ふるさとの山歩き、樹木、カメラ、家庭菜園の日記

山歩き・歴史の散歩・樹木観察・デジタル一眼レフ・家庭菜園などの活動記録です。

西国街道~廿日市市~

2022年02月17日 | 歴史の散歩

 2022年2月16日(水)、広電の廿日市市役所前駅から2駅先の山陽女学園前駅まで、西国街道を歩き、史跡巡りをした。

福佐売神社(ふくさめじんじゃ)
 神社の縁起として、次のように書かれていた。「三代実録」の貞観14年(872年)に、この土地の人、榎本連福佐売(えのもとむらふくさめ)を賞して位階を与え租を免除し、その節操を表彰したとの記録がある。この栄誉を後世に伝えるべく建立された。

廿日市本陣跡
 芸州廿日市御本陣旧趾。「当本陣は、寛文(1661年)の昔より、世世山田氏が管する所なり」とあった。

廿日市天満宮
 灯ろうの明かりが灯台として、沖をゆく北前船などの安全を守っていたそうだ。梅が咲き始めていた。

津和野藩御船屋敷跡
 稲荷大明神の近くに石碑「石州津和野藩御船屋敷旧趾」があったそうだが、事前調査不足で分からなかった。屋敷は、この辺り一帯だったようだ。

街道松
 西国街道には、1里(約4km)ごとに1里塚松があり、道の両側に3間(約6m)ごとに街道松が植えられていた。東の佐方橋から桂公園のあたりまで、文化2年(1819年)には68本の松並木があったと説明にあった。

佐方一里塚跡碑
 西国街道は、寛永(1624年)に、道幅2間半(約5m)と定められ、36丁(109m×36≒4km)ごとに一里塚が置かれた。広島市佐伯区との境近く、佐伯区内にあった。 

当時の一里塚のイメージを思い浮かべるため、前に撮った萩往還の佐々並市にあった「市頭(いちがしら)一里塚」の写真を取り出してみた。一里塚は、石で畔(あぜ)を造り、土を盛って塚木を立てたので、その形から一里山とも呼び、塚木は5寸角・長さ1間(15cm角・1.8m)に統一されていたそうだ。



 

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