古里の暮らしの中で

私の住んでいる地域の文化を紹介する

稲が転んだ(2)

2009-09-23 14:24:01 | Weblog
2日前、墓参りに行った際、ここ十何年も見かけなかった珍しい光景を目にした。
5,6人の近所の女性が、鎌で稲刈りをしておられる。
機械で刈り取ることの出来ない田んぼの隅の方を、手刈りするのは良く見られることだが、こんなことは珍しい。

今年はあちこちで稲が倒れている。
倒れているというより、田んぼ全体の稲がひれ伏している。

最近は高齢化や若者の農業離れにより、私の住んでいる町内では2,3軒を残してほとんどの家が
契約して、田んぼをほかの人に作ってもらっている。
十数軒分をまとめて受けておられる家は、大型機械で作業されるのだが、
あそこまで倒れてしまっては機械刈りが出来ない。
そこで地主に当たる家の方に手作業の稲刈りを頼まれたのだそうだ。

10日ほど前、委託を受けておられる家のご主人が水門へ向かわれるのに出合った。
この水門も農業にはかけがえのないものだ。
海に近いこの地は、高潮になれば水門を閉めないと潮水が田畑に入ってしまう。
雨が降れば水門を開けないと、水浸しになってしまう。
高齢化でこの水門管理を交代してくれる人がいないようだ。

「稲が倒れて大変だそうですね」と言ったら、「やっと米の出来が持ち直したと思ったら、寝転んでしまって。
家内には、お父さんが欲を出して肥しをやりすぎたんだと責められるし、今年はもうだめですわ」と
奥さんよりも気落ちしておられる感じだった。

このあと奥さんと出会い、話をした。
倒れた稲は出来るだけ早く刈り取らないと、稲穂のところから芽が出て品質が落ちるとか。
それだからといって早すぎると、熟していなくて青い籾(もみ)が多くなりこちらもだめなんだそうだ。
「遅く実る種類の稲に期待しているんだけど、これはこれで台風にやられるかもしれないし」と言われる。

20世紀梨は台風に遇わなかったので収穫は良かったが、その代わり値段が良くなかったとか。

なんと農業とはむずかしいものか。
今まで何気なしに見ていたが、こんな天候不順の年はいろいろと
考えさせられる年でもあるようだ。



稲が転んだ

2009-09-06 19:47:45 | Weblog
先日、近所の仲良しの農家の方が花を持ってきてくれた。
今朝の雨で、稲が全部の田んぼで転んでしまったと言われる。
私は夢うつつで雨の音を聞いていたが、今朝の雨は重かったそうだ。

日光が少ないと、日差しを求めて茎が伸びてしまう。株も根が張らないので倒れやすくなる。
それだけではなく、肥料のやり方も関係があるそうだ。

農業のことがわからない私は、倒れても天気が続けばまた起きてくるのかと聞くと、倒れたらもう元には戻らないと苦笑いされる。
機械で稲を刈るときに、稲が立っていれば両方向から刈ることが出来るが、倒れていると倒れた方向から刈らないと、
もみがいい具合に採れないそうで、稲刈りが大変になってしまったそうだ。
梨農家でも台風が1回来れば1年の苦労が水の泡になる、まだ稲穂が水に浸かっていないだけでも、まだましだ、
農業というのはこんなもんだと言われる。

その前には、朝10時前でも炎天下の日があり、家におられるだろうと思い、お茶を誘う電話をした。
そんな日なのに、田んぼにおられた。その日、病院の検査予約があり、これから帰って病院に行くと言われる。
ご主人が病院まで送っていかれる予定だったが、私が偶然電話したので、私が送っていく事になった。
ご主人が着替えて送っていくとなると、大変な田んぼ仕事のロスになるそうで感謝された。

着替えたらうちへ来てもらい、お茶を飲んでから、病院へ向うことにした。
のどが渇いているであろう彼女のために、平茶碗を出してきて氷水でお抹茶をたてた。
夏にはそんな気にならなかったのに、やはり今年の気候は変だ。

暑くても我慢する。
一生懸命働いておられる農家の方のために、もう少し暑い天気が続くように、
収穫まで台風が来ない様に、祈るばかりだ。







嫁入り布団

2009-09-04 15:15:12 | 日々の暮らし
納戸の押入れの使わない布団をまた整理した。
姑が「なんぞごとあったときに」と口癖のように言ってため込んだ綿の布団だ。
亡くなったときは14組あった。
いろいろ整理し、来客用として掛敷き対になっている6組を残した。
それでもなお残っていた新品の掛け布団5枚を捨てられないでいた。
今回、ある施設におそるおそる電話してみたら、喜んで引き取ってくださった。

それでも残ったのがこの嫁入り布団。

嫁いだ先は150年も経った傾いた家屋だった。
新婚の頃、押入れにねずみが入り、この掛け布団の縁を噛んでしまった。
姑は私にあやまり、おしっこをかけられた所の綿を取り、噛まれたところを別の布で補修してくれた。
子供が生まれ、自宅にお祝いのお客が来られる時、姑は「これはおまえの晴れだから」とこの布団を出してきて、掛ける様にしてくれた。
1回だけ、里の父が我が家に泊まったことがある。
この時も、この布団を出すものだと言われ、この布団で寝てもらった。
この布団を使ったのは、この2回だけ。ずっと押入れで眠っている。

今回、このねずみがかじった掛け布団を整理しようと思った。
シーツを掛ければ判らないが、使わないものは処分していかなければの思いだった。

はさみを入れていくといろいろなことを、特に亡くなった母のことが思われた。
この嫁入り布団は、私が要らないというのに、舅姑がいるところに嫁ぐのに肩身の狭い思いをさせてはいけないと、作ってくれた花嫁道具の一つだった。緞子(どんす)のいい布団だと姑も言っていた。
「いくらできの悪い娘でも、大事に育てた娘だから、手を上げられるようなことがあれば、その時だけは離婚して帰ってきても良い、それ以外は、帰ってくることは絶対認めない」と言ったこと。「おまえが舅姑の同居の家で暮らせるはずがない」といったこと。
この言葉があったから、私は意地で頑張った。

子供のお宮参りが終わり、初めて里行きが出来た。
《初めて子供を里に連れて行った時に、長くいると子供が病気になった時、長引く》
とのことがあり、私は子供を抱いて夕方一度里の玄関を出て、またこんにちわと玄関に入った。それでも1泊しかさせなかった。「舅姑さんのあるところに嫁にやったのだから」と母は目に涙を浮かべて私達の帰るバスを見送っていた。

若くして半身不随になった時、「 いい時は短い」と言っていたこと・・・はさみが進まなくなってしまった。

そうだ、写真を撮っておこう。それと夫婦(みょうと)座布団も。
これで吹っ切れて、掛け布団1枚を解いた。いい綿が使ってある。
私が今使っている敷布団も重くなってきたので、この嫁入り布団の敷き布団を、私が普段に使うことにした。
掛け布団は、一度羽毛布団をかけたら、綿の布団には戻れない。

もう一枚残った掛け布団と、夫婦座布団。
手放せないし、どうしようもないので、ちょっと陽に干したらまた押入れへお帰り願おう。


パワーポイント2007

2009-09-04 09:41:06 | Weblog
パワーポイントを勉強してみたいなとなんとなく思っていた時に、パソコンの勉強会で今、優待パッケージがあって
9,980円で買えると教えていただき、とりあえず購入した。が、箱入りのまま今日まで来た。
その時は、特に目的があったわけでもなかったが、今回勉強する目的が出来たのでパソコンに取り込んだ。

そのパッケージには使い方の説明書が入っていない。
マイクロソフトのホームページにもほんの基本形が少し載っているだけだった。
最近は、説明はダウンロードの形態が多くなっていると聞いていたが、そんなことも書いてないので、サービスセンターに電話してみた。
そうしたら、2回だけ技術職が教えるサービスがあるので、使い方を聞いたらどうでしょうと言われる。(この説明のしかたが、英語を翻訳したような言い方で訳がわからず、私も少し意地になってしつこく聞いたけど、結論はこんなところだった。今から思うと、日本人ではなかったかもしれない)

でも、パワーポイントは全く初めてなので少々のことを聞いてみてもしょうがない。
マイクロソフトとして、説明しているサイトや本はないとのこと。
でも他社で本を出しているので、本屋に行けばあるとのことだった。

夫に話すと、自分のことでパワーポイントが必要だし、まして本屋と聞けば行動が素早くなる。
私が着替えて外に出ると、もう車のエンジンがかかっている。
日常がこれならいいのに、と思いながら車に乗る。乗ってから「ああ、パソコンの仲間の方に聞いてみてからが良かったかな」とも思った。

パワーポイント2007を説明した本は1冊しかなかった。
1,480円+消費税 この地方で一番大きい本屋さんなので比べるまでもなくこれを購入した。
本を見ながらやってみると、ワードやエクセルの延長の感じだ。
今回は、画像と文字が入ればいいので何とかできそうだ。

夫は3年ほど前、旧東海道の一人歩きに出かけた。
秋に東京から浜松まで、翌春に浜松から京都まで、500キロを旧道と徒歩にこだわり歩いた。
「時間と体力と金」がなくては出来ない最高の贅沢だと言う。
昔の勤務先の方に頼まれて初めてその講演をしたところ、100の椅子が足りなくなった。
その後あちこちから声がかかり、最近まで同じ話をあきもせず10回くらい講演した。
講演料が要らないところと気安いことが良かったようだ。
この講演の際、パソコンに写真を取り込んで、プロジェクターで映して説明していた。

今年は、芭蕉が歩いた「奥の細道」に挑戦すると言う。
2400キロを4・5回に分けて歩くと言う。
まだ、はっきり決めていない4月。以前講演した会から連絡が入った。
年間予定を立てたので12月○日に忘年会でホテルを予約した。
その日宴会の前に、奥の細道の講演会を頼むとのこと。

頼まれたからには、行かなければ話が出来ない、とか何とか言って夫は出発した。
5月下旬、10日間ほどで、東京深川から仙台までだった。
インターネットで安いホテルを予約しているが、その日そこまでなんとしてもたどり着かなければと言う難しさも生じる。
一日に20~30キロを歩くとはいえ、東海道の時のように「全行程を徒歩で」というこだわりが今回はないのでその点少し安心だった。
東海道の時は、講演することなんか頭になかったので、写真も多くなかった。
ところが、今回は出発前に頼まれているから、写真を写しすぎてしまった。途中でメモリーが一杯になり、
「今、田舎道を歩いているが買えるような店がないか、検索してくれ」などと電話してきた。

10月初め、今度は仙台から山形・立石寺(りっしゃくじ)まで歩くと言う。
なんやかんや言いながら、馬鹿な妻は、「パワーポイントで講演できたらいいな」という夫のつぶやきに反応してしまった。

写真の上に、「古池や」「かわず飛び込む」「水の音」というふうに順次出していけたら面白いだろうななどと、
現在の技術も顧みず、考えている、いよいよ馬鹿な妻の話でした。