と書かれているが、地図を見てもそれらしいものがない。
神明神社はかなり違う所にあった。
光明寺跡から、馬頭観音のある交差点に戻り右折する。
200メートルほど先に信号のある交差点があった。
山畑家の前を西進すると、この交差点に出る。
ここを左折し東進、400メートルほど行ったところで右折する。
道は北小畦川に架かる下田橋にでる。
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橋の直ぐ手前左側に、ガードレールが切れたところがあった。
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そこへ行って見ると階段があり、下には石の鳥居があった。
ここが神明神社であった。北小畔川の土手の直ぐ脇である。
「散歩」の記述が違うのか、それとも移設されたのだろうか。
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階段の左下に3体の石仏があった。
「傍には地蔵が二体あり、文化三年(1806)と文政九年(1826)と記してある。いずれも黒浜、上式、猿ヶ谷戸の念仏講が建てたものである。」
中央は石橋供養塔だったので、両側がその地蔵だろうか。
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鳥居の奥には、小さな社殿があった。
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社殿の左後方を見ると、農地の先に山畑家の大きなケヤキが見えた。
「散歩」の《32》霞ヶ関C・Cから北小畔側周辺は、この神明神社で終わる。