DIVAの思うこと 

静岡県富士宮市 フラワーエッセンスセラピスト カウンセリング 瞑想ワーク。心の癒しや気づきのお手伝いになりますように

おとなでも、こどもでも

2009-06-06 | Weblog
昨日、入院しているおじいちゃんのところへ行ってきました。

もう寝たきりになっているおじいちゃん。

今年に入ってからだから、もう5か月になる。


昨日は母と久しぶりに行ったの。

私たちの顔が見えると起き上がろうとしてた。

声は出ないから、首を縦に振ることでしか、意志表示はできないし、車イスに乗るのにも、補助してもらわないと乗ることもできないの。

来たことはうれしいと思うのだけど、笑顔がない。。。

目はしっかりと開いているのだけど、口はへの字の無表情。


昨日は雨だったから、病院内を車いすで散歩したのだけど、何となく、自分のベットになかなか帰りたがらない感じだった。

それでも、母はそんなことに気づかない様子で、病院内を一周すると、ベットへ帰した。

たぶん、母はおじいちゃんが疲れたと思ったんと思う。

でも、おじいちゃんからするとそうじゃなかったんだよね。

帰ろうとする私たちと見る目は、明らかに、

「もう帰ってしまうの?もう少し居てほしいよ」

と訴えているように感じた。

その目をみてて、私は母におじいちゃんのところにもう少し居ることを勧めた。

おじいちゃんのが安心するように。

おじいちゃんが温もりを感じれるように。


しばらく二人でおじいちゃんを見守りながら、母はおじいちゃんの手を擦って。

最初、への字だったおじいちゃんのお口がふるふると震えていた。

そして、そのうち、安心して寝むってしまった。

その姿を見ながら、なんだか、二人で感動して涙、涙、涙。


たぶんおじいちゃんはずっとさみしかったんだと思った。

病院内にいる時も、そして、元気で生活しているときでも。

満たされず、愛情をいつも欲してたんじゃないのかなって。


20分ほどの眠りから覚めたおじいちゃんは笑顔になっていた。

私たちの帰りには、精一杯の笑顔で、やっと持ち上げた手でバイバイをしていた。


おじいちゃんの心が少し満たされたのかな。

たぶん安心感がほしかったんだと思う。

自分がこの世に存在していて、そして誰かから愛されている、存在を認めてくれている安心感。

それは誰でも本当は必要としてるもの。

こどももおとなでもそれが何よりなんだと思う。

自分の存在の絶対的な肯定。

愛されていることを知ったとき、本当に人は満たされるんだと思う。


昨日の母はおじいちゃんを癒したんだよ。

それは、母だからおじいちゃんにできたこと。

本当にすごいことなんだよ。



本当の癒しって、安心感を与えることなのかもしれないね。
コメント
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