☆ BEAUTIFUL CARS OF THE ’60s +1 ☆

Koyapopが1960年代以降に撮影したいろんな時代のいろんなクルマの写真を紹介しています。
(C) Koyapop

Chevrolet Impala 1965 ホップアッブした65年型のシボレー インパラ

2010-10-22 | CHEVROLET
前年までの水平基調を改めホップアップラインを採用した1965年型のシボレー インパラです。
コンバーチブルはこちらをご覧ください。→Chevrolet Impala Convertible 1965
前年のインパラはこちらをご覧ください。→Chevrolet Impala 1964 -02
66年型のフルサイズ シボレーはこちらをご覧ください。→Chevrolet Caprice/Impala 1966

Chevrolet Impala 1965  Tokyo 1966年撮影



<参考データ>
FR/V8,6.7L/Wheelbase 3,023mm,Length 5,413mm,Width 2,022mm,Height 1,407mm

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6 Comments

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これがベスト!。 (大内 誠)
2010-10-22 17:06:51
Koyapop様
インパラはこれが一番好きです。リヤのテールランプが小さくて丸く、それがウェストラインの上に来ている所が良いですね。

2ドアークーペも、好きです。
羽根の生えたインパラ。 (元自動車少年)
2010-10-23 22:55:23
今では全く考えられないほど贅沢に思えますが、実は50系のクラウンがデビューするまでの当時は僕が都心で見かけるハイヤーは殆どがインパラとかダートでした。当時の国産車の多くにはクーラーを効かせながら箱根や日光などの山越えというのはまだまだ過酷で翌夏の炎天下の峠のそこかしこでオーバーヒートで立ち往生しているクルマを見かけたものでした。

この翌年の夏、箱根で療養中だった祖父が突然危篤状態になり両親は小学生の僕が学校から帰るのを待てずに二人で現地へ向かい、僕は帰宅するや否や横付けになって待っていたインパラのハイヤーで箱根へ行きました。
あれは夏でしたし、余命が殆どなくなった祖父に何とかひと目合わせようと箱根越えを考え父が奮発したようで、確かに辛うじて祖父の息のある間に傍へ行けたのもあの淡いメタリックのインパラのおかげだったかも知れません。
涼しい後席から身を乗り出したまま200km/hまで目盛られたヘルスメターのようなスピードメーターを覗きながらの黙々と運転するプロのハイヤードライバーさんの動作を食い入るように見つめていたらいつの間にか夜の箱根に着いて、祖父の最期を僕も見取ることが出来たのでした。

その数年後の昭和49年の春。永い間別居していたクライスラーしか乗らなかったはずの父が薄いブルーのインパラコンバーチブルでやって来たのを最後に同年12月に父は亡くなりました。

ただの偶然とはいえ今になって思えば僕にとってのインパラは大切な身内があの世へ行く時にやって来るまるで天空から舞い降りてくるペガサスのような存在だったようです。
デイトナにも (Koyapop)
2010-10-23 23:46:08
大内さん、こんばんは。
上向き面についた小さな丸いランプは、後のデイトナあたりにも通じる構成ですね。
65年型、プラモデルは作られましたか?
ありがとうございます (Koyapop)
2010-10-23 23:47:08
元自動車少年さん、こんばんは。
心に沁み入るお話を読ませてもらいました。

さらに古くなりますが羽ばたくような羽根の59年型なんてまさにペガサスの名にピッタリのような気もします。
緑ナンバーですね (gogo3918)
2010-10-29 10:35:26
ハイヤーでしょうか?
番号からすると当時営業車で3ナンバーは
とても少なかった事が判りますね。
貴重な写真有難うございます。
ハイヤーです (Koyapop)
2010-10-30 09:18:43
gogo3918さん、こんにちは。
この車はおっしゃるとおりハイヤーです。
淡い水色だったような記憶があります。
因みにプレートは「多摩 3 を ・・・2」です。