以前から何度か見かけていた『仁木七郎』(仁木民部少輔)に関して少々分かったことを書き留めておく。(仁木義広の父か?)
wikipediaによると
仁木政長の子ヵ?
兄に仁木刑部大輔。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%81%E6%9C%A8%E7%BE%A9%E5%BA%83
この仁木七郎が「後法成寺関白記」に記載されていることがわかった。
大永4年に山城国相楽郡の笠置寺へ討ち入っている。
九里一党が仁木七郎の配下の者となって、笠置寺に夜討ちをかけている時と思われるので、調べてみると「東浅井郡志第二巻」にあった。
2018年にも調べていたので、ココに留めておこう。
https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/e/010199265ca6f97f5bc2b512961c12e8
鈴木かほる様の記事もこの周辺に触れてあるので、おいておこう。
http://www.yougakuji.org/archives/560
『清和源氏向系図』(以下『向系図』と略す)によれば、向井氏始祖は、源頼義流・仁木実国の後胤・仁木右京大夫義長(元応二年3/3生)の子、四郎尾張守長宗と伝える。
源頼義―義家―義国―義康(足利祖)―義清―義実―実国(仁木祖)―義俊―義継―師義―義勝―頼章。師義―義任。 義勝―義長―満長。 『尊卑分詠』第三篇
仁木義長―満長。仁木義長(向祖)―長興②―長忠③―長春④―長勝⑤―忠綱⑥―正重⑦―正行(政勝)。正重⑦―正綱(徳川幕下初代)―忠勝②。
忠綱⑥―正利―正直―正吉(以下略) 『清和源氏向系図』
其の向井氏が、長谷川氏と密に繋がってくる。
尾鷲もこの前なんか調べてました。向井遺跡もあるんですね。で美濃のが候補なのかしら?加太(かぶと)もとても気になります。伊賀国向庄は知らなかったので嬉しい情報です。
向井氏・永田氏・熊野別当家…皆水軍、ある時は海賊だったかもしれず、怖い印象がありますが、護衛の役や、運搬も行っていたというので、働いていた人々ですね。
今の私には海が遠くて想像ができないけれど、近江国の九里は湖上を走っていたようなので近い存在だったのだろうと思います。