久世のくらし

42年ぶりのUターン、木の香りと土のぬくもりをお伝えします。

サッカーU-23日本代表、おめでとう!

2016-01-27 21:57:30 | 日記
ドーハの悲劇は、ドーハの歓喜!になった。
おめでとう!

23年前だったとは驚いた。
ついこの間のように思っていた。


15歳のサーカー少年は、ドーハの悲劇を見ていたかな?



ドーハの悲劇は、どんな意味があったのかな?

負けても、負けではないんだ。

意味があるんだと改めて感動した。

人生まさかの坂

2016-01-24 20:45:56 | 日記
まさかの坂は突然にやって来た。

独り住まいの兄が、突然脳梗塞で倒れた。


12月25日(金)
お正月を一緒に過ごすため、帰省するはずの兄が帰ってこない。
いつもは朝8時半には帰るはず。
昼を過ぎても、連絡が取れない。まさか交通事故?
何度も電話して、午後2時やっと電話に出てくれた。

自宅にいた。話がかみ合わない。ろれつが回ってない。

兄の近所の知り合いに電話。
すぐに救急搬送をお願いした。


母をショートにお願いし、すぐに車で急行。
5時間後、午後7時過ぎに病院に着いた。

左半身が麻痺。
左足や左腕にたくさんの傷。21日(月)から少し様子がおかしかった様子。
動揺を隠して、にこやかに面会。

近所の方に感謝。命を助けていただいた。
私との電話の後、兄はなぜか自転車で出かけようとしていたのだ。
見つけた友人は救急の人に「脳梗塞です、すぐ運んでください」と。
そう伝えなければ、搬送に時間がかかっただろう。

しばらく付き添ったが、母のこともあるので一旦帰宅。
かたちばかりのお正月を過ごし、再び兄のもとへ。

高次脳機能障害の場合、2ヶ月以内に次の病院を探さなければ、
リハビリの専門病院には入れないと聞かされた。
自分で探して、病院に転院のお願いをするとのこと。
インターネットや友人の話を聞き、私にとって一番都合のいい病院をお願いした。


発症からちょうど一ヶ月、今月21日、思ったより早く我が家の近所の病院に転院した。
大雪の次の日、幸い雪もなくお天気に恵まれて、助手席に乗せて、運ぶことができた。
回復期リハビリテーション病棟
着いた日から、早速リハビリが始まった。
毎日忙しいくらい、数々のリハビリをこなしている。

150日の限られた時間で、どこまで機能が回復できるかわからない。
はっきり言えることは、元には戻れないということ。

残された機能を最大限に使って、これからの人生を歩む兄を
できるかぎり応援していこうと決めた。

どんな意味があるのか分からないが、必ず意味があると信じて。


やっと、ブログを書こうという気持ちになった。