3月16日
今日も午後から、半蔵門の写真協会へ先週に終わった審査後の残務整理の
作業のため足を運ぶ。
この作業の内容を書いても、意味がないので止めにする。
そこで北陸新幹線で走り始めた、「はくたか」号の歴史を探って見る。
「はくたか」号は、1965年10月に大阪から日本海沿いに青森・上野まで
走り始めた特急「白鳥」号の流れで生まれた特急である。
当初の特急「白鳥」は、大阪を出発して直江津で青森行と上野行(信越白鳥)に
分割して運行されていた。
その後特急「白鳥」の系統分割と経路変更がされ、大阪―青森間の特急となり、
新しく金沢―長岡―上野行の特急が誕生した。
それが上野―金沢間(上越線経由)の特急「はくたか」号で1往復の運転を
開始したのである。この時も仕業されたのはキハ82系気動車である。
その後485系『こだま形』の電車になったが、1982年に廃止される。
1997年(平成9年)3月22日に北越急行「ほくほく線」の開業により、
上越新幹線と北陸を接続する特急列車として「はくたか」の愛称が蘇る。
そして3月13日に北越急行の「はくたか」は、北陸新幹線の「はくたか」に
愛称を譲ったのである。
写真は、1970年『大阪万博』を見学に行き、帰路に北陸方面を乗り鉄して
上野まで帰った。
金沢駅に停車中のキハ82系の初代「はくたか」号である。
(「はくたか」の略歴はかなり省略しているので誤りがあるかも知れません)
今日も午後から、半蔵門の写真協会へ先週に終わった審査後の残務整理の
作業のため足を運ぶ。
この作業の内容を書いても、意味がないので止めにする。
そこで北陸新幹線で走り始めた、「はくたか」号の歴史を探って見る。
「はくたか」号は、1965年10月に大阪から日本海沿いに青森・上野まで
走り始めた特急「白鳥」号の流れで生まれた特急である。
当初の特急「白鳥」は、大阪を出発して直江津で青森行と上野行(信越白鳥)に
分割して運行されていた。
その後特急「白鳥」の系統分割と経路変更がされ、大阪―青森間の特急となり、
新しく金沢―長岡―上野行の特急が誕生した。
それが上野―金沢間(上越線経由)の特急「はくたか」号で1往復の運転を
開始したのである。この時も仕業されたのはキハ82系気動車である。
その後485系『こだま形』の電車になったが、1982年に廃止される。
1997年(平成9年)3月22日に北越急行「ほくほく線」の開業により、
上越新幹線と北陸を接続する特急列車として「はくたか」の愛称が蘇る。
そして3月13日に北越急行の「はくたか」は、北陸新幹線の「はくたか」に
愛称を譲ったのである。
写真は、1970年『大阪万博』を見学に行き、帰路に北陸方面を乗り鉄して
上野まで帰った。
金沢駅に停車中のキハ82系の初代「はくたか」号である。
(「はくたか」の略歴はかなり省略しているので誤りがあるかも知れません)