ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

許された者のごとく見送りぬやがて娶らむ君の背中を

2022年08月13日 11時07分24秒 | owarai
 
 
 
 
 
【女はすぐ過去の男を
      忘れられる】

一口に失恋といっても、
男と女とではかなり違い
がある。

女は現在幸せで充実した
恋をしていれば、以前の男の
ことなんか忘れてしまうところ
がある。

男はそういかない。意外にいつ
までも、過去の女性の面影を
引きずって歩いてゆくところが
ある。


セックスでも、実際には女のほう
が男よりも動物的。男のセックス
はもっと知的、というか、単なる
生理的営みいうことからちょっと
離れた夢、ロマンみたいな部分を
求める。

女性は生理的に、新しい恋人が
できれば古い男のことなんか
忘れてしまえる

 失恋した場合でも女は一時的
にかなり傷つくけれど、立ち直る
のも早い。次の男が現れるや、
もう古傷なんかなんのその、
前の男が生きているのか死
んでいるのかさえ興味がなく
なってしまう。

それが女というものの本性
なのである。

女がこんなふうに水くさくでき
ていること、それはあながち
非難できない。

というのもそれは女が、自分
で自分を守ろうという本能から
発したものであるという気が
するからだ。

実際、女の心と躰は、男のよう
にいつまでも昔のことを引き
ずっていたら、生きてゆけない。
故に、神さまがそのように作って
くださった配慮なのだろう。

 男の場合は「オレは百人の女
を知っている」というと、英雄色
ヲ好ムで勲章になるけれど、
女が「男を百人知っています」
などど言っても自慢の端くれ
にもならない。

そういう意味でも女は過去の
ことを忘れられないと生きて
いられない。

処女を捧げた男のことが生涯
忘れられません、なんてやって
いたら、次の恋とは生きていけ
ないのである。

 神さまは実にうまく作ってくだ
さった。自分のなかの女を大事
に守ってゆくために、前のこと
をすっぽり忘れられる生理を
プラスして。

つまりこういう具合に失恋といって
も、男と女では様子が違うので
ある。
 

「自分が“最初の一人”になってみる」

2022年08月13日 11時04分49秒 | owarai

 

 

手をローソクの火に照らしてみる
と、灯りのほうを向いている側は
明るく、手の裏のほうは暗い。

どちらでも手であるのに、灯りが
当たっているか否かで、明暗が分
かれます。

この世も同じで、明暗、暗くは
表裏一体です。自らの人生を明るく
したければ、明るい気持で、明るい
ほうを向いて歩き続ければよいの
です。

ところが、人間の心には善心と悪
心とがあり、煩悩とか欲望という
悪心の殻が善心を被い隠していま
す。

この煩悩とか欲望の殻を破ると、
自然と人間の本性である善心=
忘己利他(己を忘れて他を利するは、
慈悲の心なり)の心が現われて
くるのではないでしょうか。

難しい話はおいても、不平・不満・
愚痴を言うことをやめて、常にプ
ラスの氣を発散して明るく生きる
ことです。

いかに暗い世の中であろうとも、
まず自ら一本のローソクとなれば、
少なくとも自分の周りは明るく
することができます。

その火を次々と隣りの人に移して
いけば、この世は次第に明るくなっ
ていきます。

他のせいにせず、まず自分が一隅
を照らす努力をすることが大切だ
と思います。

自分が最初の一人になることです。


頭の中に爬虫類が住んでいる

2022年08月13日 08時55分23秒 | owarai

 

 

 

アメリカ国立精神衛生研究所の
ポール・マクリーン博士は、
人間の脳は三層になっていると
いう。

最も深い部分 爬虫類
        ↓
つぎの層は  哺乳類
  ↓
いちばん外側が霊長類脳

爬虫類の行動は「攻撃行動」「縄張
争い」「いやがらせ」「儀式行動」
「かっぱらい」「おどし」

哺乳類行動は「愛情」「性行為」「母性
本能」「集団行動」「暴行」

霊長類「知覚機能」「行動の抑制と
遂行」「熟考」「知性の行動」「未来の
予測」

だれでも、いつ悪人になるか、善人
になるかわからない。

すぐそばにワニやサメがウヨウヨ
しているかも!?

気があわない人がいたら、

人間だと思うと腹も立つが、霊長類や
哺乳類じゃ仕方がないと思うと、
考え方もかわってくるかもしれない。


消されてゆく愛の言葉をうながしているや水音高き鴨川  >「満員電車に揺られて・・・」

2022年08月13日 08時52分28秒 | owarai

 

暮れなずむ空を映した窓の
外に、わたしの乗っている
電車と並んで走っている
電車が見える時、

わたしは思わず爪先立ちに
なり、首を伸ばして、その
電車にわたしの尋ね人が
乗っていないかどうか、
探していることがある。

わたしと同じように乗降口
に立ち、ガラス窓に額を
くっつけて、

その人もまた、わたしの
姿を探しているのではない
かと。そんな奇跡など、
起こるはずがないとわか
っているのに。