古里の暮らしの中で

私の住んでいる地域の文化を紹介する

墓地一斉清掃

2010-07-27 13:20:52 | 地域の行事
7月の最終日曜日が、我が家の墓のある墓地組合の一斉清掃の日と決まっている。

こちらの田舎では、寺に属した墓地や、自宅近くにある墓地やと家によっていろいろである。
寺に属している墓地であっても、その管理は寺の組織とは別に墓地組合があって
清掃やいろいろの墓地に関する用事をしている。

我が家は今年、20戸ほどの墓地組合の長を引き受けており、会費や水道料の会計管理、清掃などの行事の段取り、
焼却炉の当番を決めたりする用事がある。

今年はまさかこんなに暑くなるとは思わなかったので、昨年どおり朝8時から10時までと連絡した。
昨年、溝にたまった泥を引き上げることになっていたがやっていなかった為、
今年は草刈りとその作業もすることになった。

当日は朝から焼けつくような日だった。それでも前日よりは多少陽が弱くほんの少しましだった。
欠席した者は1000円を払う という取り決めがあるが、これは歳をとって出られない方のための取り決めであって、
「1000円払うから出なくてもいい」というわけには行かない、暗黙の了解の様なものがある。

10時にお茶を持っていくように予定していたが、9時半にとの連絡が入り、用意していたお茶やお菓子の他に、氷も持っていった。
それまでに一度休憩があり、近くの他の役員の方もお茶を出していてくださったようだった。
それほど今年はたいへんな暑さで、長年農家をされていた方でも、たいへん疲れたご様子だった。
特に夫を亡くされた方で70代やそれに近い方、家に若い者がいない方が出ておられるのを見ると、
墓掃除のことに限らず、いつも夫や息子に出てもらっている自分が申し訳ないような気がした。

それぞれの家の墓の管理をする方も老齢化などいろいろ事情があって、たいへんだ。
墓地は山の上というほどではないにしても、石段を上がっていかないといけない。
数年前にはその石段に各戸で12,000円づつ負担して手すりがつけられた。

墓を継ぐ人と連絡がつかなくなって、親戚に当たる方が仕方なく管理をしておられる墓もある。
そのお宅自体も娘さんがみな嫁いでしまわれて、この先 娘に迷惑を掛けないためにはどうしたらいいだろうと話される方もある。

各家の墓の掃除はこれから始まる。普段からきれいにしてあるが、盆はちょっと念を入れて掃除をする。
旅行して他の土地を見ると、普段あまりかまっていないらしい草ぼうぼうの墓地をみて驚く。

実を言うと、私の里のほうでも、新仏さんや彼岸や盆を除いてあまり墓にはお参りしなかった。
今、私が住んでいる土地はそれほどでもないが、安来市の旧市内の墓地は「競争している」と皮肉られるほど
花をきれいに飾って普段のお参りも欠かさない。

また、我が家の墓のある墓地を含めて、この近くには、「両墓制」(りょうぼせい)といわれるしきたりの残った祀り方がある。
これは、民俗学的に調べられていて、お骨や遺体を埋めるいわゆる「埋め墓」とは別に、祀り墓があり、
2箇所を管理し拝むというものである。

草刈りをおわった墓のげし(傾斜面)はすがすがしく見えた。
それぞれの家の事情を呑み込んだまま、また盆がやってくる。



おくの細道 第3部(3)

2010-07-12 22:28:18 | 
夫から電話があり、近くの駅まで迎えを頼むと言う。
私も無事に近くまで帰ったことでほっとした気持ちがあり、
「折角、ずっと歩いたんだから後10分ほどのところもついでに歩いたら」とからかったら
「こんな格好で歩いたらみんなに注目されるからとにかく頼むわ」と言うので駅まで迎えに行く。

だいぶ、日焼けしていたが元気な様子。
今回の旅は、妙に女性運に恵まれた、などと宣う。

後日、夫の知り合いに会ったら「死ぬような目に遇われたそうですね」と言われるので
「そんなこと、私は聞いていませんけど。私に言うと、もう出させてもらえないと思って言わないかも知れないね」

叔母のところに行ったら「疲れが出んかね」と聞かれ、
「遊んでいて疲れたなんて、家内の前で口が裂けても言われんですわ」

島根県は全国的に認知度が低く、鳥取県の左です などと言っている。
しかし、私たちにしても東北方面は良くわからず、今回の山形県も
日本海に面していることを初めてきちんと確認した。
山形の言葉も聞き取れないことが多かったが、親切な方が多かったとのこと。

最上川の舟下りで降りるとき、船頭さんが「気をつけてのう」といわれ、「のう」と言うのを良く聞いたそうだ。
こちらではさしずめ「気をつけてね」か。でもこの「ね」は外の方には「にゃー」と聞こえるそうだ。

次回の予定は今年の秋。長岡から岐阜県の大垣まで これで奥の細道2400Kは完結予定。
私もそれまで少しづつ身体を鍛えて、少しの区間でもいっしょに歩く気持ちになりたいと思う。

おくの細道旅 第3部(2)

2010-07-03 19:00:08 | 
今日も無事との電話が入った。
今日は昨日と真反対で、予定していた以上にうまく行ったようだ。

鶴岡駅からJR羽越本線で酒田駅に行き、レンタサイクルで近在を廻った。
曇り時々雨の予報がはずれ、30度の暑い日だった様子。
予定より、一便早い列車でJR羽越本線秋田行で吹浦(ふくら)駅へ。

偶然、今夜泊まる宿の車が女性の2人連れを迎えに来ていた。
自分も今夜泊まることを運転手さんに話し、車に乗せてもらって十六羅漢像の場所を聞いた。
そうしたら、宿をすぎた所にあるとのことで、乗せて行ってやるという話になった。
それを聞いた女性たちが、そんな所があるなら自分たちも行きたいと一緒に行った。

その中で、奥の細道を歩いている話しをしたら、その運転手さんが芭蕉に関係あるところに連れて行ってくださったそうだ。
芭蕉の句碑や、少しだけ残っている昔のおくの細道へも案内してくださったうえ、
今回はあきらめて通過しようと思っていたところまでも、行くことができたそうだ。
偶然いっしょになった女性も喜んでおられたとのこと。

女性の方と話しをしていたら、8月末に松江、大塚、境港へ旅行に来られるとか。
その方は、大塚出身の友人がいるとのことで苗字を聞いて話しているうちに
その友人というのは娘の高校時代の同級生とわかったうえ、
私達の娘と同じ市に現在住んでおられ、世間は広いようで狭いと思ったという。

女性のお母さんが、今夜いっしょに食事をと
誘ってくださって今夜は女性2人に囲まれての夕食のようだ。
来月末に予定が合えば、こちらの案内を約束したそうだ。

今日は考えられないくらいうまくいったので、先ほど、昨日、月山で引いていたおみくじを開けてみたら「大吉」だったと、
ふだんの夫に似合わないことを言っていた。






おくの細道旅 第3部

2010-07-02 21:38:41 | 
夫から留守番用メモの予定時刻どおりに、ホテルへ着いたとの電話があった。

昨年春は、東京・深川から仙台まで、秋は仙台から山形・立石寺まで歩いた。
3回目の今年は今、山形県から秋田県、秋田県から山形県を通過して新潟、長岡までの旅をしている。

今日、月山へ登り、反対側の湯殿山神社へ降りるコースが今回の旅の一番の山場だと言っていた。
安全を期して、7月1日に山開きがあってから登る、とのことで今回の出発はこの梅雨の中になった。

芭蕉は月山の頂上で宿泊し、寒かったという記述を残し、登った道を降りてから、湯殿山に向ったそうだが、
我が家の俳句を詠まない芭蕉は、月山の頂上から、反対側へ降りる計画だ。

今日の行程は強烈に思い出に残る、たいへんだった、と言っていた。
8合目までバスが行くので、頂上までの2時間40分の登山予定だった。
そこまでは大変ながらも順調に行ったが、降りるのがたいへんだったそうだ。
石ころがごろごろした道だし、どしゃ降りの大雨になり、雷がひどくて怖かったようだ。
雪渓もあり、夫のはいていた靴はすべって、どうしようもなかったと言っていた。

若い女性の4人づれが、雷の中を平気で下山するので、自分も雷の中、じっとしていても身体を隠すところもないので
いっしょに下山し、途中に避難小屋があったので30分ほど避難していたとか。
その後、その女性たちといっしょに下山を始めたが、若さにはかなわず、先に行ってもらったそうだ。

どうも、今日はくたくたになった様子だ。
私が、出発前からこの山登りを心配していた気持ちが、どうやらわかったらしい。
雷がどんなに怖かったかを説明する夫に、私は安心した気持もあって、笑い出してしまった。

姑が言っていた。この子は雷と蛇が大嫌いだ。
子供のころ、雷がなると(音がすると)蚊帳を吊ってくれと言いよった(いつも言っていた)。
山の畑に肥桶を担いでいく時、蛇がいたと言って肥桶をひっくり返して逃げてしまったと。

マー、無事に着いたからいいようなものの、前回のなたぎり峠の熊騒ぎに続き、山はやはり怖い。
講演会を頼まれると、その中で「帰る家があって、迎えてくれる家族があるから旅に出る」などと
格好をつけたことを言う夫に、私は内心、憤懣やるかたない思いもあるが、それでも無事の帰りを待つ自分がここにいる。