【ネットタウン誌】
僕たちの故郷 春夏秋冬 ...きてきて久慈市事務局...
きてきて久慈市 今・久慈市
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お天気 晴れ 気温 11℃
夕べは氷点下5度まで気温が下がり、今朝も寒いです
日中になり気温も高くなりました
朝8時前ごろ野田駅前通りを市内のボランティアへ向く方々でしょうか、リックを背にした人たちがすれ違ってゆきました。また、久慈振興局の職員の方々もボランティアのために駅から徒歩で街へ向かってゆきました。事務局でも北区の親戚へ手伝いに行ったのですが、留守で室内を覗いたらだいぶ片づけて見えたので今日は止めました。
野田駅ホームには三鉄列車が見えていました。現在三鉄は久慈駅から野田までの折り返し運行行っています。スピードもかなり控えて走っているそうです。復興支援列車として現在乗車運賃無料です。
国道45号、野田下安家大橋です。上流側の旧国道橋が破壊されています。その袂の商店も一階部分が壊れて見えていました。
玉川漁港です。最初の画像は、玉川野営場からの田野畑方面です。お天気がよく美しい光景ですが・・・。漁港近くには民家は一軒しか見えません。そのお宅はある程度高い場所にありますが一階部分が壊されています。柱なども斜めになっているのでもう住めないだろうと手伝いに来ていた男性が話しておられました。おばあちゃんが地震当日を話してくれましたが、野田旭町の病院に行っていたそうです。病院に着いて、ちょうどスリッパを履いた同時に地震が来たそうです。それで津波が来るのが予想されたので、回りの人たちに「逃げなきゃダメだよ~」声掛けたそうです。そしたら病院の先生が患者さんらを避難させるために自分の車を出してくれたそうです。先生に玉川漁港前の自宅まで送られ、家に着いたら直ぐ目の前で津波が来るのが見えたので急いで裏山に逃げたそうです。病院から玉川までは、国道か泉沢かどこを通ったのか聞きますれました。危機一髪でしたね。
このおばあちゃん宅の、ちょっと小高い位置に玉川神社があります。その神社前には「西行屋敷(さいぎょうやしき)」史跡があります。この場所は歴史のある場所で、西行法師が庵を結んだとされる「屋敷跡」です。そのため石塔が数個ありましたが今回の津波の影響で倒されています。車がある画像の真ん中、小高い上が史跡です。ご覧のように結構高い位置ですが津波の被害を受けました。市内からの見舞い客が訪れてきています。
玉川駅まで津波が押し寄せたと聞いたので取材に行きました。事務局ではこれまで玉川駅に入ったことはありません。もちろん近くまでは何回か来ていますが。この玉川駅の場所は、当時野田玉川鉱山社会人野球部の球場があった場所で、私たちの子供のころ自転車で試合?練習?見に来たことを覚えています。野球場のベンチはコンクリートで造られていてグランドより一段低くなっていました。現在は、駅舎と玉川集会所が建っています。今回野田医院が流され、病院に通えない地区患者のために久慈県立病院から先生が往診にきているそうです。三鉄駅の線路にも少し波が入った模様で、流ゴミが見えています。駅の裏側にある別荘が津波のため壁などが壊されています。この位置は結構海から崖上にあるのですがここまで波が上がって来ています。この三鉄玉川駅は毎年初日の出参拝列車が久慈駅から企画されホームで水平線から昇る太陽を参拝することが出来ます。
玉川駅より久慈寄りに別荘があります。この別荘は以前大川目の洋画家大森画伯先生がアトリエとして住んでおられました。事務局も先生ご夫婦に招かれ雄大な海を眺めならお茶を一緒しました。画像にある丸テーブルですが残念ながら破壊されています。別荘の入り口両脇には頑丈なコンクリート門がありますが、これも津波のため片方が倒されています。別荘はかなり高い崖上にあるのですが津波の大きさが想像できますね。この下の砂浜は、漂着琥珀海岸として知られています。