1962年に発売された後、毎年マイナーチェンジを繰り返し65年にタテ型デュアルヘッドライトを採用したいすゞ ベレルです。
65年以前のいすゞ ベレルはこちらをご覧ください。→Isuzu Bellel 1962-
2代目セドリックはこちらをご覧ください。→Nissan Cedric 1965-
2代目トヨペット クラウンはこちらをご覧ください。→Toyopet Crown 1962-
2代目プリンス グロリアはこちらをご覧ください。→Prince Gloria 1962-
三菱 デボネアはこちらをご覧ください。→Mitsubishi Debonair 1964-
Isuzu Bellel Yamanashi 1967年撮影
Isuzu Bellel Tokyo 2019年撮影 <2020年3月画像追加>
65年以前のいすゞ ベレルはこちらをご覧ください。→Isuzu Bellel 1962-
2代目セドリックはこちらをご覧ください。→Nissan Cedric 1965-
2代目トヨペット クラウンはこちらをご覧ください。→Toyopet Crown 1962-
2代目プリンス グロリアはこちらをご覧ください。→Prince Gloria 1962-
三菱 デボネアはこちらをご覧ください。→Mitsubishi Debonair 1964-
Isuzu Bellel Yamanashi 1967年撮影
Isuzu Bellel Tokyo 2019年撮影 <2020年3月画像追加>
ベレルは?ですがベレットGTはたいしたものだと思います。
許可をいただいたのでベレットの記事でリンクさせてもらいます。ベレットは車種が多く写真の選択に苦労しそうです。GTとその他で2回に分けるべきか迷っています。
残念ながら志半ばでお亡くなりになられましたが、奥様とはいすゞ関連の展示会で時々お会いしております。
リンクの件、全然宜しいですよ、楽しみにしております。
そう言えば、今日の日経朝刊にベレルが載ってましたねぇ、驚きました(^^
三角のテールライトはおっしゃるように衝撃でしたね~あまり関心のない人も一度で覚えたんじゃないでしょうか。
(良し悪しは別として)こんなかたちが世に出せるということは上の人がよほど鷹揚だったんでしょう。
「柿の種」、なつかしいですね。特定の部位が愛称になった稀有な例ですよね。
「おにぎり」も当時(子どもたちの間だけ?)使われていた気がします。
タクシーはありましたね。あとベレルのパトカーもたま~にですが走ってました。
皆さんからコメントをいただいて改めて初期モデルの写真を見て考えました。
問題点はふたつ、リアピラーとリアフェンダーの面を同一にしたことによりサイドガラス面とのすごい段差が出来てそれが上屋全体に悪影響を及ぼしたことと、流行のラップラウンドウインドウを使ったがゆえに(すぎりんさんも述べておられますが)フロントサイドウインドウが極端に小さくなり車としてのバランスがくずれたことではないでしょうか。
特に前者は車全体のクオリティを著しく下げてしまいました。
この写真のモデルではさすがにまずいと考えたのでしょう、リアピラーとフェンダーとの間には段差が設けられましたが。
言われてみれば、たしかにフラミニアっぽいフロントですねえ。
紹介していただいたベレGのスケッチとこのオリジナルとの間には時期的なもの以上にかなりの懸隔があるように思われますが、両方とも井ノ口さんの作品なんでしょうか。
ベレGの写真はたくさんあるので今後記事にする予定ですが、その時オリジナルスケッチとしてgopさんのこのページをリンクさせてもらってもよろしいでしょうか。
当時のテールライトと言えば、
310ブルの「柿の種」、セドリック、観音開きクラウンや、
コンパーノ等の「水滴」タイプか、
フィン付きグロリア、コルト1000などの「丸形」でした。
それが、このベレルは斜め三角ときた。衝撃でした。
実は、格好いい!の自信もなくカッコイイと思っていました(笑)
当時のいすゞは面白いです。
その後の初代ベレットのテールランプは「おにぎり」と呼んでいました。
ベレルは縦4灯になって、まともになってしまいましたが、
それでも、流行のデコラティブなFグリルは目にとまりました。
以上に狭いFドアウィンドーも不思議なバランスでしたし、
クリームとオレンジのツートンカラーも、
子供心に「カッコええんかなぁ???」って思っていました。
でも、でも、好きですベレル。
同じ少数派でもデボネアに比べると、運が無いと云うか、何であんなに「嫌われ」たのでしょう。
一説には初期ディーゼルの振動のせいと云われていますが。
改めて見るとヨーロッパ車そのままのスタイル。これが日本オリジナルを出すため稚拙な応接室みたいな取り入れを切磋していた各メーカー車からみると、何とも鷹揚でボケた前時代的にも思えます。
その辺といすゞの「バスやトラックが売れればいい」、みたいな企業姿勢。そんなところでマスコミや顧客にスカンを食らったのかもしれません。
(想像ですが)
似せたのでは無く結果そうなってしまった様ですが(笑)
当時未だ芸大の学生だったいすゞ初代デザイン部長、井ノ口誼さんの処女作品です。
井ノ口さんのスケッチはこちらにアップしてます。
http://blog.so-net.ne.jp/987/2006-04-30
構造的にもBピラーが折れるとか色々あった様で、悲運な車でしたね。