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若海家の先の交差点を過ぎると、道は右にカーブするが、その左側に集会所があった。
「十王堂は、若海氏一族が建てたもので、墓地には若海貞典が宝永6(1709)に建てた両手に宝珠を抱えた珍しい型の石仏や、同平蔵が安永5年(1776)に立てた立派な宝篋印塔がある。もちろん若海玄旦の墓もある。入口には、昭和39年に霊園整理委員会や篤志者が建てた「戦没者追悼の碑」もある。」
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墓地の入口手前の右側に大きな石碑がある。これが「戦没者追悼の碑」である。
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入口左の塀際には、小さな六地蔵が並んでいた。
ちょっとユーモラスな顔の可愛らしい地蔵さんである。
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墓地の中ほどに、宝篋印塔があった。
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両手に宝珠を抱えた石仏も、高い台座の上にあったのですぐ分かった。