ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

二度とつなぐことのない手 ー写真掲載ー

2018年06月06日 19時01分02秒 | owarai
飛行機が成田に着いて、離して
しまえばもうそれきり、二度と
つなぐことのない手だったけれど。


あの時の律の手のぬくもりは、
今でも胸の奥に、
胸の奥にある小部屋に、ひっそりと、
残っているような気がする。

だからその部屋のドアを開ければ、
そこにはいつでも、あたたかな
風が吹いていて、

たんぽぽが一輪、咲いている・・・・・。


YouTube
「さよならの向こう側」feat.TeN

https://www.youtube.com/watch?v=bfktNInTJFI

幸せの気分

2018年06月06日 15時28分37秒 | owarai

幸せの実感と、幸せの予感の
繰り返し。

いい日とつらい日は、
こうたいこうたいにやってくる。

いい日は、幸せな気分に思い
きりひたる。

つらい日は、明日起こるすてきな
ことを、思い浮かべ
うきうきするんだ。
(ちと、能天気だが(笑 )


お休みの日は楽しいでしょ、
お休みの前の日も
楽しいのと同じだから。

 


元気でない自分」も認めて

2018年06月06日 14時25分32秒 | owarai

どんな元気な人でも、
元気でない時があります。

元気でないときに、
「元気でない自分」を自分で
許せなくなると、
ストレスになります。

でも、他人や自分が思い込
んでいる自分を、24時間、
演じ続ける必要はないのです。

皆の中にいる時と、自分一人で
いるときが同じでなくてもいいの
です。

「優しくない自分」「意志が弱い
自分」「だらしない自分」「ネガティ
ブな自分」「やる気のない自分」

も時には認めてあげましょう。

プロレスだって、反則は3秒まで
許されるのです。

ボクシングもそう(笑
紳士のスポーツ、ゴルフでさえ
「OK」というルールがあるので
すから。
元気な人ほど、疲れます。

元気を回復するために、元気で
ない時間、一人泣いたっていいの
です。

「前向きでない自分」も
時に認めてあげましょ。

 

 


迷ってしまったら!?

2018年06月06日 11時51分57秒 | owarai

人間が生きていくうえで、予
測できたときに、予測できる
ことを確認しても始まらない。

予測できたときに、想像通り
になる人生は、やってみる必要
はない。

想像できないものがあったとき
に、想像できない何かをやって
みて初めて、

「ああ、こうなるんだ」ってわかる。

それが人生なんだ。

内容を知っているストーリーを
読んで、おもしろいかなぁと
いうこと。

結論を知らないから、ドキドキ、
ハラハラするわけで、ピンチが
あって、それを乗り越えるから
いい、

そういうもんじゃないだろうか。

「世間の常識が」とか「世間の
目が」とか言うけど、そんなも
のも最初からないんだよ。

やってみたら、なんでもありな
んだよ。


※人生は選択の連続なんだ。
ハムレットの「To be or not
to be ~」

「生きるべきか、死ぬべきか、
それが問題だ」

つかこうへい流なら
「日和(ひよ)るめぇか、
日和らざるめぇか」

 


恋人とけんかするのは2人がより親しくなる試練なんだ

2018年06月06日 08時25分50秒 | owarai
気分直しに、歌舞伎でも
見に行きませんか。

初めてのものに接する
ときは、大切なことが二つ
ある。

一つは、後でちゃんと説明
してくれる人と一緒に行くこ
と。

もう一つはおもしろい作品を
見ること。

おもしろいのは「新八犬伝」かな、

戦国時代に、美人の御姫様を
八房(はつふさ)(家で飼ってい
た愛犬)が敵の首を取って

伏姫(ふせひめ)をお嫁さんに
してしまう。

姫を好きな武将の金鉄碗大輔
が助けに撃った弾が伏姫に当た
り死んでしまう。

そのときに、伏姫は、犬の八房
との間に子供をみごもっていた。

撃たれた拍子に、伏姫の体から
「仁」「義」「礼」「智」「忠」「信」「孝」
「悌」という文字が浮き出る8つの珠
をそれぞれ持つ、

8人の子供が日本中に散らばる。

そこで撃った武将が出家して
八犬士を探して回るストーリー。

金鉄碗大輔は、
「これから伏姫と私の間に、いろん
な苦難が訪れるだろう。それは
私たちの絆を深めるための試練と
受け止めよう」

たくさんの苦難が訪れることを、
先に予言しているんだ。

間違ったといえ、自分で自分の
愛する人を撃って殺してしまった
わけだから。

にもかかわらず、これはもはや
自分とこの世にはいない伏姫と
の純愛の一つの試練のはじまり

だというふうに考える。

そう考えると、
たとえば恋人とけんかをしている
とするじゃない、

このけんかも、2人がより絆を
深める試練にしよう、って考え
るんだ。

僕たちはいつまでつきあえるか
わからないという考え方でいる
んじゃなくて、

僕たちはもう死ぬまでつきあ
おう。

その途中でけんかもきっとする
だろう。

一生つきあおうというスタンスで
つきあっていると、やっぱり違う
と思う。


八犬伝では、最後の一人は、
人を助けるため、目印の珠を
割ってしまう。

その珠のない最後を探すけど

人が出会うということは、目印
じゃないということ、

珠は目に見えるものだけど、珠が
あるから仲間だと信じてもいけ
ないし、珠がないから仲間じゃ
ないと思ってもいけない。

指輪のような目に見えるもの
ではなく、

結局、目に見えない人間の
”絆”がテーマになっている。

毎日顔を合わせて一緒にいる
ことだけが、絆では決してないと
いうこと。