今から92年前の今日、賢治さんは出発して、北海道・樺太をめぐり8月12日まで旅をしたそうです。
2回目の北海道旅行です。
1回目は、1913(T2)年、5月21日から1週間、通っていた盛岡中学5年生の修学旅行だったそうです。
3回目は、1924年5月18日から6日間、今度は勤務する花巻農学校の教師として引率の旅をします。
この2つは、学校関連の団体旅行なので、あまり考えることはできなかったでしょう。考えるよりも反射しなければならない。とにかく若いですから、みんなとわいわい騒ぎ、若い教師として生徒たちに反応しなくちゃいけなかったでしょう。
でも、2回目の旅行は、少しだけ仕事関連もあるようですが、ある程度は個人の時間もあったでしょうし、2週間の期間があります。現地を移動しながら、自分は何をしているんだろう。亡くなった妹に何をしてあげたらよかったろう。雨雪取ってきてあげたらよかったんだろうか。……いろんなことを考える自らを再生させる旅だったような気がします。
さあ、その旅立ち記念日の今日、とりあえず青森の車中の旅を読み終えたいと思います。そして、いよいよ北海道に渡らなくちゃ!
《黄いろな花こ おらもとるべがな》
たしかにとし子はあのあけがたは
まだこの世かいのゆめのなかにゐて
落葉の風につみかさねられた
野はらをひとりあるきながら
ほかのひとのことのやうにつぶやいてゐたのだ
そしてそのままさびしい林のなかの
いつぴきの鳥になつただらうか
I'estudiantina を風にききながら
水のながれる暗いはやしのなかを
かなしくうたつて飛んで行つたらうか
やがてはそこに小さなプロペラのやうに
音をたてて飛んできたあたらしいともだちと
無心のとりのうたをうたひながら
たよりなくさまよつて行つたらうか
わたくしはどうしてもさう思はない
なぜ通信が許されないのか
許されてゐる そして私のうけとつた通信は
母が夏のかん病のよるにゆめみたとおなじだ
どうしてわたくしはさうなのをさうと思はないのだらう
それらひとのせかいのゆめはうすれ
あかつきの薔薇いろをそらにかんじ
あたらしくさはやかな感官をかんじ
日光のなかのけむりのやうな羅(うすもの)をかんじ
かがやいてほのかにわらひながら
はなやかな雲やつめたいにほひのあひだを
交錯するひかりの棒を過ぎり
われらが上方とよぶその不可思議な方角へ
それがそのやうであることにおどろきながら
大循環の風よりもさはやかにのぼつて行つた
わたくしはその跡をさへたづねることができる
そこに碧(あお)い寂かな湖水の面をのぞみ
あまりにもそのたひらかさとかがやきと
未知な全反射の方法と
さめざめとひかりゆすれる樹の列を
ただしくうつすことをあやしみ
やがてはそれがおのづから研かれた
天のる瑠璃(はり)の地面と知つてこゝろわななき
紐になつてながれるそらの楽音
また瓔珞やあやしいうすものをつけ
移らずしかもしづかにゆききする
巨きなすあしの生物たち
遠いほのかな記憶のなかの花のかほり
それらのなかにしづかに立つたらうか
それともおれたちの声を聴かないのち
暗紅色の深くもわるいがらん洞と
意識ある蛋白質(たんぱくしつ)の砕けるときにあげる声
亜硫酸(ありゅうさん)や笑気(せうき)のにほひ
これらをそこに見るならば
あいつはその中にまつ青になつて立ち
立つてゐるともよろめいてゐるともわからず
頬に手をあててゆめそのもののやうに立ち
(わたくしがいまごろこんなものを感ずることが
いつたいほんたうのことだらうか
わたくしといふものがこんなものをみることが
いつたいありうることだらうか
そしてほんたうにみてゐるのだ)と
斯ういつてひとりなげくかもしれない……
わたくしのこんなさびしい考(かんがえ)は
みんなよるのためにでるのだ
賢治さんは、夜行列車に乗っています。妹さんが亡くなるときのことを思い出しています。生きてはいるのに、時々どこかへ行ってしまっているような妹さんを思い出しました。そして、その時すでに彼女はあれこれと旅をしていたのだと気づいたのです。……そういうことって、あるのかもしれません。ずっと病室にいるはずの彼女だけれど、すでに心はあちらこちらを飛び回っていたのかもしれない、そう思えたのでしょう。
けれどもすぐに「みんな夜のために」こんなさびしいことを考えてしまうのだと反省もします。そんなことはありえないと否定するのです。
とても長い詩なので、その中で考えもいったり来たりしてしまうのでしょう。
夜があけて海岸へかかるなら
そして波がきらきら光るなら
なにもかもみんないいかもしれない
けれどもとし子の死んだことならば
いまわたくしがそれを夢でないと考へて
あたらしくぎくつとしなければならないほどの
あんまりひどいげんじつなのだ
感ずることのあまり新鮮にすぎるとき
それをがいねん化することは
きちがひにならないための
生物体の一つの自衛作用だけれども
いつでもまもつてばかりゐてはいけない
ほんたうにあいつはここの感官をうしなつたのち
あらたにどんなからだを得
どんな感官をかんじただらう
なんべんこれをかんがへたことか
むかしからの多数の実験から
倶舎がさつきのやうに云ふのだ
二度とこれをくり返してはいけない
おもては軟玉(なんぎよく)と銀のモナド
半月の噴いた瓦斯(ガス)でいつぱいだ
巻積雲(けんせきうん)のはらわたまで
月のあかりはしみわたり
それはあやしい蛍光板(けいくわうばん)になつて
いよいよあやしい苹果(りんご)の匂(におい)を発散し
なめらかにつめたい窓硝子(まどがらす)さへ越えてくる
青森だからといふのではなく
大てい月がこんなやうな暁ちかく
巻積雲にはいるとき……
《おいおい あの顔いろは少し青かつたよ》
だまつてゐろ
おれのいもうとの死顔が
まつ青だらうが黒からうが
きさまにどう斯(こ)う云はれるか
あいつはどこへ堕ちやうと
もう無上道に属してゐる
力にみちてそこを進むものは
どの空間にでも勇んでとびこんで行くのだ
ぢきもう東の鋼もひかる
ほんたうにけふの……きのふのひるまなら
おれたちはあの重い赤いポムプを……
《もひとつきかせてあげやう
ね じつさいね
あのときの眼は白かつたよ
すぐ瞑(ねむ)りかねてゐたよ》
まだいつてゐるのか
もうぢきよるはあけるのに
すべてあるがごとくにあり
かゞやくごとくにかがやくもの
おまへの武器やあらゆるものは
おまへにくらくおそろしく
まことはたのしくあかるいのだ
《みんなむかしからのきやうだいなのだから
けつしてひとりをいのつてはいけない》
ああ わたくしはけつしてさうしませんでした
あいつがなくなつてからあとのよるひる
わたくしはただの一どたりと
あいつだけがいいとこに行けばいいと
さういのりはしなかつたとおもひます(一九二三、八、一)
賢治さんの中で、いろんなキャラが話をするんですね。イジワルなキャラや、さびしがりなキャラ、心配性のキャラなど、基本はとにかく妹さんのことを考えてあげたくて、ということは、とにかく若くして亡くなった妹さんの魂が安らかに眠ってくれることを祈っている。
最後の方の3つの《 》のセリフは、自分に言い聞かせているようです。その言い聞かせと、今の自分で会話をしている感じです。
そして、彼女だけではなくて、みんなが安らかに眠ってくれることを祈っている。このみんなの中には、やがて亡くなってしまう自分も含めて、自分に関わる人だけが幸せになるんじゃなくて、みんなの幸せを祈らざるを得ない気持ち、私はそんな気持ちになかなかなれないですけど、彼の広大無辺な気持ちを感じ、それでもなおかつ妹さんのことをじっと考えてあげるお兄さんの優しさも感じられるような気がします。
私が、「青森挽歌」を取り上げたのは、汽車の旅であること、樺太への旅であること、そうした興味から取り上げました。そして、本質にはたどりつけていません。まるでわかっていない。
でも、しつこく迫っていこうと思っています。
とにかくこの夏、パソコンの中でサハリンの旅をして、いつか自分が実際にサハリンに行くチャンスがあれば、間宮林蔵さんや、宮沢賢治さんを感じてきたいと思います。
とにかく今年ではないので、イメージトレーニングをしておきたいのです。
2回目の北海道旅行です。
1回目は、1913(T2)年、5月21日から1週間、通っていた盛岡中学5年生の修学旅行だったそうです。
3回目は、1924年5月18日から6日間、今度は勤務する花巻農学校の教師として引率の旅をします。
この2つは、学校関連の団体旅行なので、あまり考えることはできなかったでしょう。考えるよりも反射しなければならない。とにかく若いですから、みんなとわいわい騒ぎ、若い教師として生徒たちに反応しなくちゃいけなかったでしょう。
でも、2回目の旅行は、少しだけ仕事関連もあるようですが、ある程度は個人の時間もあったでしょうし、2週間の期間があります。現地を移動しながら、自分は何をしているんだろう。亡くなった妹に何をしてあげたらよかったろう。雨雪取ってきてあげたらよかったんだろうか。……いろんなことを考える自らを再生させる旅だったような気がします。
さあ、その旅立ち記念日の今日、とりあえず青森の車中の旅を読み終えたいと思います。そして、いよいよ北海道に渡らなくちゃ!
《黄いろな花こ おらもとるべがな》
たしかにとし子はあのあけがたは
まだこの世かいのゆめのなかにゐて
落葉の風につみかさねられた
野はらをひとりあるきながら
ほかのひとのことのやうにつぶやいてゐたのだ
そしてそのままさびしい林のなかの
いつぴきの鳥になつただらうか
I'estudiantina を風にききながら
水のながれる暗いはやしのなかを
かなしくうたつて飛んで行つたらうか
やがてはそこに小さなプロペラのやうに
音をたてて飛んできたあたらしいともだちと
無心のとりのうたをうたひながら
たよりなくさまよつて行つたらうか
わたくしはどうしてもさう思はない
なぜ通信が許されないのか
許されてゐる そして私のうけとつた通信は
母が夏のかん病のよるにゆめみたとおなじだ
どうしてわたくしはさうなのをさうと思はないのだらう
それらひとのせかいのゆめはうすれ
あかつきの薔薇いろをそらにかんじ
あたらしくさはやかな感官をかんじ
日光のなかのけむりのやうな羅(うすもの)をかんじ
かがやいてほのかにわらひながら
はなやかな雲やつめたいにほひのあひだを
交錯するひかりの棒を過ぎり
われらが上方とよぶその不可思議な方角へ
それがそのやうであることにおどろきながら
大循環の風よりもさはやかにのぼつて行つた
わたくしはその跡をさへたづねることができる
そこに碧(あお)い寂かな湖水の面をのぞみ
あまりにもそのたひらかさとかがやきと
未知な全反射の方法と
さめざめとひかりゆすれる樹の列を
ただしくうつすことをあやしみ
やがてはそれがおのづから研かれた
天のる瑠璃(はり)の地面と知つてこゝろわななき
紐になつてながれるそらの楽音
また瓔珞やあやしいうすものをつけ
移らずしかもしづかにゆききする
巨きなすあしの生物たち
遠いほのかな記憶のなかの花のかほり
それらのなかにしづかに立つたらうか
それともおれたちの声を聴かないのち
暗紅色の深くもわるいがらん洞と
意識ある蛋白質(たんぱくしつ)の砕けるときにあげる声
亜硫酸(ありゅうさん)や笑気(せうき)のにほひ
これらをそこに見るならば
あいつはその中にまつ青になつて立ち
立つてゐるともよろめいてゐるともわからず
頬に手をあててゆめそのもののやうに立ち
(わたくしがいまごろこんなものを感ずることが
いつたいほんたうのことだらうか
わたくしといふものがこんなものをみることが
いつたいありうることだらうか
そしてほんたうにみてゐるのだ)と
斯ういつてひとりなげくかもしれない……
わたくしのこんなさびしい考(かんがえ)は
みんなよるのためにでるのだ
賢治さんは、夜行列車に乗っています。妹さんが亡くなるときのことを思い出しています。生きてはいるのに、時々どこかへ行ってしまっているような妹さんを思い出しました。そして、その時すでに彼女はあれこれと旅をしていたのだと気づいたのです。……そういうことって、あるのかもしれません。ずっと病室にいるはずの彼女だけれど、すでに心はあちらこちらを飛び回っていたのかもしれない、そう思えたのでしょう。
けれどもすぐに「みんな夜のために」こんなさびしいことを考えてしまうのだと反省もします。そんなことはありえないと否定するのです。
とても長い詩なので、その中で考えもいったり来たりしてしまうのでしょう。
夜があけて海岸へかかるなら
そして波がきらきら光るなら
なにもかもみんないいかもしれない
けれどもとし子の死んだことならば
いまわたくしがそれを夢でないと考へて
あたらしくぎくつとしなければならないほどの
あんまりひどいげんじつなのだ
感ずることのあまり新鮮にすぎるとき
それをがいねん化することは
きちがひにならないための
生物体の一つの自衛作用だけれども
いつでもまもつてばかりゐてはいけない
ほんたうにあいつはここの感官をうしなつたのち
あらたにどんなからだを得
どんな感官をかんじただらう
なんべんこれをかんがへたことか
むかしからの多数の実験から
倶舎がさつきのやうに云ふのだ
二度とこれをくり返してはいけない
おもては軟玉(なんぎよく)と銀のモナド
半月の噴いた瓦斯(ガス)でいつぱいだ
巻積雲(けんせきうん)のはらわたまで
月のあかりはしみわたり
それはあやしい蛍光板(けいくわうばん)になつて
いよいよあやしい苹果(りんご)の匂(におい)を発散し
なめらかにつめたい窓硝子(まどがらす)さへ越えてくる
青森だからといふのではなく
大てい月がこんなやうな暁ちかく
巻積雲にはいるとき……
《おいおい あの顔いろは少し青かつたよ》
だまつてゐろ
おれのいもうとの死顔が
まつ青だらうが黒からうが
きさまにどう斯(こ)う云はれるか
あいつはどこへ堕ちやうと
もう無上道に属してゐる
力にみちてそこを進むものは
どの空間にでも勇んでとびこんで行くのだ
ぢきもう東の鋼もひかる
ほんたうにけふの……きのふのひるまなら
おれたちはあの重い赤いポムプを……
《もひとつきかせてあげやう
ね じつさいね
あのときの眼は白かつたよ
すぐ瞑(ねむ)りかねてゐたよ》
まだいつてゐるのか
もうぢきよるはあけるのに
すべてあるがごとくにあり
かゞやくごとくにかがやくもの
おまへの武器やあらゆるものは
おまへにくらくおそろしく
まことはたのしくあかるいのだ
《みんなむかしからのきやうだいなのだから
けつしてひとりをいのつてはいけない》
ああ わたくしはけつしてさうしませんでした
あいつがなくなつてからあとのよるひる
わたくしはただの一どたりと
あいつだけがいいとこに行けばいいと
さういのりはしなかつたとおもひます(一九二三、八、一)
賢治さんの中で、いろんなキャラが話をするんですね。イジワルなキャラや、さびしがりなキャラ、心配性のキャラなど、基本はとにかく妹さんのことを考えてあげたくて、ということは、とにかく若くして亡くなった妹さんの魂が安らかに眠ってくれることを祈っている。
最後の方の3つの《 》のセリフは、自分に言い聞かせているようです。その言い聞かせと、今の自分で会話をしている感じです。
そして、彼女だけではなくて、みんなが安らかに眠ってくれることを祈っている。このみんなの中には、やがて亡くなってしまう自分も含めて、自分に関わる人だけが幸せになるんじゃなくて、みんなの幸せを祈らざるを得ない気持ち、私はそんな気持ちになかなかなれないですけど、彼の広大無辺な気持ちを感じ、それでもなおかつ妹さんのことをじっと考えてあげるお兄さんの優しさも感じられるような気がします。
私が、「青森挽歌」を取り上げたのは、汽車の旅であること、樺太への旅であること、そうした興味から取り上げました。そして、本質にはたどりつけていません。まるでわかっていない。
でも、しつこく迫っていこうと思っています。
とにかくこの夏、パソコンの中でサハリンの旅をして、いつか自分が実際にサハリンに行くチャンスがあれば、間宮林蔵さんや、宮沢賢治さんを感じてきたいと思います。
とにかく今年ではないので、イメージトレーニングをしておきたいのです。