古里の暮らしの中で

私の住んでいる地域の文化を紹介する

清水寺ウオーク

2010-11-28 22:06:42 | Weblog
11月27日(土)9時清水寺駐車場集合で36名集まりました。
お天気が良く、あいにく大山は雲で見えなかったものの、
素晴らしい見晴らしと紅葉でした。

今回のウオークは一般の観光客は行かないコースでした。
それも、三門から第2駐車場、仁王門、展望台、3重の塔とまわり、
札打ちコースを逆にまわりました。

展望台からの安来市の眺め。
真ん中に小さく黒く見える三角の山は十神山です。
米子市もよく見えました。

地元では、亡くなった方の供養の為、葬儀のあくる日に札打ちをするのが一般的です。
この清水寺は観音様が祀られていますが、南無地蔵大菩薩と印刷した紙に戒名を書いて
納めていきます。この日も、そんな知り合いに出会いました。

3重の塔から山道に入り、お札を納めていきます。
番号の案内があり、1番から33番のお地蔵様や、観音様があります。
これは23番の観音様です。

紅葉は、今が盛りという感じで日の光を浴びた紅葉はきれいで、落ち葉はじゅうたんを踏んでいるようでした。
 

9時から歩き始めて、展望台で休憩し、3重の塔、本堂あたりで写真を撮ったり買い物をしながらゆっくり、
出発点へ帰ってきたので10時45分に解散になりました。
せっかく清水寺へお参りしたので、お昼に精進料理でも食べて帰りたかったのですが、
時間が中途半端だったので、あきらめて帰りました。

清水寺は、3重の塔までは行く方は多いですが、そこから山へ入り、秋や春の天気のいい日に、
お地蔵様を拝みながら展望台をまわって一周するコースはお勧めです。
運動靴をはかないとハイヒールでは無理ですけど。
距離的には3キロくらいですが、今回のコースは逆周りだったので、初めに石段や坂道が続き、
私にはそこの所はきつかったです。


蕎麦の実 掃除

2010-11-25 22:38:07 | Weblog
唐箕で屑を分け、トウシでおろした後、大きいごみを取ったあとにまだ作業が残っていた。これで見た目はよさそうなのだが、                                        これが蕎麦の実
  
ここについている小さい葉っぱや、混じっている石を取り除かないといけないそうだ。分けてきれいになったのが、この一番左の状態になる。
 


昨年、製粉所に持って行った時、砂やごみが多くて商売用の製粉に悪影響が出るので、
もっときれいにしてほしいと言われたそうだ。
初めは、外で大きいごみを取っていたが、外は寒くなった。
そこでキッチンの食卓の上に紙を敷いて選別したら、
それまで気がつかなかった砂が思いのほか多く、もう一度初めからやり直しをした。
何も我が家でばかり、こんな作業をしなくてもと思ったりするのだが、
「また人を動員するのも大変だし、おまえにしろとは言っていない」と夫が言うのに、
私もなんとなく手が出てしまう。
もういやだ、と思う頃ようやく十数日間の作業は終わった。

「来年の蕎麦を食べる時は、お客さんでよばれるぞ」と言いながらの作業だった。
蕎麦はこんなに手間が掛かるから高いのかな。

蕎麦の実落とし

2010-11-09 16:21:39 | Weblog
11月6日(土)午後、晴れ渡る秋空の中、蕎麦の実落としがありました。
これは小学校の6年生が8月初めに種を蒔き、10月23日に刈り取りと、はで干しがしてあったものを、この日実落とし作業をしたものです。
交流センターの子供たちの体験学習の一環として、地元の長寿会の皆さんの指導と協力によりここまでこぎつけました。

9月末頃の蕎麦の花


唐箕(とうみ)で実と屑を選り分ける(幸助という焼印がありました)


採れた蕎麦の実


蕎麦の実は20キロありました。
これを製粉所で粉に挽いて貰い、来年1月に経験者に指導してもらいながら、子供たちも蕎麦うちをしていっしょにいただきます。
10年位続いている、交流センターの行事の一つです。
昨年は9杯も食べた子がいたそうです。

私も子供のころ、唐箕で祖母といっしょに豆を選り分けた記憶がよみがえり
すべて木製のこんな機械がまだあったのかと、とても懐かしい気がしました。

鑿渠之碑(さっきょのひ)

2010-11-03 22:28:59 | Weblog
10月31日(日)雨の中、第8回まめなかウオークあらしま
「先人の知恵と汗の跡・久白暗渠(くじらあんきょ)を訪ねて」があった。
雨が降っていたので、どうせ外仕事は出来ないし、家でテレビを見ていても2時間、
雨の中を歩いても2時間と思い、カッパを着て傘を差して出かけた。
雨にもかかわらず参加者は22名、これで今までの述べ参加人数はが337名だそうです。

明治20年から22年にかけて久白村の農民が農業用水確保のため、
山向うの西赤江から約160メートルの暗渠を自分たちの力で掘ったものです。
当時県会議員だった(後・衆議院議員)の佐々木善右衛門や戸長の青山利助などとともに
測量機などがなかった当時、一般的には極めて貧しかった農民が、鋭い勘にたより、
堅忍不抜、団結一致、満2ヵ年の労働奉仕によって成した偉業で、
その価値は単なる経済的なものに止まらず、偉大な精神的遺産でもある。
《板持 輝氏・鑿渠の冊子より》

後の市の工事によりコンクリートで補強されていますが、
今も農家の方たちはこの暗渠の清掃をし、農業用水として使っておられるそうです。

この写真の一番左の石碑が鑿渠之碑で国正寺の境内にあり、
当時の模様を今に伝える記念碑。碑石裏側には、寄付金を出した人や
村民など65名の名が刻まれている。



次に行ったのが久白暗渠の出口
 

山を越えて降りたところに暗渠の入り口
 

暗渠の高さは約7尺(約2,1m) 幅は3尺(約1m)です。
今のような機械力のない時代、これを両側から掘り進めたということです。
しかも高低差などどうやって計算したんだろうと、皆、口々に驚きの声を
上げていました。
地元でも知らない人が多く、こんな機会でもないと行って見ることができないからと
参加した方も多かったようです。

こんなのを見つけましたので、ご覧下さい。
http://arashima.yasugi.info/ara/ijin/kujira/sigoto.html

次回は、11月27日(土)清水寺へウオークの予定です。