日本通信百科より
丹姓平氏良兼流の長田氏一門の浦野氏の系統である葦敷氏を中心に尾張山田氏(庶家に尾張岡田氏・足助氏)・尾張木田氏・小河氏(庶家に水野氏・毛受氏)・平野氏(三河平氏の大浜氏・永井氏は除く)の諸氏は、満政流八島氏の系統と自称(仮冒)した(『古代氏族系譜集成』(宝賀寿男/古代氏族研究会/1986年)による)。 羽島氏も同じく。
木田氏 (尾張国) : 「尾張木田氏」とも呼ばれる。丹姓平氏良兼流長田氏(尾張平氏)の一門の浦野氏の系統である葦敷氏の庶家。尾張国海東郡木田郷(現在の愛知県あま市木田大字)を拠点とした。同族に尾張山田氏(庶家に尾張岡田氏・足助氏(三河平氏))・小河氏(庶家に水野氏・毛受氏)・平野氏や三河平氏の大浜氏・永井氏などがある。
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満政流八島氏と仮冒した、とあるが、その仮冒先には下の美濃木田氏も含まれていると思う。
木田氏 (美濃国) : 「美濃木田氏」とも呼ばれる美濃源氏の一門。陽成源氏頼親流八島氏(羽島氏)の庶家で、木田重長を祖とする。美濃国方県郡(稲葉郡)木田郷(現在の岐阜県岐阜市木田大字)を拠点とした。庶家に美濃古田氏(開田氏/改田氏)・竹中氏がある。
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丹姓平氏とは?
平氏 (丹氏) : 紀伊国高野山付近にある丹生都比売神社の神官である大丹生直の後裔と称した武蔵国入間郡・秩父郡・および児玉郡西部(旧賀美郡)にわたって繁栄した土豪である丹姓(丹治/丹治比)の系統で、「平姓」を冠とした平直良を祖とする。常陸国南部~上総国・下総国を拠点とした篠田氏・下総村岡氏や千葉氏・上総氏を惣領家とした坂東八氏(坂東平氏/房総平氏)および尾張国の長田氏(尾張平氏)などの祖という。
平直良とは?
https://japan.fandom.com/ja/wiki/%E5%B9%B3%E7%9B%B4%E8%89%AF
平良兼 : 別名は良致。上総太郎または上総次郎。嵯峨源氏の源護の娘を妻とした。甥の将門と仲が悪く、良兼の女婿で妻の甥でもある従子の貞盛(良望の子)とともにこれを争い939年6月に没した。子の致兼(むねかね)・致時(むねとき)兄弟は従弟の将門を滅ぼした戦功で尾張国を賜り、同国知多郡野間郷内海庄長田村の地名をちなんで長田氏・毛利氏(相模平氏/尾張平氏)の祖となった。
この中に出てくる毛利氏とは?
毛利氏 (平氏) : 相模国愛甲郡毛利郷(現在の神奈川県厚木市毛利台)拠点として(相模平氏)、後に尾張国を拠点とした(尾張平氏)。丹姓平氏の平致時の子の致孝・致良父子を祖とする。長田氏と同族であり、この家系は戦国時代に織田信長に仕えて、今川義元を討ち取った良勝(新介秀高、致勝の子)と天文16年(1547年)に美濃国稲葉山城攻めで戦死した毛利敦元の孫で、敦秀(十郎)の子の秀頼(長秀)・秀秋(秀政)父子は豊臣秀吉に仕えた。さらに豊臣秀頼の武将として活躍した勝永(良政、勝信(良成)の子)などが出た 。
肝心の【長田氏】
https://japan.fandom.com/ja/wiki/%E9%95%B7%E7%94%B0%E6%B0%8F
長田氏(おさだし)は、丹姓平氏良兼流致兼の系統で、尾張平氏とも呼ばれる。
尾張国知多郡野間郷内海庄長田村を拠点とした。
同族に、尾張毛利氏があり、庶家に浦野氏とその系統である葦敷氏を中心に尾張山田氏(庶家に尾張岡田氏・足助氏(三河平氏)・尾張木田氏・小河氏(三河小川氏)・平野氏と三河平氏の大浜氏・三河永井氏などがある)。
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加嶋屋 長田作兵衛は、どうなのだろう。新田氏が祖?というが、それならば佐々木氏に近く(経方の妻が新羅三郎)
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村岡とは、どこから始まっていたのだろうか?
高望王の子・平良望(国香王)が常陸大掾(国司)として、現地に赴任したときに平直良は目代として随行したという。
平 良文・良忠(たいら の よしぶみ/よしただ、886年4月29日(仁和2年3月18日) - 953年1月11日(天暦6年12月18日))は、平安時代中期の武将。通称は村岡五郎。官位は従六位下・陸奥少目。
父は丹姓平氏の平直良、生母は高望王の末妹で、その5男(末子)である。異母兄は良兼と良広、同母兄は良将がいる。甥の将門(良将の次子)とは年齢が近かったと伝わる。
村岡五郎…三浦氏の祖
そして三浦氏を調べていくと「三浦平大夫為通の子」として「平為俊」がでてくる。
その内容を読むと、、全く「佐々木経方の子」としての「佐々木為俊」である。
https://chibasi.net/miurasoryo1.htm
http://blog.sasakitoru.com/200505/article_14.html
1108年駿河守となったことも同じ。やはり、同一人物なのではないだろうか?
疑問ばかり…の状態。