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京都の歳時記

東福寺、伏見稲荷大社等の神社仏閣と祇園の舞妓、芸妓を中心に黒柴の小ざさが京都の美しい四季を紹介する 京都の歳時記

◇『東福寺・雪景色』其の七

2011-02-03 10:12:19 | 東福寺

《東福寺 方丈庭園 八相の庭(小市松)》

方丈庭園「小市松」の続編。

京都には禅宗の方丈には名園が数多く残されていますが、方丈の四周に庭園を

巡らせた方丈は東福寺のみである。

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この方丈の庭の中でも北庭の「小市松」が私は一番好きです。

昨日の記事とともにご覧ください。

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◇『東福寺・雪景色』其の六

2011-02-02 15:01:49 | 東福寺

《東福寺方丈庭園 八相の庭(北庭)》

私の一番気にいった庭の一つ、方丈庭園 北庭〈小市松〉です。

雪景色はまた異なるふん意気を出しています。

杉苔と敷石の市松模様。杉苔の緑との色彩対比。これが雪の純白との対比に変わります。

彫刻家 イサム・ノグチはこの庭を「モンドリアン風の新しい角度の庭」と評した。

まづは雪景色との対比をご覧ください。

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平成23年1月17日 東福寺 雪景色。 方丈庭園北庭「小市松」。

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次回も続きをおみせします。


◇『東福寺 雪景色』其の五

2011-01-31 11:46:18 | 東福寺

《東福寺 方丈西庭「井田市松」》

方丈八相の庭も私の大好きな庭二つを残すこととなりました。

一番大好きな「小市松」と対比して見てください。

「井田市松」は古代中国の田制「井田(せいでん)」因み、さつきの刈込と砂地とをくず石で

方形に区切り大きく市松模様に図案化したものです。(重森三玲作庭)。

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雪の方丈庭園西庭「井田市松」をご覧ください。

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次回は私の好きな東福寺方丈庭園 八相の庭「小市松」の雪景色をお見せします。


◇『東福寺 冬景色』其の四

2011-01-29 13:31:51 | 東福寺

《東福寺 方丈 八相の庭・東庭(北斗七星)》

方丈八相の庭の東庭は北斗の庭と呼ばれ、北斗七星に見立てた石は、東司の柱石の

余石を利用したもの。

後方の生垣は天の川を表し夜空が足元に広がるがごとく小宇宙を作り出している。

これも重森三玲の作庭である。

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上の写真は以前に撮ったもので、以下冬景色と見比べてみてください。

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東福寺通天橋、方丈、そして、方丈庭園通天台から見た通天橋、奥に見えるのが、臥雲橋

です。Dscn2956

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◇『東福寺 雪景色』其の三

2011-01-27 12:00:33 | 東福寺

《霊雲院・雪景色》

東福寺塔頭霊雲院は肥後熊本細川藩とゆかりがあり、九山八海の庭(霊の庭)の

中央にある遺愛石は藩主細川忠利が須弥山の台と石船を作って送った「遺愛石」。

この世の世界は九つの山と八つの海からなりその中心が須弥山だという仏説。

本院は幕末、西郷隆盛と僧月照が密議を交わした場所でもある。

本院は一時荒廃したが、作庭家重森三玲によって修復された。

小書院の西にある臥雲の庭も重森三玲の作品だが、日本でも珍しい二階建ての茶室から

眺める庭である。

雪の有無による表情の違いを観てみてください。

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