鴨長明と系図の中に「経久」?どちらの経久か? 保久? 2018-11-11 | 雑記 長明の左横「祐頼」の註に「母賀茂経久女」と! ライバルだった祐兼の息「祐頼」のような気が… 大池の系が経久につながる系です。 この祐頼・祐経・祐道・祐清・道継・祐定が経久女の息というのです。 経久の孫という事で、ひょっとすると年代的にも九里の祖であり、中原である太郎経久とつながるかも知れない・・・と気になっています。 ~~~*~~~ 二番目の系図では、「祐頼」の母は「保久女」になっていますね。 経久ではないかもしれません。 « 虹 と 光 | トップ | 今まで調べた中に「ヒント」... »
7 コメント(10/1 コメント投稿終了予定) コメント日が 古い順 | 新しい順 とても興味深いですね (自閑) 2018-11-11 13:57:01 kunori様私の蔵書を調べましたが、不明でした。経の字は、元は經だったので、見る限りは不明です。徑(径)のようにも見えます。鴨長明が、現在まで知られるようになったのは、禰宜に成れず大原に遁世してからです。仕事もせず、歌とギターばかりしている初代ニートのような生活でした。その芸が今も輝いていると思っております。拙句わくらばの落ち葉を飾り午後のお茶 返信する その苦悩が作品 (kunorikunori) 2018-11-11 15:26:00 自閑様お読みいただき、ありがとうございました。苦悩があってこそ、の作品と思いますが、禰宜は一名くらい多くても、神社は困らなかったのでは?と思うのです。現在就活中の息子を持っている母としては、心中複雑です。(笑) 返信する Unknown (三郎) 2023-09-07 13:32:47 いつも拝見させていただいております。鴨長明の名がある本系図は何という史料でしょうか?下鴨社の神主に興味を持ち調べているのですが、宜しければ教えて頂きたいです。(先程コメントしたものの反映されていなかったので再度させていただきました。重複していたら申し訳ございません) 返信する 賀茂祢宜神主系図 (kunorikunori) 2023-09-07 14:58:10 三郎さまコメントありがとうございます。こちらかと思います。https://adeac.jp/adeac-arch/viewer/004-mp100010-100010/004-kamo01/https://adeac.jp/adeac-arch/top/004/topg/keizu_thumb.html古系図の画像から入りました。どうぞよろしくお願いいたします。 返信する Unknown (kunorikunori) 2023-09-07 14:59:57 三郎さま私のブログのコメントは許可制にしておりまして、ご不便をおかけしております。どうぞご了承くださいますよう。 返信する 賀茂氏の系図 (kunorikunori) 2023-09-09 22:35:52 三郎さまもう一つ、最近見つけた系図があります。国立国会図書館のデジタル登録して、見ることができます。賀茂県主同族知新録 : 京都市上賀茂賀茂別雷神社社家書誌情報出版者 賀茂氏系図保存会東京分室出版年月日 1964誤解があったかもしれませんが、コメントは一度私がチェックしてからコメント欄に出す…と云う形にしております。そのため、すぐには記事下に出てこないのです。どうかよろしくお願いいたします。 返信する Unknown (三郎) 2023-09-10 17:11:13 kunorikunoriさま返信致きありがとうございます。いえいえ、とんでもございません!また貴重な史料を紹介して頂きありがとうございます。そちらの系図も閲覧したいと思います、重ね重ね感謝申し上げます! 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。 ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
私の蔵書を調べましたが、不明でした。
経の字は、元は經だったので、見る限りは不明です。
徑(径)のようにも見えます。
鴨長明が、現在まで知られるようになったのは、禰宜に成れず大原に遁世してからです。
仕事もせず、歌とギターばかりしている初代ニートのような生活でした。その芸が今も輝いていると思っております。
拙句
わくらばの落ち葉を飾り午後のお茶
お読みいただき、ありがとうございました。
苦悩があってこそ、の作品と思いますが、禰宜は一名くらい多くても、神社は困らなかったのでは?と思うのです。
現在就活中の息子を持っている母としては、心中複雑です。(笑)
(先程コメントしたものの反映されていなかったので再度させていただきました。重複していたら申し訳ございません)
コメントありがとうございます。
こちらかと思います。
https://adeac.jp/adeac-arch/viewer/004-mp100010-100010/004-kamo01/
https://adeac.jp/adeac-arch/top/004/topg/keizu_thumb.html
古系図の画像から入りました。
どうぞよろしくお願いいたします。
私のブログのコメントは許可制にしておりまして、ご不便をおかけしております。
どうぞご了承くださいますよう。
もう一つ、最近見つけた系図があります。
国立国会図書館のデジタル
登録して、見ることができます。
賀茂県主同族知新録 : 京都市上賀茂賀茂別雷神社社家
書誌情報
出版者
賀茂氏系図保存会東京分室
出版年月日
1964
誤解があったかもしれませんが、コメントは一度私がチェックしてからコメント欄に出す…と云う形にしております。そのため、すぐには記事下に出てこないのです。どうかよろしくお願いいたします。
返信致きありがとうございます。いえいえ、とんでもございません!また貴重な史料を紹介して頂きありがとうございます。
そちらの系図も閲覧したいと思います、重ね重ね感謝申し上げます!