠点(瑕瑾)だってあったのです。

 突然の熟語攻勢です。「不堪(ふかん)」の反対が「堪能(たんのう)」であり、「瑕瑾(かきん)」の類義語が「瑕疵(かし)」でした。兼好さんがちょっとやる気になったら、難しい言葉だってホイホイ出てくるみたい。まあ、兼好さんは、文の名人というところなんだろうかな。

 されども、その人、道の掟(おきて)正しく、これを重くして放埓(ほうらつ)せざれば、世の博士(はかせ)にて、万人の師となること、諸道かはるべからず。

 しか し、わがまま(放埓)をせず、地道でオーソドックスな方法を続けていけば、世に知られた大家として、多くの人の師匠と仰がれるようになって成功するのは、どこの世界でも同じであり、変わらない真実なのです。



 芸に近道はなく、まっすぐな一本道をどれだけ長く歩いて行けるか、その持久力が問われているのですね。

 私みたいなイラチは、やはりダメなんだ。私は、どこでコツコツやれてるやら、たぶん、やれてないですね。そう、自分のダメさを見つめて、それと仲良くしていきたいです。

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