気ままな生活 一枚の写真

一枚の写真からプログが始まればと思っています。

道南ドライブ記 ③

2009-05-25 17:27:32 | 写真(風景)

ETC割引での道南ドライブの目的「江差」
開陽丸を見学後江差の町並みへと移りました
 
観光案内の看板をみて「いにしえ街道」とあったのでそちらへ歩いてみました
ありました!「中村家」実は28年前の学生時代函館の同級生につれられ
江差に来たことがあるのです、その記憶はこの中村家、後の記憶はすっかり・・・
そこことが道南江差へドライブとなったのでしょう
       
中村家
江戸時代から日本海沿岸の漁家を相手に、海産物の仲買商を営んでいた
近江商人の大橋宇兵衛が建てたものです。
 家屋は、当時江差と北陸を往復していた北前船で運んできた笏谷石しゃくだにいし)を
積み上げた土台に、総ヒノキアスナロ(ヒバ)切妻造りの大きな二階建ての母屋、
さらに母屋から浜側まで文庫倉、下の倉、ハネ出しまで続く
通り庭株式で当時の問屋建築の代表的な造りとなっています。

   
平面図                     文庫倉と下の倉の間
  
下の倉入口                 展示品
   
横山家
横山家は初代から数えること200年が経過しています。初代は天明6年(1786年)現在地に
おいて漁業、商業、回船問屋を営んでいました。
現在の建物は今から約160年前に建てられた家屋で、昭和38年に道の文化財指定。
横山家では明神丸(みょうじんまる)という船を持っていました。北前船は大きいので沖に停泊、
小さな船に荷物を移して、はね出しまで荷物を運んでいました。
明治のはじめの頃は、このような網元の家が軒を連ねて並んでいましたが、今ではここ1件だけ
 
江差いにしえ街道」
                         
アネロイド気圧計
昭和3年に関川家が町に寄贈したアネロイド気圧計は直径30センチの盤面で、
長針が、シケ、雨、ぐずつく、晴れ、カラカラ等を表す英語を指針する仕組みになっている。
当時、気圧計をもっていたのは、浜の親方だけだったので、漁師たちが出漁前に針をのぞいて
天気予報に役立てていた

 
「江差いにしえ街道」
明治初期まで北前船によるニシン漁とその取引と檜材交易で栄えた町「江差」。
その隆盛を極めた建造物(問屋蔵・商家・町屋・社寺)が海岸線沿いの下町に多く、そのまま残されて
この歴史的建造物を後世に伝え、かつ多くの人に見ていただこうと、
いにしえ街道」として情緒あふれる個性的な街並みとして大きく変えたとのこと
  
檜山爾志郡役所          土方歳三・嘆きの松
檜山爾志郡役所:
 明治20年(1887年)11月に檜山爾志郡役所兼江差警察署庁舎として道内唯一現存する
郡役所庁舎で、全国で25棟しか残されていない貴重な建物のひとつです。
嘆きの松:
土方は、ここで榎本と沈んでいく開陽丸を見つめ、この松をこぶしで叩きながら男泣きに泣いたといい、幹にはこぶし大の瘤(こぶ)があり、土方が叩いた跡だというのだ。
  
かもめ島(弁天島)と 瓶子岩(へいしいわ)   
 かもめ島がまだ弁天島と呼ばれていたころ、海路江差までたどり着いた北前船が江差に錨を下ろした
場所は、日本海の荒波から船を守るかもめ島の内海でした。
島の岩盤に細工した柱を入れロープを通し係留している写真(右)
画像 2009-05-05 江差


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