日日の幻燈

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【note】「富山くすりフェア」に遭遇

2016-03-06 | 日日の幻燈



「三成出陣式」のお隣で、「富山くすりフェア」が開催されていましたので、こちらにもちょっとお邪魔してきました。
富山県の医薬品事業を支援する、富山県薬業連合会が主催するイベントで、富山の薬売りの歴史の紹介、薬の販売、そして北海道物産展(北前船つながりとのことです)などなど、北陸新幹線開業1周年記念として開催されたそうです。
会場では、富山の薬の売薬版画や引き札を印刷した絵葉書が無料で配布されていました。



ひこにゃん、みつにゃんに出会ったあとは、富山のくすりん。ゆるきゃら全盛時代ですね。



富山の薬が有名になったきっかけとして、富山藩二代藩主・前田正甫(まえだまさとし)の逸話があります。さる大名が江戸城内で腹痛をおこしたところ、たまたま居合わせた正甫が、持ち合わせていた常備薬を与えると、たちまち痛みがおさまったとか。この話が評判を呼び、各大名から、自分の領内でも売ってくれ~との依頼が殺到し、富山の薬は一躍有名になったということです。



江戸末期から明治初期にかけての薬の販売所を描いた売薬版画。会場で無料配布されていた絵葉書の1枚です。売薬版画は紙風船とともに富山の薬売りが顧客に配って歩いたもので、メディアが乏しかった時代、とても喜ばれたとか。
「反魂丹(はんごんたん)」は丸薬で、胃腸薬として、また腹痛に効く薬として重宝され、また旅人には必携の一品だったそうです。

有名になった富山の薬は、富山藩の特産物として藩の管理下に置かれ、全国を旅してまわった「富山の薬売り」も、藩の統制下でさまざまな制約を受けながらの行商だったそうです。たとえば、出立の日が決められているとか、宿泊は指定の定宿だとか…。
そんな彼らは、「紺の風呂敷」「柳行李」といった出で立ちで旅したといいます。柳行李の底には小さな仏像を入れる行商人も。この仏像も、今回、展示されていました。



こちらも無料配布の絵葉書で、明治時代の引札(チラシ)です。
そういえば、実家にも置き薬があって、定期的に薬屋さんがやって来て(まさか富山から来たわけではないと思いますが)、使った分だけ補充していました。まさに富山の薬売りの、「先用後利」を踏襲していたわけですね。
最近はドラッグストアが乱立しているので、こういった置き薬は少なくなっているのでしょうね。かく言う我が家にも、風邪薬や胃腸薬など、必要最小限の薬しかありません。なくなったら、歩いて数分のドラッグストアへ買い足しに行っています。
ま、便利になったといえばその通りですけどね。


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