太宰府市のNPO法人が実施している「歩かんね大宰府」という催しに「水城跡をまるごと踏破しよう」というコースがあったので参加した。水城は七世紀後半、白村江敗戦の翌年、大宰府防衛の為に築かれたもので、貰ったパンフレットには、「横たわる山の如し」と古人が感嘆したとあった。
水城にもっとも近い駅は、JR鹿児島本線水城駅である。駅を降りてすぐ近くに水城があるが、訪れたことはなかった。今回はガイドさんと一緒に歩くので、いろいろな説明が聞けると思い参加した。
西鉄大牟田線下大利駅を出発して、水城の東端近くにある展望台(標高80m)に向かった。自動車や電車の中からは、水城の姿をゆっくり見ることができないが、展望台からは、全長1.2kmの水城が西へ真直ぐに伸びて、自然丘陵につながり、T字形になって様子がよく分かる。 平野のもっとも狭い部分に作られているので、福岡市から南へ向かう主要な交通路はすべてここを通っている。高速道路のすぐ横を流れている御笠川も水城を横切って右方にある博多湾へ注いでいる。
展望台から林の中の道を下って行くと、福岡空港へ行く道路が水城を横切っている所に出た。ここを下りると、道路の手前に水城の東門跡があり、道を挟んだ向こう側に小さな祠があった。外敵を防ぐ守護神が祭ってあったらしい。堤の両側には、土砂の崩壊を防ぐために段が設けられている。敵が攻めてくる北側(右側)の段は、幅は狭くて上からは見えないが、左の南側は兵士が滞在する場所なので、幅広く作られている。
水城東門跡の石碑。説明板の後ろに東門の礎石がある。東門跡の横の道は、水城が築かれた当時もあった古くからの道かも知れない。
北側から見る水城。北側には幅数十間の堀があったというから、このあたりも堀であったかも知れない。右手の奥に九州自動車道路が見える。
水城の南側の段。ガイドさんによると、左の畑と段の境の小道は、本来、真っ直ぐであった筈だが、曲がりくねっているのは、大雨による土砂崩れによるものだという。堤の斜面を登り、森の中を西に向かって歩くと、高速道路が水城を横切る所に出た。
展望台から見ただけでは分からないが、高速道路が水城を横切っている所では、堤はかなり途切れている。高速道路の横を流れているのが御笠川である。高速道路の手前で堤を下りて、南に大きく迂回し、御笠川の橋を渡り、再び、川岸に沿って堤に向かった。
高速道路と御笠川によって途切れた水城が、再びここから始まる。
斜面を登り、堤の上に出る。
堤の上を西へ向かう。樹木が生い茂って、外の見通しはまったくない。
鹿児島本線水城駅ホームと水城
鹿児島本線が水城を横切って、再び、堤は途切れる。駅ができた大正初期、この場所を描いたスケッチをガイドさんから見せてもらったが、ここの様子はほとんど変わっていない。
水城駅から再び水城の堤に沿って西へ歩き、堤を横切る道を通って、水城西門跡に向かう。
西門跡の礎石
水城の東西それぞれに門があったことを初めて知った。ガイドさんの説明によると、西門は3期にわたって建て替えられたそうである。平安時代の瓦も出土したという。西門から北へ伸びる古代の道路跡も残っていた。
西門跡からさらに西へ歩き、少し小高いところにある望楼跡に来た。以前は、ここからの眺望は良かったらしいが、現在では、大型マンションに視野が随分妨げられている。この辺が水城の西の端らしいが、自然丘陵との境界ははっきり分からなかった。ガイドさんに確かめておけばよかった。
水城の全長は1.2キロであるが、途中、史跡に立ち寄ったり、迂回したりしたので、全行程は7キロ、所要時間は約3.5時間になったが、楽しい半日だった。