神戸の大震災から15年という事でテレビでは毎日のようにあの時の画像を見せてくれる。
一番心を打たれたのは、しゃがみ込んで足元の瓦礫の1つずつ払いのけながら一心に何かを探している少年の姿だった。
新聞記者が「必ず写真を撮って来い、人間を撮るんだぞ!」と追い出されるように市内を歩き回るが、あまりの悲惨さについカメラのシャッターを押せずに帰り、又追い出されてきた時だった。
「何を探しているの?」と聞く記者に小さな声で「お母さん」と答える。
「この下にいるの?」と聞くと小さな洗面器指さした。
その中には焼け焦げた骨が何本も入っていた。
声もなく、暫くして写真を撮らせてもらったが、その写真が新聞に載る事はなかった。
記者は写真を撮ると一緒に骨を探した。
私は以前、「大きな地震が来てもかまわないわ、そのまま死んでもいいや・・・」と思って寝ている、と不謹慎な事を書いた。大地震の怖さを知らず、体験した事もない私に大地震を論じる資格はないのだ。死ぬのは私1人ではないのだ。愛する子や親、きょうだい、その親族、友人など、死に直面しなくても死より酷い怪我もある。
遺骨の無い葬儀もあった。
15年前のあの時、姉がアメリカから小さな孫を連れて遊びに来ていたが、テレビでニュースが入る度に死者の数が増えていき、とうとう6000名を越しているのには本当にびっくりした。
その頃には神戸は火の海だった。
何時、何処で起きてもおかしくない地震の巣の日本・・・
いい加減な物言いは止めようと思った。
一番心を打たれたのは、しゃがみ込んで足元の瓦礫の1つずつ払いのけながら一心に何かを探している少年の姿だった。
新聞記者が「必ず写真を撮って来い、人間を撮るんだぞ!」と追い出されるように市内を歩き回るが、あまりの悲惨さについカメラのシャッターを押せずに帰り、又追い出されてきた時だった。
「何を探しているの?」と聞く記者に小さな声で「お母さん」と答える。
「この下にいるの?」と聞くと小さな洗面器指さした。
その中には焼け焦げた骨が何本も入っていた。
声もなく、暫くして写真を撮らせてもらったが、その写真が新聞に載る事はなかった。
記者は写真を撮ると一緒に骨を探した。
私は以前、「大きな地震が来てもかまわないわ、そのまま死んでもいいや・・・」と思って寝ている、と不謹慎な事を書いた。大地震の怖さを知らず、体験した事もない私に大地震を論じる資格はないのだ。死ぬのは私1人ではないのだ。愛する子や親、きょうだい、その親族、友人など、死に直面しなくても死より酷い怪我もある。
遺骨の無い葬儀もあった。
15年前のあの時、姉がアメリカから小さな孫を連れて遊びに来ていたが、テレビでニュースが入る度に死者の数が増えていき、とうとう6000名を越しているのには本当にびっくりした。
その頃には神戸は火の海だった。
何時、何処で起きてもおかしくない地震の巣の日本・・・
いい加減な物言いは止めようと思った。