みみずくの日記

旅行記録などに関する感想を書く。

県立自然公園竹林寺

2007-11-30 06:54:37 | Weblog
 広島県西条市から竹原市に行く途中、県立自然公園竹林寺に寄った。ここは、瀬戸内海に面した竹原市から約10キロくらい北の山間部にあり、山をかなり登ったところに寺がある。この山の麓を迂回するように、西と北に川が流れ、山陽本線が川に沿う形で走っている。
 
 竹林寺について、何の知識も持たずに、写真を撮っていたが、落ち着いた雰囲気の中でぼんやりと時間を過ごすのもよかった。後で調べて真言宗の由緒ある古いお寺であることを知った。


            山門


            池と橋


            本堂


           本堂の横から

江戸後期の街並み竹原市

2007-11-29 09:13:21 | Weblog
 山陽本線竹原駅の東側を流れる本川に沿って、江戸時代の町並みが残されている竹原町並み保存地区を訪ねた。


          頼山陽の像

 新港橋を渡った所にこの像がある。竹原は頼家発祥の地。ここに来て頼山陽の名前の意味が実感としてよく分かった。 



 江戸時代後期の建物が残る白壁の町並み。


    郵便制度が出来た当初の郵便局。



 路地の両側にも白と黒で構成された美しい町並みがある。


サラワク・カルチュアル・ビレッジ(続)

2007-11-28 06:44:52 | Weblog


 小さな劇場があり、民族衣装の踊り子達が踊りを踊り、吹き矢の名人がその技を披露した。最後は観光客を舞台に上げて、一緒に踊り舞台と客が交流する。



 最も印象に残った建物。どうも村の若者達?の合宿所らしい。建物の中は円形で、壁に沿ってベット?が放射状に置かれている。中心部は広間である。屋根の中心部は突出して見えるが、ここのところの天井には、髑髏がいくつもぶら下がっていた。首狩りを行っていた当時の戦利品らしい。毎晩、髑髏が見えるベットに寝て、戦いの勇気や闘争心を養ったのだろうか。



 中国人の古い農家。ボルネオ島にも古くから中国人が進出していたのだろう。


       小さな川にかかった竹の橋。



サラワク・カルチュアル・ビレッジ

2007-11-27 06:21:05 | Weblog


 クチンから日帰りで行けるカルチュアル・ビレッジは、小さな湖の周囲にいろいろな風習の民族の民家を集めたいわば民族村である。
 

 
 建物はかなり大きく、多くの家族が一緒に住むようになっている。梯子で二階へ出入りするから、夜は梯子をはずしておけば、突然の襲撃に対する防禦になり、高床が洪水も防ぐことは言うまでもない。



 工芸品を展示した部屋。



 ゲームをする子供達。ビー玉くらいの小さな玉と長さ1メートルくらいの細長い木製の用具を使って遊ぶ。マレイシアでも店で売っているのを見たことがある。






クチンサラワク川

2007-11-26 06:59:30 | Weblog
ボルネオ島クチンを訪れたのは、7、8年前になる。



 サラワク河畔から見たホテル。宿泊したのは右端のホテル。




 ウォーターフロント。川岸の遊歩道はホテル群まで続いている。



 夕暮れのサラワク川。ここは橋がなく、渡し舟で対岸にわたった。船が遊覧船だったら、乗ればよかった。



 マリゲリータ砦。植民地時代の砦。現在は、警察の博物館になり、武器の展示場になっていた。周囲の風景に似合わない殺風景な展示会場だった。



おのみち文学の館

2007-11-24 08:23:19 | Weblog
 ロープウェイ山頂駅から「文学のこみち」を下り、中村健吉旧居、「おのみち文学の館」の一つである文学記念室を訪ねた。


 
 歌人中村健吉は、病気療養のため千光寺公園下の別荘を借り、広島からここに転地したが、昭和九年に亡くなられた。その別荘が中村健吉旧居として残されている。すぐ近くに歌碑がある。


      「おのみち文学の館」の碑

 この碑文には、志賀直哉旧居、中村健吉旧居、文学公園および文学記念室をおのみち文学の館とする旨の説明がある。

 文学記念室には林芙美子の書斎が復元され、尾道に縁があった作家、歌人達の資料が展示されていた。文芸に疎い私が知っているのは林芙美子、高垣眸くらいである。

 戦時中、少年雑誌に掲載された林芙美子の連載物語を毎月読むのを楽しみにしていた。子供が一人で東海道線の汽車旅をする話であった。絶筆となった「めし」は文庫本でも読んだが、「放浪記」をはじめ他の小説は読んでいない。

 高垣眸の「怪傑黒頭巾」は講談社から文庫本が復刊されている。この作家が尾道出身であることは知らなかった。記念室でいろいろ説明して下さった人の名刺に「高垣」とあったので、尋ねてみると作家と同じ高垣家の人であった。
 
 記念室での話は楽しかった。私達は帰りに、記念室の前で記念写真を撮ってもらった。

 

 坂道を下りていく途中、三月下旬であったが、お寺の庭の桜が少し咲いていた。
 



 

尾道(続)古寺めぐりコースから山頂へ

2007-11-23 06:54:34 | Weblog
 しまなみ観光バスに乗った翌日は、尾道の古寺めぐりコースを歩くことにした。


          白い塀の上の猫

 林芙美子像の少し先から山陽本線の下をくぐり、登り道を行くと石畳の古寺めぐりコースに出た。小雨はやみ、日が差してきた。



 コースの道を左に折れて、登って行くと志賀直哉旧居がある。旧居の中は見学できるが、海が見える縁側に座って少し休憩する。家の北側はなだらかな山の斜面、南側は海を見晴らせる日当たりのよい場所である。小説「暗夜行路」はここで執筆されたそうだ。



 古寺めぐりコースを辿ってさらに先へ歩いて、ロープウェイ山麓駅に着く。ここからはロープウェイに乗る。山頂駅の展望台からは、遠くに新尾道大橋が見え、尾道水道と向島の景観を充分に楽しむことが出来た。



 対岸の造船所に「男たちの大和」のロケセットが見える。今回尾道へ来た主な目的はこのロケセットの見学である。しかし、休日ということで見学は出来なかった。 
 仕方なく、山の上から眺めているのだが、ここからでも大きく見える。実際に海に浮かんでいたときは、大きな艦だったろうと想像する。




 



大山祇神社から尾道へ

2007-11-22 08:39:55 | Weblog
 観光バスは、大三島バスセンターを15時5分に出発して、JR尾道駅に15時55分に戻る。

 今度の旅行には故障していた古いオリンパスのマニュアル一眼レフを修理して持って来た。
 レンズの絞り、シャッター速度、焦点、露出と全部手動だから、一枚撮るのに時間がかかるが、それだけに写真を撮っているという実感がある。
 尾道でもその一眼レフを使った。しかし、撮影後、フィルムを取り出すとき、操作を誤って撮影フィルムは全部だめにした。長い間、使わなかったからである。



 大楠や境内の様子も望遠レンズで撮ったが。 


 大三島と生口島の間にかかる多々羅大橋。四国に行く人たちは、ここでバスを乗り換えていた。この橋を渡って、尾道に戻ることになる。 


 
 バスは尾道に戻ってきた。尾道水道には新、旧二本の大橋がかかっている。向側が、新尾道大橋である。近くにあるので、遠くからは二本の橋があることに気づかなかった。


        尾道駅近くの海岸通り 

JR尾道駅の近くのホテルに宿泊し、翌朝駅に荷物を置いて、町の散策に出た。雲が多く小雨がぱらついていたが、やがて晴れ上がって、日が差してきた。




大三島大山祇神社

2007-11-21 06:30:14 | Weblog

 
 観光バスは、生口島から大三島の大山祇神社に向かう。この神社は「おおやまづみ」神社と読むそうだが、難しい読み方である。後で調べると、御祭神は大山積大神といい、山の神々の親神であると説明があった。


       簡素な造りの本殿。



 乎知命(おちのみこと)お手植えと伝えられる樹齢2600年の大楠。古い歴史を持つこの神社の貫禄を示しているようだ。
 

            斎田

 この神社では、斎田に苗を植えて豊作を祈り、秋には収穫を感謝する行事が、古くから行われてきた。これらの行事の際には、広場で一人相撲が神様に奉納されるという。
 秋の抜き穂祭りでは、稲の穂をしごいて収穫するのだろうか。以前、片手に持って稲をしごく弥生時代の農具は見たことがある。遠い昔の村々の農作業や神事が、今に伝えられているのではないかと思った。
 この神社の宝物館には、義経が寄進した鎧や多くの武将達の武具などが展示されているそうだ。海事博物館もあるので、神社の行事が行われている時期にもう一度訪れてみたい魅力ある場所だ。




しまなみ海道耕三寺

2007-11-20 07:09:30 | Weblog
 山陽本線福山駅前から日帰り観光バス「しまなみ海道」号に乗り、耕三寺、平山郁夫美術館、大山祇神社を巡り、尾道に戻って一泊し、翌日尾道を観光することにした。


   新幹線福山駅ホームから見る福山城。

 福山駅はいつも通過するだけ。この日は駅に下りたので写真を撮った。この福山城や鞆の浦にもいつか行ってみたいと思う。観光バスは9時25分に福山駅前を出発、途中山陽本線尾道駅に寄って観光客を乗せる。


 
 写真左は尾道、国道2号線と山陽本線が走っている。尾道水道を挟んで対岸は向島。バスは尾道水道にかかる尾道大橋を渡り、耕三寺、平山郁夫美術館のある生口島に向かう。



 耕三寺は一度来て見たいと思っていた。橋のない時代は船で行くのが億劫だった。尾道からの橋が出来たお陰で気軽に行けるようになった。瀬戸内海の橋の建設に批判もあるが、利用する側は橋はあった方がいい。境内は工事中らしく何か白い大きな部材がおかれていた。


  
 平山郁夫美術館は、耕三寺を出てすぐのところにある。館内をゆっくり見てまわり、気に入った写真立てを見つけたので、画伯が描かれた生口橋の絵の写真を入れて記念に購入した。