ジャスミンティ 飲んでる。
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あー昼寝しすぎた。
こんばんわんだふる。
今日はとーっても良い天気だったのに、昼ごはん食べたあと、2時から5時まで昼寝してしまうという偉業を成し遂げました。1日は24時間もあるはずなのに、2時から5時とかいう時間帯に昼寝をしてしまうと、1日はまるつぶれですな。全く。
30歳という年齢を目前に控えた頃、妊娠が発覚した。それからの人生は電光石火の如く、目覚しい変化を遂げながら過ぎ去っている。
妊娠が発覚するまで。
そうだなぁ、大学を卒業してからの約8年間。
いかに自分を自由な身にしておくか...というのが、自分にとってのトッププライオリティだったんじゃないかと思う。親や家族などの身近な人間にはダレにもしばられたくない、だから地元には帰らない、とか。経済的には必要以上に自立する、とか。
自分が身近な人間に必要とされない、期待されないことへの代償は、自分も、身近な人間を必要としない、期待しないことだった...ような気がする。
こういうちょっと屈折したよーなものの考え方は、タブン自分がそれまで生きてきた環境だったり経験に基づいていて、それを説明するのは、ものすごーく大変なので割愛。
それと引き換えに手に入れたのは、ダレにも「こーしろ」「あーしろ」と人生を指図されない自由。そして期待されない気楽さ。
と、同時に、この自由と気楽さにもれなくついてくるのは、むなしさと寂しさ、でもあった。
だから、身内からの束縛や期待を嫌う反面、自分が大切に思う友達や恋愛相手とは、必要以上に距離を縮める癖があったんだと思う。
それは、人からは、人懐っこさとか優しさと解されることがほとんどで、良いことだったとは思うけれど、とかく恋愛相手というのは、そうして距離を縮めていくと、いつしか身内に近いような存在になっていて、だからワタシは、そうして自分から距離を縮めておいて、いろいろなものを築き上げておいて、いざ存在自体が近くなりすぎると、とたんに嫌悪してしまう、みたいなことを何度かしてしまった。(若い頃、ね。若い頃。)今思えば、その頃の相手にはホント、申し訳ないことをしたと思う。まぁ、お互い若かったってことで許してちょーよ。
と。ものすごーくハナシがそれてしまったけど。まぁ、そんなふうにして、自由と気楽さを手に入れて、必死に守り続けていた自分。どうして、そうし続けているのか、よく分からないまま、30歳という年齢が近づくにつれ、自分の中の矛盾と戦うはめに陥る。
今まであたりまえのように守り続けてきたから、守り続けていかなくてはならない自由。残りの欲はそれとは相反する、結婚願望、仕事欲...。どれも相反するのに、どれも本当。昔から、自分があまり幸せな家庭で育ってこなかったから、か、結婚に対する不信感があったのも本当。でも幸せな家庭を知らないからこそ、早く結婚して、絵に描いたような幸せな家庭を築きたかったのも本当。仕事をばりばりして、いつまでも自立して自由な自分で居たかったのも本当。全部本当。でも、全てを選ぶことなんてできない。ワタシが一番守りたいものってなに?
結婚していく友達。格好よく出世しながら仕事に邁進する友達。母になる友達。どれにもあこがれる。「人生は一度だけ」なんつぅ当たり前の言葉に苦しめられることになろーなんて思いもしなかった。全部の道を歩んでみたい。まぁ、世の中には、そんなことの全部を上手にバランスよくこなせる人もいるらしいけど、残念ながら、私はそんなに器用でもない、ふつーの人、なのだ。
さらに始末が悪いのは、他のダレでもなく自分にすら縛られることがいやだったのか、自分に対しても、目標だとか人生の指針みたいなものを持とうとしてこなかったこと。今思えば、これが自由に生きる最大の秘訣、だったかも。
まぁ、でもそんな頃は。自分がそんなふうにしてそんなことを悩んでる、なんて気づかないわけです。今になって思うこと。なんだか悶々としながら、あー10年後のワタシは、どこでどーしてなにしてるんだろう?と思っても想像つかない。10年とは言わずとも5年、いや1年...。それすら未知。自由な人生ってそーいうもんだ。
まぁ、もちろん、今のおっとっとと出会って結婚したことは、運命だったと信じて疑わないのですが、(と、しっかり前置きをしておきつつ)、あのタイミングで妊娠が発覚して、結婚してみて。
まぁ、色々事情あって、悩みは尽きないっつぅのもホントですが。気分的には、ものすごーくラクチンなのですよ。「自分が優先すべきことを悩まずに済む」ってのが、その最大の理由、だと思います。自分が大切にすべき人、守るべきもの、やるべきこと、悩むべきこと、など、その全てが、はっきりとしている、今。おまけに、「元気な子供を産む」という最優先事項に、反対するひとなんてだれもおらず。これまで、ひたすらに距離を置いてきた家族すら、そこに向かって協力しまくってくれる。
自由な人生にとって「選択の余地がない」ってのは脅威だったハズだったのに、ね。不思議なモンです。
なんにせよ、最近のワタシのお気楽っぷり、穏やかっぷりはタブン、そーいうことに起因する、んです。
と、たまには、哲学科を卒業したひとらしく、飯の糧にもならないことをつーらつらと考えてみたりもして。
ってーか。
ひまなんですわ、タブン。ものすごーく。