甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

ナオコーラさんの息苦しさ

2021年07月01日 21時47分43秒 | 本読んであれこれ

 たぶん、みんなが持ってた息苦しさで、今はみんなが日々感じている息苦しさです。

 今日もけっこう息苦しかったし、人によって体感温度が違うから、私みたいなチンチクリンのオッサンは小さくなって、みんなが「暑い暑い」というのを聞いていました。

 私は、そんなに暑さを感じない人になったのかもしれない。でも、息苦しさと口のまわりのモニョモニョ感は今日みたいにずっと雨だったら、何だか放熱できなくて、しんどかったんでした。

 そう、ナオコーラさんを読んでもらおう!

 学校が苦しかった。授業は、信用できないものも多かった。
 高校時代が、私の最も暗かった時期だ。単独行動を好み友人を作らず、授業中は本を読む。担任は四十代の男性の先生で、
 「なんの本を読んでいるの?」
 ときどき声をかけてくれた。私は「理解者ぶって私に声をかける必要ない」と思い、適当な返事をした。でもあるとき、
 「日本にいるのが窮屈だから将来は外国に住みます」
 突飛な話を気まぐれにしてみた。それもいいかもね、と先生は笑った。

 先生、上手にナオコーラさんに対応したねえ。キンキンしている女の子に、無理やり指導しようとしたって、それはダメなんだろうな。でも、人によっては指導をしてもらいたがっている人もいるわけだから、まあ、自然に話せないのであれば、ほおっておくのがいい方法だよな。

 そして、ナオコーラさんは高校を卒業する。ずっと息苦しさをかかえ、生きにくさも感じていた。進学校に行ってたんだろうか。だったら、まわりのプレッシャーは大変だろうし、どんな生活を送ってたのかなあ。

 大学に入ったとき、比較文学という授業をとった。研究室棟の三階にある、先生の研究室で授業は開かれた。その部屋には窓が付いていたのだけれど、中庭に向かって開く窓で、そこから採光される光は弱かった。
 窓に寄って見上げると、三メートル四方の空が見えた。

 そうなんですよ。窓というのが唯一の教室からの救いであったんだ。たいていは息苦しいし、つまんないし、わからないことが多いし、真剣になりたいのに、何だか違うという気もするし、自分のやりたいことがなかなか見つからないから、だから、窓を見るしかないんだ。

 でも、そんなことではアイデアは生まれないし、そうだ、ここから出るためには何をしなきゃいけないんだ。あの窓の向こうには何があるんだ、ということに行きつかないことには、息苦しさを出られないんでしょうね。



 年配の先生の声はとても小さくて、低くて、聞き取りにくかった。海外の詩と日本の詩を交互に読んでいく授業を、五人ほどの学生で聴講していた。

 あるとき先生は、金子光晴の「寂しさの歌」という詩をプリントして配り、朗読をした。反戦を唱える仲間がいなくて寂しい、という詩である。金子は、第二次世界大戦中に誰に見せるともなくノートに反戦詩を綴り、息子を部屋に閉じ込め生松葉でいぶし体を悪くして兵役を免れさせ、終戦を知るとセントルイス・ブルースをかけて妻と踊った、気丈な詩人である。

 金子光晴さんの講義をちゃんと聞いてみたんですね。ナオコーラさんの求めてるものとシンクロしたのかな。少しだけ彼女のまわりの空気を金子さんの作品が動かして開けたんですね。すごいですね。

 私は、かつてこの国には、金子光晴のような人もいたのだ、と思うと、日本で生きていけるような気がし始めていた。
 なぜか、その研究室の低い明度が忘れられない。
〈2006年8月19日付け朝日新聞・土曜版より〉

 そして、ナオコーラさんは小説を書いた。それなりに売れて、作家を続けていると思うんですけど、最近は何か書いてるのかな。

 詩人の研究をしているわけではないと思うんだけど……。

 それで、私は何をしてるんです? ああ、なんか頭痛です。頭痛いから、明日出直します。ウソではありません。最近かなり調子悪いです。





最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。