ちゃこ花房~本日も波瀾万丈~

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徳川家康

2023年05月17日 | 映画
1965年(昭和40年)
1月3日に公開された日本の時代劇映画。

山岡荘八の小説『徳川家康』の映画化作品

監督:
伊藤大輔
脚本:
伊藤大輔
製作:
大川博
出演者:
北大路欣也
中村錦之助
山本圭
西村晃
有馬稲子

【ストーリー】
駿府を居城とし、駿、遠、参の三国を領する今川義元が強大な勢力を誇っていた。西には新鋭の織田信秀が東方に進出し、西三河は東西勢力の接触点となっていた。
この地域を拠点としていた岡崎と刈谷は、両勢力いずれかにつかざるを得ず、刈谷の水野は、刈谷の姫於大(おだい)を和睦のしるしに三州岡崎の城主松平広忠の許へやり、今川方の松平に属した。
天文11年、於大は男子を出生、松平竹千代と名づけた。
寅の日、寅の刻という奇瑞に岡崎城下は沸いた。

3歳の春、於大の父は病死し、城主となった信元は今川の勢力を脱し織田方と盟を結んだ。

於大は兄の一決で織田方阿久居の城主久松俊勝のもとに嫁いだ。
病弱な広忠は如何なる運命にも耐えて、竹千代を守れと於大を送る。

今川義元は伯父 ・雪斎禅師の進言を容れ、岡崎を織田進撃を喰い止める要路とみて、竹千代を人質に迎える旨岡崎に伝えた。

弱小国・岡崎のとる道は唯一つ、
竹千代は七人の侍童に守られて駿府に向かった。
だが途中、田原領主・戸田弾正の寝返りで、竹千代は一千貫で織田方に売られ、侍童たちは次々と割腹した。

信元は竹千代の命と引き換えに、織田方へ加担をすすめたが、広忠は武士の意地から拒否。

これを聞いた於大は熱田に向かい、吉法師(後の織田信長)のおかげで竹千代の姿を垣間見る。

竹千代は「母はおらん」というが、吉法師は於大の心に激しく心を揺さぶられ、竹千代が折った金色の折鶴を於大に渡す。

天文18年、広忠が病死し、弔いにかこつけて安祥城を奇襲した岡崎勢は城主信広と交換に、竹千代を3年ぶりに三河に迎えた。
それもつかの間、竹千代は岡崎を去って駿府の人質となり、三河は今川に統轄された。

10年後、吉法師は信長と名を改め、勢力を拡げ、今川方を脅す。
竹千代の動静を藤吉郎を派遣し、つぶさに於大に知らせるが、信長の真意は分からなかった。

竹千代も元服して元信と名を改め、義元の姪・瀬野と婚儀を結ぶ。

雪斎は「お主は岡崎の者か、今川の者か」と問いつめる。
永禄3年、義元は天下統一のため上洛を決める。
信長は元信の動静に眼を離すなと藤吉郎に命ずる。
松平の血を継ぐ元信は岡崎譜代の家臣と自分のために切腹した7人の侍童に報いるため、大高城にこもり、織田方との戦いを避ける。

信長は大高城を迂回し、桶狭間の今川の本陣に入り、義元の首をはねる。

報を聞いた元信は織田軍に乗り込むと義元の首を受けたいと告げる。
恨みよりも恩を返そうとする元信の心に、信長は拒否するが、かねて約束の馬を与えるといい、馬と馬がぶらさげていた義元の首を手渡す。

【感想】
今NHK大河ドラマの『どうする家康』をやっているが
山岡荘八原作の映画を見たくなって、録画していた山岡荘八原作、1965年の『徳川家康』を食い入るように夜中1人で観た。

長大な物語だが、生誕から桶狭間とこれ一作で終わりとなっているのは実に残念だが、生誕から桶狭間までの家康を丁寧に描いてる。

家康と家臣、村人らが長きに渡り家康の居ない間(人質時代が長い)、
どれ程苦労しどれ程堪え忍び、辛酸を嘗めてきたことか。
家康の人質時代、子どもの家来たち7人の割腹や張りつけ処刑など、ある意味残酷物語でもある。

タイトルは『徳川家康』だが信長(萬屋錦之介)が主役か。中村錦之助演じる織田信長は圧巻。

北大路欣也 (徳川家康)







中村錦之助 (織田信長)







山本圭
(木下藤吉郎)


西村晃(今川義元)


有馬稲子(家康の母親於大)


皆演技が上手い、そして皆若い。有馬稲子は美しく、家康への深い愛をミゴとに演じている。
家康の岡崎城や家臣への深い思い、政略のため再婚し幼き時に離ればなれとなった母親への思い

『家康』に忠義を尽くす家臣だけでなく、
村人の女、子どもたちも、辛い思いをしながらも殿を支えてきた強い思い。
母親於大の深い愛等
見所満載だ。

織田信長の人生50年の舞いのシーンは圧巻だ
カメラと三脚を出してきて動画を撮りました。

十八番の舞「人間五十年」
「人間(じんかん、にんげん)五十年、下天(化天)の内を比ぶれば、夢幻(ゆめまぼろし)の如くなり」
「一度(ひとたび)生を享け(うけ)、滅せぬ(めっせぬ)もののあるべきか」
「人の世の中の五十年間は、下天のそれとくらべればあっという間の時間なのだ。(その下天の住人にもやがて寿命が来るのに、)人として生まれた者はみな、どうせ死ぬことと決まっているのだ」


三国志愛が強い私だが、
山岡荘八の『徳川家康』を詠みたくなってきた。

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