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ふるさとの山歩き、樹木、カメラ、家庭菜園の日記

山歩き・歴史の散歩・樹木観察・デジタル一眼レフ・家庭菜園などの活動記録です。

津和野旅行(その2)

2025年04月29日 | 旅行

 2025年4月24日(木)、太鼓谷稲成神社から下りて向かったのは、森鴎外旧宅。鴎外(1862-1922)は、軍医、小説家、評論家、翻訳家。夏目漱石と並ぶ明治を代表する文豪。著書は、半世紀前に何冊か読んでいるが、全く覚えていない。1872年、10歳で上京するまで住んだ家。

記念館に一族・子孫の家系図が展示されていたが、文学・医学・芸術の分野で活躍した著名な人の圧倒的多さに驚いた。
   次に、津和野川を挟んだ対岸の、西周(にしあまね)の旧宅に行った。西周(1829-1897)は、「哲学」「知識」「概念」「芸術」「心理学」という訳語を創った蘭学者・哲学者・啓蒙思想家。 1853年、25歳で上京するまで住んだ家。


 鴎外の親戚で、鴎外が上京した時、西周邸に一時期住み込んでいたそうだ。片田舎出身の、家も近い親戚の二人が明治を代表する知識人になっているのに、またまた驚いた。

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津和野旅行(その1)

2025年04月27日 | 旅行

 2025年4月24日(木)、1泊2日で津和野旅行に出かけた。津和野で思い浮かべるのは、鯉と太鼓谷稲成。最初に向かったのは、鯉。むかしの門構えとなまこ壁の家が並んだ道沿いの掘割に、大きなカラフルな錦鯉が群れていた。しょうぶが咲いていたらもっと良かったのにと、思った。

 次に向かったのは、日本五大稲荷のひとつ「太鼓谷稲成神社」。1000本の朱塗りの鳥居が並んだ参道を登った。
  
色鮮やかな拝殿で、「ニ礼ニ拍手一礼」。願望成就など多岐にわたるご利益があるらしく、絵馬を奉納した。


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2024釜山旅行~8.釜関フェリーに乗って帰国~

2024年11月26日 | 旅行

 2024年11月15日(金)、16時に旅客手続を終え、待つこと2時間、18時に釜関フェリーに乗船した。帰りは、韓国船「星希」。搭乗券をもらうとき、2段ベッドの下をお願いすると、ベッドではありませんと言われた。従来型の2等客室で、雑魚寝になるようだ。寝返りも出来ないようだったら、嫌だなと思っていたら、定員6名のところに3名。

 21時の出航まで、デッキに出て、釜山港の夜景を見たり、同室の二人と話をして過ごした。

 1人は、休暇を取って、ソウルから釜山まで約700km、自転車でツーリングしてきたという、東京の青年。もう一人は、中国大連出身の、日本語が話せる香港の大学院生。下関に着いてから小倉・佐世保・長崎に行き、来月は舞鶴に行くという軍港マニア。若い二人のチャレンジを聞いて、好きな東南アジアの旅を再開したいと思うようになった。
    11月16日(土)6時半、レストランで8,000ウオン(約700円)の朝食(バイキング)を食べた。

出発前はいろいろ心配したが、7時45分下関港に着き、無事、釜山旅行を終えた。

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2024年釜山旅行~7.53年振りの国連軍墓地~

2024年11月26日 | 旅行

 2024年11月15日(金)、今日は帰国の日である。午前中、国連軍墓地に行った。1971年8月、初めて韓国に行ったとき訪れて以来、53年振りである。釜山で訪れ、記憶にある場所は、釜山駅・龍頭山・海雲台ビーチ。「なぜ」国連軍墓地を訪問したのか。そして「どのように行ったか」、全く覚えていない。
 国連軍墓地は、1951年、国連軍司令部が朝鮮戦争によって戦没した国連軍将兵の遺体を安置するため造った墓地である。世界唯一「国連記念墓地」に指定され、13か国約2,300人の英霊が祀られている。

 1971年8月1日、「なぜ」「どのように行ったか」考えてみた。
「なぜ」
  冷戦の真っただ中、朝鮮戦争休戦約20年の節目で、当時何かと話題になっていた。
「どのように行ったか」
  記憶と記録は、11時まで釜山駅にいたこと、列車に乗ったが、海水浴客に連られて海雲台で降りたことの2点。旧鉄道路線は山側に移設され、現在は廃止されている。当時の海雲台駅が、地下鉄2号線「海雲台駅」になっていることを考えると、旧鉄道路線は、地下鉄2号線に沿ってあったと、勝手に推測した。  

 今は、「国連記念公園」「国連記念墓地」と呼ばれ、地下鉄2号線「大淵駅213」から歩いて10分のところにあった。
 
 53年前と同じ場所に立って撮っても、残念ながら何も思い出せなかった。


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2024釜山旅行~6.二妓台海岸散策路~

2024年11月25日 | 旅行

 2024年11月14日(木)、海沿いのトレッキングコース「二妓台海岸散策路(イギテ  ヘアン サンチュクロ)」を歩いた。北の広安大橋方面から歩こうか、南の「五六島(オユット)スカイウォーク」から歩こうか。ユーチューブやBusan  naviで推奨していた「五六島」から歩くことにした。  
 計画・・・「地下鉄1号線『釜山駅113』から6番目の駅『西面駅119』で2号線に乗り換え、7番目の駅『慶星大・釜慶大212』で下車。5番出口から釜慶大方向に約100m行き、化粧品ショップ『SKIN FOOD』前のバス停で2-1番のマウルバスに乗る。終点「五六島(オユット)船着場』で下車」
 ビルは看板だらけで、『SKIN FOOD』を聞いても分からない。バス停で、2-1番のバスが中々来ないので、2番のバスに乗ったら、山の手を回って、乗車したバス停の反対車線に戻ってきた。こりゃ無理だ、行けない。広安大橋方面から歩こうと下車し、地下鉄で1駅先「南川駅211」に行った。
 南川駅から約2km、水營湾沿いに歩けばよい。最初から、ブログに従っておけばよかった。

 途中、コンビニで弁当を買うつもりだったが、見つからない。ホテルを9時前に出て、昼近くになっていたので、レストランで食事をする。メニューの一番上のハングルを指さし注文した。
 
腹ごしらえをして、ようやくスタートすることが出来る。地図の下の方は、住居だろうか、ものすごい数だ。12時にスタートラインに着いた。
 
 ときどき、振り返ったら、広安大橋(ダイアモンドブリッジ)が見える。魚釣りしている人もいる。

散策路は、しっかり整備されている。
 
14時過ぎ、4.7km歩いて、五六島(オユット)に着いた。スカイウォークも見える。

歩いてきた北方向を見ると、高層ビル群が見える。振り返ると、釜山港の入口だ。

断崖絶壁からガラスの道が10m突き出た「五六島スカイウォーク」を、恐る恐る歩いた。

帰りのマウルバスは、あちらこちら回って、ようやく南川駅211近くに戻ってきた。また、迷子になりそうだった。2015年に関釜フェリーから撮影していた写真を出して、今回歩いた海岸を再確認した。

 





 

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