殿来連が富木氏になっていったとするとその始まりは「大中臣氏」で、余呉の片岡氏と同じ氏族になる。
しかも、大鳥郡富木村にいた事になり、ニギタ(みぎた)氏=和田氏と近くに住んでいたことになる。
更に、中原経任は橘次と称し「橘氏にあたらめていた」その橘氏の中に楠木氏が存在している。
和田氏に関しては、1332年・1333年の古文書が残されており、
護良親王の側近として活躍した「四条隆貞」の名も見える。
(片岡八郎利一もいたはずである。)
http://komonjo.princeton.edu/migita-05/
富木氏は、藤原南家と関係が深いともいえる。
藤原南家が開拓したという藻原に居たこともあり、ひょっとすると藤原黒麻呂について関東へ赴いていたのかもしれない。(はじまりは「殿来」という名であったのかもしれない。)
熊野街道に沿った場所に「等乃木神社」があり、これは期待できる!
なぜなら、熊野本宮の御師として13世紀に入ってからは役目を果たしたいたと思われるのだ。
古いお寺も東京の博物館でやっていた仏像の展示でも結構あった地域みたいなんですがあまり知られていないようにも思いますし、家原寺近いですから平坦ならば行き来も広範囲で出来そうですよね。八田寺太平寺という地名も気になるし草部とか日下も奥が深そうですよね。この地域で興味を持つ方が増えないと多分日本の歴史も見えてこないくらいの場所かしれませんよね。
和田もニギという音で考えるのもとても面白そうです。
羽衣なんて地名もあるので繊維とか織物とかもニギならば絹かなぁ?和がニギ、神の名前でもサクヤさんのお子さんには居ますが色は赤。前方後円墳が有名なので緑とか青っぽく感じるエリアだけど明らかに地形としては赤が居ないわけないし。ミックス激しい地域なのは良く分かります。そう思うと両方にうまく付き合える民族が居ないわけはなし。その関係で集まった可能性もありそうに思いました。昔は出雲ってこの辺かな?って思った事ももう少し南で思った事あります。野見宿禰を出雲から奈良に呼んだならこの辺りかな?とも。相撲の関係でノミって音を今解明しようとしているんですけど、小見氏や麻積氏や感染症で良く聞く尾身氏の音オミが変化して中臣の臣もあるかなぁ?って思っていましたけど、神社名のトノキで考えるとト+ノキがノミになる?って無理矢理考えてます。乃木はもちろん野城や能義も出雲の風土記あたりでも気になる神の音ですね。熊野との関わりも含めて。東京では昔の呑川ってのも気になっているんですけど。相撲の神さん探しの別件ですみません。高尾張氏を探したいと思っていたんで、高石という地名と等乃伎神社はこじつけヒントにしたいと思いました。富木まさにありますし、富田もトダと読むし、音の数分の文字での等乃伎の三つのトノキという音も好みな字の並びです。記事の中のキーワードはもちろん響きましたし、神社の祭神さん達がまたかなり追っている神さまでした。誉田別命や道真さんが居て大歳さんが居てなのとwikiの方ではかなり興味深い神社ですよ。お水の神様いそうですし、それこそ漢字の文字並びだけでも好みですが立地や歴史等もいっぱい知りたい場所ですね。
この場所 熊野街道沿いにあり、とてもご縁がありそうです。