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九里 【九里】を探して三千里

姉妹編【九里一族】に出会う旅に出かけよう!http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori2
  

藤原秀郷流系図(2)藤原藤成の母は津守氏 藤成は藤原北家である魚名の息で、秀郷流藤原氏の祖である。

2021-05-19 | 藤原氏

藤原藤成

藤原藤成の母は津守氏

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E8%97%A4%E6%88%90

魚名ー藤成ー豊沢ー村雄ー秀郷 

村雄の妻は鹿島氏

 

秀郷の姉妹には平国香室

秀郷の妻には源通娘・秦氏娘

三男の千晴は後に隠岐島に配流される。

その孫頼遠は「陸奥権少掾坂上頼遠は藤原千清の養子になったという」とある。

元は、坂上氏のようである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E9%A0%BC%E9%81%A0

 

じっくりと見れば、何かしら江州中原氏との接点が見つかるかもしれない!

 

 

 

 

 

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我が家のスズランが咲きました! 早い!!

2021-05-19 | 日記

いつも遅咲きの我が家のスズラン! どうしたのだろう‥‥今年は早い!

 

 

 

 

 

赤い印は「バン」

白いキョトンとした目は「カイツブリ」

 

一昨日は、オシドリ夫婦にアオサギも見かけたのだけれど、カメラナシ‥‥残念過ぎる。

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藤原秀郷流の系図の一部 (1) 

2021-05-18 | 藤原氏

 

 

 

 

 

 

 

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780477

コマ19から

 

 

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緑で目を休めよう~!

2021-05-18 | 日記

   

 

   

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熊野国造  橘広方  鈴木重氏・重武 藤原実方 とのつながり

2021-05-16 | 九里バラバラ情報

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E9%87%8E%E5%9B%BD%E9%80%A0

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%98%E5%BA%83%E6%96%B9

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%AE%9F%E6%96%B9

 

===*===

さて、殿来連を探している時、大鳥郡の【和田氏】(ニギタ・ミギタ・ミキタ)と関係があるかどうかが不明の「橘につながる和田氏」が出てきた。

 

この熊野国造が気になり始めた。(以下 wikipediaの部分より)

「和田氏系図」によると、醍醐天皇の代に牟婁郡大領(従五位下右衛門尉熊野広方(橘広方)橘姓に改姓(橘良殖猶子となったか)、広方の娘は鈴木良氏に嫁いで鈴木重氏の生母となった。広方の 3代後の橘良冬(和田良冬)が和田庄司を称した。

 

つまり、鈴木重氏の母は熊野氏の出という事になる。(鈴木良氏の妻)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E8%89%AF%E6%B0%8F

此処で熊野=橘=鈴木氏となる。

 

この鈴木氏と藤原定時・実方・源雅信の娘が繋がってくる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%AE%9A%E6%99%82

 

藤原定時の妻:源雅信の娘

男子:実方

女子:鈴木重実

 

つまり、重氏の長男の重豊左近将監)の娘は、藤原実方に嫁いで熊野別当・泰救を生んだ。

さらに、重豊の弟重実実方の姉妹が嫁いだ‥‥という事になる。

 

重豊・重実の父が重氏であり、母が橘広方(熊野氏)である。

 

鈴木重豊と藤原定時の娘、二人の息が鈴木重武で中原成道に追随して上総にやって来ている。

長元元年(1028年)の6月に前上総介・平忠常が謀反を起こした際、追討のため中原成道に随行して東国に下向した。永承7年(1052年)9月15日に81歳で没した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E9%87%8D%E6%AD%A6

 

===*===

wikipediaの寄せ集めだが、つなげてみると大事な部分と思われる。

熊野から橘氏へ、そして鈴木氏と藤原氏‥‥ 

 

 

 

 

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殿来連 ニギタ氏・ミギタ氏(和田氏)と同じ大鳥郡 

2021-05-12 | 九里バラバラ情報

殿来連が富木氏になっていったとするとその始まりは「大中臣氏」で、余呉の片岡氏と同じ氏族になる。

しかも、大鳥郡富木村にいた事になり、ニギタ(みぎた)氏=和田氏と近くに住んでいたことになる。

更に、中原経任は橘次と称し「橘氏にあたらめていた」その橘氏の中に楠木氏が存在している。

 

和田氏に関しては、1332年・1333年の古文書が残されており、

護良親王の側近として活躍した「四条隆貞」の名も見える。

(片岡八郎利一もいたはずである。)

http://komonjo.princeton.edu/migita-05/

 

富木氏は、藤原南家と関係が深いともいえる。

藤原南家が開拓したという藻原に居たこともあり、ひょっとすると藤原黒麻呂について関東へ赴いていたのかもしれない。(はじまりは「殿来」という名であったのかもしれない。)

 

熊野街道に沿った場所に「等乃木神社」があり、これは期待できる!

なぜなら、熊野本宮の御師として13世紀に入ってからは役目を果たしたいたと思われるのだ。

 

 

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【殿来連】が 【富木氏】と繋がるのか?

2021-05-12 | 九里バラバラ情報

昨日、大阪の地図に「富木」を発見。

その由来を調べると「殿が来る」ので、「殿来連」となったそうで、其の殿とは「藤原南家」なのだそうだ。

関係がありそう! 

 

【等乃伎神社】「延喜式神社の調査」さんより

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%89%E4%B9%83%E4%BC%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE

http://engishiki.org/izumi/bun/iz050109-01.html

【関係氏族】殿来連
       殿来連、大中臣之同祖、天児屋根命之後也とある

大鳥郷富木村

 

http://www.y-tohara.com/izumi-tonoki.html

「戸原のトップページ 和泉の式内社」さんより気になるワードをチョイスすると…

祭祀氏族とされる殿来連(トノキムラジ)

太陽信仰に係わる聖地

等乃伎・兎寸は“トノキ”あるいは“トキ”と読むが、“トキ”(都祁・都祈・土岐・都畿)とは、古代朝鮮語で“日の出”を意味するという

エナガ先生の講義メモ

http://blog.livedoor.jp/myacyouen-hitorigoto/archives/49880735.html

 

常陸小栗氏(ひたち おぐり し)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B8%E9%99%B8%E5%B0%8F%E6%A0%97%E6%B0%8F

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 アオサギ若君 現る!

2021-05-11 | 日記

とうとう、我が川にもアオサギが飛来した。

待ってました! 若君!

ちょっとくちばしがオレンジかがり、他のブログさんによると「婚姻色」というのだそうだ。

写真ではわからないけれど…

 

 

狩りが下手なので、心配。。。ほら、もっと集中しないと…と河原から気をもんでいる私。

とにもかくにも戻ってきたんだね!(別個体かもしれないけれど、それでも歓迎!)

 

花粉症がひどくなって寝込んだけれど、昨日・今日と雨ごいが効き雨が強めに降り、今日はすっきりとした気分で散歩できた!

青鷺君が来ると、散歩もぐっと楽しい〰~♫

今年もよろしく若君!(オスか?メスか?…いまだ知らない私ですが)

 

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法貴寺 と 池坐朝霧黄幡比売神社 栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)

2021-05-11 | 古代からのつながり

尾張氏のことから連鎖していろいろと接点が見つかってきた。

webの寄せ集めではあるが、そこから分かってきた事もある。

 

【法貴寺】

『「推古天皇24年(616年聖徳太子草創の法貴寺伽藍を賜った秦氏が、その祖神守り神として崇敬した古社である」とあり、これに基づくと推古天皇24年に秦氏が法貴寺の創建とともに創建したものと推測され、法貴寺の鎮守社として崇敬されたものと考えられる。』

『天慶9年(949年北野天満宮より天満宮を勧請して相殿に祀ったことから中世から江戸時代までは「天満宮」の名前で呼ばれていた。』

池坐朝霧黄幡比売神社(いけにますあさぎりきはたひめじんじゃ)↓

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E5%9D%90%E6%9C%9D%E9%9C%A7%E9%BB%84%E5%B9%A1%E6%AF%94%E5%A3%B2%E7%A5%9E%E7%A4%BE

 

古事記』では萬幡豊秋津師比売命(よろづはたとよあきつしひめのみこと)、『日本書紀』本文では栲幡千千姫命、一書では栲幡千千媛萬媛命(たくはたちぢひめよろづひめのみこと)、天萬栲幡媛命(あめのよろづたくはたひめのみこと)、栲幡千幡姫命(たくはたちはたひめのみこと)、火之戸幡姫児千千姫命(ほのとばたひめこちぢひめのみこと)と表記される。↓

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B2%E5%B9%A1%E5%8D%83%E5%8D%83%E5%A7%AB%E5%91%BD

 

天火明命(あめのほあかりのみこと)は、日本神話に登場する。天火明命の子孫は「天孫族」と呼ばれる。↓

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%81%AB%E6%98%8E%E5%91%BD

 

津守氏 津守豊吾団 

https://reichsarchiv.jp/%E5%AE%B6%E7%B3%BB%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88/%E6%B4%A5%E5%AE%88%E6%B0%8F

 

津守氏で見ていくと、津守長盛の【大家笛血脉】で、以下のようになっている。

 

 

 

 

住吉大社宮司(津守氏)1023-1102

  • 津守国基……住吉大社宮司。歌人。…
  • (この人物とその息は安房国と関係あり。http://repo.kyoto-wu.ac.jp/dspace/bitstream/11173/2425/1/0160_030_002.pdf)↓

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E5%AE%88%E5%9B%BD%E5%9F%BA

 

 

津守長盛の名がみえている。かれはまた、後白河上皇の北面にも仕えていた。↓ 11ページ 中原有安も出ている。

http://www.harimaya.com/o_kamon1/syake/kinki/s_tumori.html

 

津守長盛という人が住吉神社の神主だけではなく、北面の武士でもあった事。

更に笛では中原祐安(有安・有康)とつながりがあった事。

更に

 

https://www.yoritomo-japan.com/oosaka/sumiyosi-taisha.html

 

という事で、住吉大社史によると源為義の娘が母という可能性のある「津守国盛」(長盛の父)なのである。(下のHPでは、長盛の母=為義の娘)

熊野別当 行範妻であった鳥居禅尼とも交流はあったのではないだろうか?

異母かもしれないが姉妹という事になるかもしれないので。

 

 

 

 

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甘い香りの道! 思い切り空気を吸ってきた! その後…

2021-05-08 | 日記


 

 

 

昨日、梅の香りの強い道で、思いっきり深呼吸~~~♫

 

 

ところが今朝から、鼻が詰まり、目が痒く、‥‥ 花粉症らしい。

あーぁ、甘くておいしい空気だったのに、あの深呼吸がいけなかったのか…

 

札幌、今朝から PM2.5 に加え、黄砂がひどく、更に花粉も強い。

 

頭もぼーっ、アレルギーってひどいもんだ。全身に来る。

本日は冴えない私である。

 

因みに札幌では白樺花粉が有名で、スギではない。

他に、蓬・ブタクサなんかが悪さをする。

 

強い雨が降って欲しいなぁ。 

 

 

 

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