みみずくの日記

旅行記録などに関する感想を書く。

巌流島にて

2008-10-12 12:45:13 | Weblog
 平凡社出版の雑誌「太陽」1973年5月号の特集「吉川英治・宮本武蔵」に、今から三十数年前の巌流島の写真が掲載されている。造船所の船やクレーンなどが見えないような角度から撮られ、自然のままの島という印象を受ける写真である。現在は観光船の船着場や魚釣り用の堤防が設けられ、トイレや休憩所の家屋もあって、人工的な手が加わり、整備された観光の島という印象を受ける。



 吉川英治「随筆宮本武蔵」によると、明治の土地台帳では、広さ五百坪程度の小さな島となっているそうだ。現在の島は埋め立てで随分広くなっているようだ。島の様子は昔と変わってしまったが、島の北にあるこの丘だけは余り変わらず、武蔵と小次郎の試合や島の変遷を見てきたに違いない。試合の場所は島の中央からやや南よりだったらしいと随筆には書かれている。それがどのあたりになるのかと勝手な空想をする。
 


 「佐々木巌流之碑」と書かれた質素な石碑が丘の木立の端に建てられている。風化した石碑を眺めていると、試合の勝敗を越えて、時が流れて行くのを感じた。 



 小高い場所にある武蔵と小次郎の決闘の銅像。 



 人工の砂浜だろうが、浜の真ん中に小船が乗り捨てられたように置かれている。
 


 大理石の船首の彫刻は、船島と呼ばれていた巌流島と武蔵が乗ってきた小船を表しているのだろうか。


 
 島の北端に「船島神社」の額がかかった小さな祠がある。この日は、地元の人たちによる清掃活動が行われていた。島の他の場所でも手分けして、草取りなどの清掃活動を行っていたようだった。