みみずくの日記

旅行記録などに関する感想を書く。

礼文島桃岩

2007-09-30 10:24:58 | Weblog
 スコトン岬からバスは香深へ来た道を引き返す。左前方には湾を隔てて低いなだらかな丘陵が伸び、先端は金田ノ岬である。自衛隊基地のレーダードームが見える。ここにはかつて民間空港があったが、使用中止となり現在は緊急用としてのみ使用されているそうだ。
 海岸沿いの道を香深まで戻り、今度は山間部の道に入り、島を横切って西海岸に向かう。カーブの多い坂道である。トンネルを抜け、桃岩の下の道を行くと展望台につく。


 
 展望台から見ると桃の形に見える。アイヌの古戦場であると聞いたが詳しいことは分からない。



 展望台から北方向の元地海岸。礼文島は山が直ぐ海に入り、平地の少ない島である。この海岸を行くとメノウが採れるところがあるという。行ってみたいが、観光バスでは無理である。



 元地海岸と反対方向にある海中の猫岩。

スコトン岬

2007-09-29 08:45:20 | Weblog


 東海岸の道路から山間部に入り、スコトン岬に行く途中に丘陵地帯が広がっている。バスガイドの話ではここはかつて森林だったが、山火事で焼けた後、厳しい自然条件のために再び樹木が育たなかったそうである。広々とした丘陵地帯は阿蘇・九重の高原を思わせる。



 最北限のスコトン岬。観光バスが着くとここは記念撮影で混雑するが、それも暫くすると誰もいなくなる。

  

 スコトン岬の標識から少し戻ると民宿があった。帰ってインターネットで調べると海辺から撮ったこの民宿の写真と紹介記事があった。道をもう少し戻ると売店があり、バスガイドお勧めの「昆布のアイスクリーム」を買った。道路端に「下に民家があります。石を投げないでください」という看板があった。写真左上に見える岩にゴマフアザラシがいた。
 

礼文島の岬へ

2007-09-28 09:36:20 | Weblog

 
 礼文島のスコトン岬への途中に日食記念碑がある。昭和23年皆既日食の観測が礼文島で行われたことは記憶にある。私はこの日食観測で礼文島の名前を知った。当時日本は占領下であり、私は中学生だった。あれから60年たった。
 
 碑の中央の円は太陽の円環を表し、左右の部分は部分食を表しているという。徐行するバスから写真を撮った。



 スカイ岬の展望台から見た西海岸の断崖。礼文島の西海岸には道路がなく、北端のスコトン岬から西海岸沿いにトレッキングコースがあるだけだ。全コース8時間で相当にきついとバスガイドは説明していた。展望台は西上泊の漁港から登った丘の上にある。トマリはアイヌ語で入り江を意味するそうだが、この風景を見てなるほどと思う。

利尻から礼文へ

2007-09-27 09:07:44 | Weblog
 9月13日 利尻島鴛泊港13時15分発、礼文島香深港13時55分着のフェリーで礼文島に行く。40分の距離である。フェリーは午前、午後各1便であり、冬は午後の便だけである。便数や出港時刻が季節によって変わるのは、いかにも日本最北の島らしい。

 フェリー料金は2等780円、1等1,520円となっている。これが稚内と礼文間では2等2,200円、1等4,400円と料金はいずれも倍である。ほとんどの乗客は2等船室を利用して、最上階で広いスペースの1等船室の乗客は少ないようだった。

 40分の乗船時間に倍以上の料金を払う人はあまりいないようだが、6月の利尻・礼文は観光客で溢れ、フェリーも満員で、乗客は通路に新聞紙を敷いて座ると聞いて、1等を利用する理由が分かるような気がした。所要時間が2時間近い稚内・香深間では利用客はもっと多いかも知れない。

 利尻島から見て礼文島は全体が平らな島である。観光タクシーの運転手から今夜泊まるM観光ホテルは、小さく見えている香深の町の右側にある白いビルと聞いて、双眼鏡を覗くと白いビルが見えていた。


 香深フェリーターミナル。小雨が降っていた。礼文島ではレンタカーで周ろうとも考えていたが、利尻の観光タクシーの運転手から危険だといわれた。実際、観光バスに乗ってみてその通りだと思った。
 14日に乗る観光バスは、9時40分に香深ターミナルを出発して、12時40分に帰って来る。13時05分に稚内行きのフェリーに乗る予定で食事の時間がない。海岸通りのパン屋で明日の昼食用のパンを買った。

白老ポロトコタンのアイヌの家で

2007-09-26 06:13:54 | Weblog

 
 アイヌ民族博物館の敷地には昔のアイヌの家が建てられている。家の形はみな同じで茅葺である。現在では屋根の材料である茅は少なくなり、このような家を建てるとなると普通の民家を建てる費用よりずっと高くつくらしい。

 囲炉裏の上の天井には大きさ50センチくらいの鮭が何匹もつるされて鮭の燻製を作っていた。一匹4500円で売るということであった。



 観光客を一軒の家に集めて、中年のアイヌ男性の人がアイヌの生活について語り、アイヌ女性の人たちは楽器を演奏し、踊りを披露してくれた。NHKテレビの「日本縦断鉄道の旅」で、関口知宏さんがアイヌの人たちとここで一緒に踊っているのを見て、私もここに来たのだ。

 アイヌの男性が、アイヌの生活について語った話の中で、われわれは皆さんと同じ家に住み、同じ言葉を話し、同じものを食べていると話したのが印象に残った。少数民族の哀しい歴史がこの話しの中に反映されていると思った。

 北海道の地名はほとんどがアイヌ語であると彼は語っていた。漢字をあてた北海道の地名の多くは読めない。しかし、永い歴史を持つアイヌ語の地名は意味が分からなくても、美しく響いて聞こえる。これに対して、最近の市町村合併で新しくできた地名はあまり好きにはなれない。アイヌ語の簡単な手引きを売店で探したが見当たらなかった。

 

 
 

白老ポロトコタン

2007-09-25 09:02:29 | Weblog
 9月16日室蘭本線白老駅で息子夫婦と落ち合う。洒落た感じの駅舎である。
 
 ここから苫小牧の方へ鉄道沿いの道を走ると直ぐにアイヌ民族博物館がある。

 このアイヌ民族博物館のことはNHKテレビの「鉄道の旅」番組で知った。入園するとアイヌ男性の大きな像があり、「しらおいポロトコタン」と看板がかかっている。「ポロ」は大きい、「ト」が湖、「コタン」が村の意味であると教えてもらった。博物館の敷地の横には湖があり、対岸にも観光施設らしい建物があった。

 売店で見たアイヌ民族の半纏のデザインは魅力があった。冬に家で愛用するのもいいと思ったが、値段が少し高い。家内もいい顔をしないので、記念にふくろうの彫り物を買って我慢することにした。家内は息子夫婦へ土産にともう少し大きい同じふくろうの彫り物を買った。


仙台藩白老元陣屋

2007-09-23 08:53:43 | Weblog

 旅の最終日9月16日は白老町。この町のアイヌ民族博物館と仙台藩白老元陣屋を訪ねた。デジカメの電池が切れ、写真が撮れなかったので、陣屋資料博物館のカタログ表紙を三枚の写真に分けた。

 1856年、エソ゜地の警備のために幕府の命で仙台藩は白老、広尾、厚岸、根室、択捉、国後に陣屋を置いた。陣屋とあるので大名の江戸藩邸のようなイメージを描いていたのは間違いだった。西部劇で見る砦と同じで、当時の軍事基地である。

 
 円形の内曲輪には本陣、勘定所、穀蔵などの建物跡があり、敷地は2mくらいの高さの土塁に囲まれており、土塁の外側には堀が残っていた。厠の建物跡の近くに井戸跡があったのは少し意外だった。
 
 土塁の上には木の柵が設けられていたことが下の絵からも分かる。熊などの侵入にも備えたのだろう。

 写真下の道路を右に進むと内陸部に入っていく。その先に自衛隊の駐屯地がある。現在も昔も軍事の要衝の地は同じであることは面白い。


 

利尻の旅2

2007-09-21 19:16:07 | Weblog
 
 ペシ岬から見た鴛泊海岸の漁村。家の裏に船があり直ぐ海に出られる。台風の心配が余りない最北の島の海岸風景である。正面のビルは宿泊した北国ホテル。
 

 沓形の会津藩士の墓。背後の利尻山は雲が覆っている。19世紀の初頭、ロシア人が利尻島に上陸し、島民を襲撃する事件があり、幕府の命で会津藩が樺太、宗谷、利尻などに警備に当たった。病気、遭難などで亡くなった藩士の墓碑が鴛泊、本泊などの三箇所にある。 


 ホテルから見えた利尻山。
 美しい利尻山が見られると期待していた。しかし、熱帯低気圧となった台風が通過した後だったので、いつも利尻山には雲がかかっていた。朝五時ごろ山頂が顔を見せたが、直ぐに雲に隠れてしまった。


利尻の旅1

2007-09-20 06:37:59 | Weblog
 車で3時間かけて利尻島を一周した。天気はよかったが、利尻山は雲がかかっていて山頂は見えなかった。


 鬼脇の国勝川(?)の川口では産卵を終えた鮭がいた。この先は直ぐ海である。これらの鮭は海に戻らずそのまま死んでしまう。弱った鮭を狙う海鳥が直ぐ横に何羽もいた。


 仙法志御崎公園の海岸。海岸の多くの所でこのような昆布が見られた。生えている昆布でも古いのは食べられないそうである。
 

 噴火による溶岩が荒々しい海岸の風景を作り出している。鉢巻をしたアイヌの男の横顔を連想させる人面岩。前方は西海岸沓形の家々である。


利尻島ペシ岬

2007-09-19 09:02:12 | Weblog
 9月11日15時、利尻島鴛泊の北国ホテルにチェックイン。夕食まで時間があるので近くの鴛泊港まで散歩に出た。


 道沿いの民家の間から見えるペシ岬。ペシはアイヌ語で断崖の意味という。


 ペシ岬の標高は93m。頂上までの道はあり、灯台が置かれている。


 ペシ岬の海岸で見た黄色い花。多分高山植物と思うが、名前は分からない。