イギリス、ルーツ社のヒルマン ミンクス マーク Ⅵです。
日本では1953年からいすゞがノックダウン生産を行ないました。
後継モデルはこちらをご覧ください。→Hillman Minx 1956-
同じくノックダウン生産された日野ルノーはこちらをご覧ください。→Renault 4CV 1947-
Isuzu Hillman Minx Mark Ⅵ Chiba The 33rd Tokyo Motor Show 1999年撮影
<参考データ>
Isuzu Hillman Minx Mark Ⅵ (PH10)
FR/L4,1.3L/Wheelbase 2,362mm,Length 4,000mm,Width 1,575mm,Height 1,524mm
日本では1953年からいすゞがノックダウン生産を行ないました。
後継モデルはこちらをご覧ください。→Hillman Minx 1956-
同じくノックダウン生産された日野ルノーはこちらをご覧ください。→Renault 4CV 1947-
Isuzu Hillman Minx Mark Ⅵ Chiba The 33rd Tokyo Motor Show 1999年撮影
<参考データ>
Isuzu Hillman Minx Mark Ⅵ (PH10)
FR/L4,1.3L/Wheelbase 2,362mm,Length 4,000mm,Width 1,575mm,Height 1,524mm
古めかしい50年代の欧州車、英国車の雰囲気がそのデザインにとても強く反映されていますが、実は後退したリアキャビンにフル乗車しても恐らく狭苦しいという苦情は出なかったのではないかと。そんなクラシック・モダンというんでしょうか、気の利いたデザインがすごく良いですね。
あのオースチンでしたか、ロンドンタクシーにも通じるグッドデザインです。
後期のPH100については、あのAvantiで有名なレイモンド・ローウイの作品だったことは高校生の時に読んだ「口紅から機関車まで(ローウイの自著。何故か翻訳は藤山愛一郎氏だったのでよく覚えています)で初めて知ることになり、僕の興味をデザインの世界へ向かわせるきっかけとなったのですが、正直なところあのクルマ自体にはあまり興味はなく特にアメ車然としたテールフィンの名残りとか、ホワイト/グリーンのツートーンの塗り分けがどうにも好きになれなかったこと、それに加えヒルマンがやってきたことで我が家の五右衛門風呂が無くなって徒歩3分とはいうものの近所の銭湯通いを強いられたことも大きな要因だったかも知れません。
お蔭様で未来は今では想像出来ないほど明るいに違いないと信じ、いつの日にか自分のデザインしたマスプロダクトの製品が世界中で愛されたら本望だと夢見たあの若き日の思いが蘇りました、と同時にあれから早や30年が。ああ…。
ヒルマンがこのかたちになったのは40年代の終わりのようですが、いわゆる「戦後モデル」特有のたたずまいがありますね。
ヒルマンと五右衛門風呂がバーターとは、なんとも笑えるような、笑えないような・・・
今度の日曜は八王子いちょう祭りですね。クラシックカーパレードもあるようですし、また行かれるとよいのでは。