近江国にはいくつかの【ふなきしょう】がある。
【実隆公記】によると,
禁裏領□ 江州舟木庄 高島郡 西舟木 北舟木アリ、
蒲生郡舟木アリ、小舟木アリ、然レトモ宣秀卿記明応九年十二月二十七日禁裏御領□江州高島郡船木北濱関云々の文書にヨレハ、
船木庄ハ高島郡サルヘシ事
・・とある。
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高島側に「船木荘」近江八幡側に「舟木庄」があるのみではなく、西・北・小のついた「ふなきしょう」もあったことが判る。
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【近江】太田亮 著作 から船木荘の部分を書き出してみる。
寿永三年賀茂社文書近江国舟木ノ庄、延徳三年文書蒲生郡舟木庄、舟木系図舟木庄、賀茂注進雑記(一)蒲生郡船木郷後日ニ舟木庄ニ(二)
蒲生郡船木郷(三)
高島郡今本村と改む、安曇川の末なる推洲の地にして、古は延暦寺の領庄なれど其の河海は賀茂社領にて、安曇川御厨と称したり、此推洲は江西に於て最も東方に突出し、船木崎と号す。(蒲生郡にも舟木郷あり、同名異地也)
舟木庄は、建武式目追加にも載せ、挙白集には元徳二年、日吉社幷叡山行幸記を引き「宇土船木庄、任木杢之契状可被附山門」とあり、宇土は安土の誤にて、即安曇なり。
とある。
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web情報 資料編 - 近江八幡市 http://www.city.omihachiman.shiga.jp/cmsfiles/contents/0000007/7339/kannkoudata.pdf
加茂町 賀茂神社 馬駆け
白村江の戦いの後、天智天皇が「これからは騎乗技術の発展と馬匹の繁殖が大事」と考え、賀茂神社の地に国営牧場を造った。
神事「足伏走馬」(あしふせそうめ)が行われる
とある。
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『忠富王記』には、九里員秀が【鮒二樽】を持って行った様子も記載されている。
http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/e/cd36e33977ff5d6a67601f2a34c186b3
舟木庄・船木荘、そして賀茂社・加茂社・・・いくつも混在しているため情報の整理がなお必要な状態の私です。