歴史・音楽・過ぎゆく日常のこと
日日の幻燈




【犬目宿・安達野付近の風景1】


安達野で県道30号線と合流した地点から、犬目宿へと向かいます。合流地点に「この先、犬目宿→」の案内が出ています。実際の宿場の入口がここだったのか何とも言えませんが、江戸側の入口はもう少し先になるのでは?と推測。

【犬目宿・安達野付近の風景2】


街道沿いの家屋も、かつての旅籠や宿屋を思わせる造りです。

【犬目宿・下宿付近の風景】


かつての宿場町の名残を留めるかのような地名。犬目宿の内、この辺りが江戸側の入口辺りになるのかな…と、これまた勝手に推測しながら歩きます。

【犬目宿碑】


午後2時過ぎに、犬目宿直売所の前に建てられている犬目宿碑に到着。途中昼食をとりましたが、野田尻宿から2時間半、約3.5キロの道のりでした。

【犬目宿案内板】


犬目宿碑の傍に案内板が出ています。ここがちょうど宿場町の中心にあたるようです。
この案内板の解説などによると、もともと付近にあった集落が1712(正徳2)年にこの地に移転、1村1宿として翌年宿場町となりました。宿場以外の家数は僅か5軒だったそうです。街道の整備・拡張に合わせて新たに創設された宿場町ということでしょうか。
この辺りは富士山の眺望が素晴らしく、広重も北斎も犬目からの富士山を浮世絵に残しています。

1843(天保14)年の『甲州道中宿村大概帳』によると、宿の概略は以下の通り。

本陣…2軒*
脇本陣…なし*
問屋場…1ヶ所
旅籠…15軒
宿場内の家数…56軒
宿場内の人口…255人

*上野原市の「旧甲州街道沿いにあるく」によると、本陣1軒、脇本陣1軒。あとで紹介する明治天皇が巡幸した際に小休止した場所は、脇本陣・笹屋と言われていることから、こちらのほうが正しい?

【犬目宿直売所】


犬目宿碑の後ろにある直売所。山梨と言えば葡萄。ここで巨峰を一房買ってしばし休憩。直売所の方からいただいたお茶を飲みながら、喉の渇きを潤します。昔の茶屋もこんな感じだったのでしょうか。
公衆トイレもあり、これといった休む場所が見当たらないこの付近の街道歩きでは、貴重な休憩ポイントです。

ここで葡萄を頬張りながら、さてどうしたものか?と作戦会議。予定では犬目宿までは歩く、そこから先に進むかは犬目に着いた時点で決めようとのことでした。直売所の方に聞くと、ここから最寄りの駅までは、歩くとかなりあるとのこと。
次の下鳥沢宿までは4キロ強。

帰る?バスを待つのか?(次のバスまで2時間あるぞ)
帰る?タクシーを呼ぶのか?
行く?それとも先へ進むのか?

鶴川宿を出発してから8キロあまり。座頭転がしの難所越えなど、普段運動不足の我々は、かなりへばっているのですが、出した答えは
「各々がた、先へ進もうぞ!」
とても前向きで、アグレッシブな旅の仲間にお茶で乾杯!

【犬目宿兵助生家跡】


犬目宿兵助(いぬめじゅく・ひょうすけ、犬目兵助とも)って誰?
解説板によると、旅籠・水田屋を営んでいた兵助は、天保の大飢饉と米商人たちの買い占めに苦しむ農民たちを救うため、1836(天保7)年に一揆をおこします(天保の甲州一揆)。しかし一揆は暴徒化してしまい、兵助は離脱し逃亡の旅を続けました。最後は定かではないようですが、一説によると犬目に戻って家族とひっそり暮らし、1867(慶応3)年、71歳で亡くなったとも言われている…そうです。
一揆の途中から無頼の徒なども加わり、困窮してる農民を救うという当初の目的から大きく逸脱し、略奪、放火、村々に対して一揆への参加の強要と、ただの暴力集団となってしまったようです。兵助は逃亡している最中に日記を残しているそうですが、それによると、北陸から瀬戸内、中国地方まで逃亡しています。現在なら全国指名手配犯ということですね。その後、千葉の木更津に落ち着き、そこで寺小屋を開き、明治維新後にようやくこの地に戻ったとも。
そんなわけで、ここに水田屋があったということですね。兵助の墓は犬目宿の東側にありますが、残念ながら今回は見落としてしまいました。

【脇本陣跡】


お馴染みの「明治天皇御小休所址」の碑が建つのは、脇本陣・笹屋の跡。本陣ではなく脇本陣でご休息されたのか。こちらのほうが明治になってからは羽振りがよかったのかな?

【本陣跡】


犬目バス停のあるところが、本陣(岡部家)があった場所。道の反対側には問屋場がありました。東側より西側の方に宿場の中心的な施設が集まっていたようです。

【犬目宿・西側付近】


この先で道はほぼ直角に右側へ曲がっています。ここが西側の出入口。

【宝勝寺】


犬目宿を出てすぐのところに宝勝寺があります。曹洞宗のお寺で、1618(天和元)年に開山。甲州八十八霊場第六番札所。境内は犬目宿を見下ろすような小高い丘の上にあります。

【葛飾北斎・富嶽三十六景甲州犬目峠】


【歌川広重・不二三十六景甲斐犬目峠】


【歌川広重・富士三十六景甲斐犬目峠】


犬目から見る富士山は、犬目富士として人気があり、北斎も広重も浮世絵に描いています(広重は同じテーマで2種類)。そしてふたりの作品は、この宝勝寺の境内から描いたとも伝わります。北斎も広重もタイトルに犬目峠と入れていますが、そもそも犬目峠ってどこなのか?実はそれに該当するような峠は、付近にはなさそうなのだとか。標高が高く、富士山の眺望が素晴らしい犬目宿付近のイメージが生み出したのが、「幻の犬目峠」なのかもしれませんね。

【宝勝寺・境内からの眺望】


そんなわけで、境内の「この付近から描いたといわれている」ポイントから眺めてみたのですが…残念ながら富士山は見えず。それとも見当違いの方角を見てしまったのか?
そう言えばこの日は、全体的には晴れてはいるものの雲もあったりして、道中、富士山とはまだ相対していないのでした。


犬目宿も全体の案内地図はありましたが、本陣など個々を探そうとするなら、事前に下調べしてから臨むことをお勧めします。
それでは、犬目宿を出てもうひと踏ん張り、下鳥沢宿を目指しましょう!


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