今まで、なぜか蒲生氏については深く調べてこなかった。
蒲生郡にあった九里であるのに、なかなか接点が見いだせていなかったのだが、秀郷流周辺を調べていると「蒲生俊賢」の名が出ており、秀郷流でもあり、宇都宮氏の流れという。
これは、関係がないはずがない。
灯台もと暗し…だったかもしれない。
九里は近江に入って以来、蒲生郡にいたはずであった。(和歌山の系図に拠ると蒲生郡の石寺:六角氏家人)
俊賢はもともとは惟賢を名乗っていた。
蒲生太郎。権七。仕右大将家領江州蒲生郡。
ここから9代目に秀胤という人物が出てくる。法名が浄椿という。
椿は、ポトリと花の首が落ちるため縁起が悪いと言われ、武士の中ではあまり使われないらしい。が、他にも椿のついた法名をみた記憶がある。
・蒲生秀胤。 左衛門尉。法名浄椿〔続群書類従蒲生系図作常椿〕。
・九里は、浄椿 員秀の子?刑部伊賀。
年代が違うような気もするが、蒲生氏のことはまだよくわからないので、気に留めておくことにしようと思う。
蒲生氏の系図を見るとその中に小堀氏や小倉氏がいて何だかうれしい!
そしてさらに、本日分かったことは蒲生氏の配下の者に暇を出された「岡田氏」がいた事。
なぜ蒲生氏の中に??織田信長経由だろうか。
九里氏の系図は、最初の五代分と和歌山の系図なので、戦国時代の九里の系図は見たことがない。
どなたか、お持ちではありませんか?