1863年5月20日夜、尊王攘夷派公卿の急先鋒であった姉小路公知がここで刺客に襲われた。享年25歳。現場に遺棄された刀の銘などから、薩摩の田中新兵衛のものと判明町奉行の尋問の最中、田中新兵衛は自害。 田中と同宿していた同藩の仁礼源之丞と藤田太郎の二人も逮捕されたが、脱走して行方不明となった。かくして、姉小路暗殺の真犯人は未だ不明のままである。
ここは以前ミステリー散策で訪れた際に述べましたが、御所の東北角は鬼門除けに隅を欠き(L字型)築地屋根の下に御幣を担ぐ猿の彫り物があることから猿が辻といわれています。この猿は鬼門封じの為、日吉山王神社から使わされたわけですが、夜に出歩き悪さをすることから金網に閉じ込められたと云われています。
鷹司邸跡から御苑内を北へ徒歩約10分。
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