私の住んでいる街は、歴史が古くもう1500年以上続いている街です。そのために皆貴族のように心を構えています。本人たちはあまり気づきません。しかし、近年の「市政」は50年前に現在のエリアになりましたが、街の古さと歴史はあっても「日本史の重要な街」ではないことと、真実には十分に科学的にも面白い内容ですが、カトリック教会から遠いこと、8~10kmあります、そして、市政の手段として、辺境扱いされることが多かったのです。
その為、私の子供の頃は少しは、田舎らしさもありましたが、今では、その心は、ほとんど変わってしまいました。
そのためもあってお互いに心が通じにくくなりました。特に、私の公式のカトリックの洗礼としている洗礼は、カナダ人司祭でしたし、後日にポーランド人司祭にいろいろ相談したこともあって、司祭になるよう勧められた頃に、これらの問題があまりに深くて、お互いに緊張感が生まれました。
ですから、私には気にしないことを勧められ、つまり、それは関心を持たないように勧められ、しかし、当時は、国家公務員として「日本の郵便局・・・郵政省」でしたので基本的に無理がありました。自分でもかなり勉強したあとで、どうしても大学が決められなくて、郵政職員の試験を受けたので、当時の学歴では、不満であったことも関係します。そして、生まれた時から、イエス様が見つめていたお話の通りに、子供の時に今の天皇陛下とご一緒に「上智大学」の神学公開講座にも出ました。
私は、特に正義感にこだわっていた子供でしたので、全ての人への平等とは、とか、幸せについて、正しい社会生活について考えていましたので、非常にかしこまった時だけ目立つ子供だったと思います。そのために、私は、つい最近まで、この街のみなさんの前では緊張していました。その緊張は、悪い気持ちからではなくても、あまりの緊張で、まるで敵同志のようになっていました。しかし、その原因は、上記の「育つ環境での気づかない貴族意識」が私を苦しめたからです。
途中からは、力もお互いに認めていたかもしれませんが、互の緊張感が、やはりお互いを遠くさせておりました。子供の時に「大内」さんという方が、東京オリンピック重量挙げの銀メダルで少しだけわきました。(私は3歳)との話題などもかえって、今は、お互いを傷つけます。
今では、母は、同じ市内ですが、隣町の施設(介護老人保健施設)におります。なんとか頑張って家族のもとに返したいのですが、私の収入は、今は、まだありませんから、時間がかかっても医師になることは重要です。もし、介護しかできなくなれば、かなりがっかりです。
同様に、昔の「福島県の郡山カトリック教会」といえば、かなり良いと噂されていたことと思いますが、それは、当時の司祭が、日本の状況に入り込むためにありえないほど甘い教育をしたからです。
後の私の苦労によって、すべてが明らかになりました。ですから、今までの私が、心にカトリックの教えに沿って人類愛や誠実な人生の一つとして、ミサに出ても、人間関係がうまくゆきません。
むしろ非常に問題です。途中に、いろいろありえない苦労をしましたので、今は、私は、無表情で、私は、一切の信徒は、信用していません。
しかし、幸いにも、最近日本人の主任司祭になり、私の本来の姿勢について理解していただけるようになってきました。またロザリオのグループを復活できました。それほど熱心には開きませんけれど。
さて最後なのですが、日本政府が考えるような、日本神道をそのままカトリック神学に合わせることは不可能です。
しかし、日本人にとっては、大昔、仏教を受け入れるときにそうしたように、そのまま当てはめようと考えることが多いです。そのために重要な神学が、全く異質の問題にすり替えられてしまうのです。
そして、公共教育にそれが生かされるようになって長いですから、私たちが上と思うことについて、決してそうならないで、いまの大人たちが育ったために、私から見て若い大人たちには、誠実に誠意を持って話せば分かるとはじめ思いましたが、とんでもないことでした。かえって悪魔のように向き直ってきました。その苦労は、今の母の病気につながりました。気落ちして倒れたのです。私もひどい状態でした。オバマ大統領のおかげでここまで思い出せました。心から感謝申し上げます。
そのように私たち日本人にとって、それぞれが身を守る手段は、意味も、目的も全く異なります。しかし、政党を同じくするなど、利益によって団結しています。だから、信じられないほどに今は不安定です。しかし、私の子供の頃のように、無理やりカトリックの教えと日本の事情を当てはめていた頃よりもずーと正しい状態になりつつあると思います。
しかし、若者を正しく規律できなくなっていますから、神にとっても私を強くする必要があると思います。
それらのたくさんの事を考えて疲れ果ててしまいわたしが、その疲れで、私もかなり疑心暗鬼になります。そうすることでコミュニティも不安定になります。
しかし、そもそも私が疲れる前に、無理に私に近づく人々に問題があってのことでもあります。
私が、緊張感を持って正しく適切な問題解決を考えているために維持できるコミュニティについて、みんながそれぞれに自己推薦して、それぞれの能力ばかりを主張しますから、私も大きく距離を置いて甘くないことを見せつけようとします。
しかし、それが評価されて、あるいは、私にさらに逆らって、さらに大きなコミュニティになっても、問題は一からですから、私が疲れ果ててしまいます。
ですから、休暇は重要なのですが、休暇を取れる立場になると、やっと大人になった人々の「羨望」にあって苦しみます。
それで長らく、どうしたらよいかわからないでいました。今はようやく、自分の体力に合わせてゆっくりと進んでいます。
それでも心配なのは、若い女性にとっては、結構大変だということです。私に完全に一緒になれば安全なのは私も、認識していますが、それまでは危険だらけです。
事実、そうして多くの女性には、結婚をお願いする前に誰かと結婚して、逆に私を苦しめています。それでそれに打ち勝つまで長い時間がかかります。
今回も様々な問題が明らかになりましたが、なんとか頑張りたいと思います。ただ疲れれば疑心暗鬼になるばかりですから注意したいです。
では長くなりましたがこれで今回の疑問に対する回答とさせていただきます。
日本の皆様、オバマ大統領とそのご家族、支えておられるホワイトハウスの皆様、USAの私がそう思う賢い市民の皆様(自信をなくさないでください)、カナダ、南アメリカ圏の皆様、すべてのアジアの皆様オーストラリア圏の皆様、アフリカ圏の皆様、イギリス、イタリアはじめユーロ圏の皆様、ロシア圏の皆様、中国と中東、イスラム圏の皆様それぞれに神様の恵みと祝福と平安とがありますように心からお祈りいたします。
Pietro Francisco Xavier Hiroyuki Sawaguti.
その為、私の子供の頃は少しは、田舎らしさもありましたが、今では、その心は、ほとんど変わってしまいました。
そのためもあってお互いに心が通じにくくなりました。特に、私の公式のカトリックの洗礼としている洗礼は、カナダ人司祭でしたし、後日にポーランド人司祭にいろいろ相談したこともあって、司祭になるよう勧められた頃に、これらの問題があまりに深くて、お互いに緊張感が生まれました。
ですから、私には気にしないことを勧められ、つまり、それは関心を持たないように勧められ、しかし、当時は、国家公務員として「日本の郵便局・・・郵政省」でしたので基本的に無理がありました。自分でもかなり勉強したあとで、どうしても大学が決められなくて、郵政職員の試験を受けたので、当時の学歴では、不満であったことも関係します。そして、生まれた時から、イエス様が見つめていたお話の通りに、子供の時に今の天皇陛下とご一緒に「上智大学」の神学公開講座にも出ました。
私は、特に正義感にこだわっていた子供でしたので、全ての人への平等とは、とか、幸せについて、正しい社会生活について考えていましたので、非常にかしこまった時だけ目立つ子供だったと思います。そのために、私は、つい最近まで、この街のみなさんの前では緊張していました。その緊張は、悪い気持ちからではなくても、あまりの緊張で、まるで敵同志のようになっていました。しかし、その原因は、上記の「育つ環境での気づかない貴族意識」が私を苦しめたからです。
途中からは、力もお互いに認めていたかもしれませんが、互の緊張感が、やはりお互いを遠くさせておりました。子供の時に「大内」さんという方が、東京オリンピック重量挙げの銀メダルで少しだけわきました。(私は3歳)との話題などもかえって、今は、お互いを傷つけます。
今では、母は、同じ市内ですが、隣町の施設(介護老人保健施設)におります。なんとか頑張って家族のもとに返したいのですが、私の収入は、今は、まだありませんから、時間がかかっても医師になることは重要です。もし、介護しかできなくなれば、かなりがっかりです。
同様に、昔の「福島県の郡山カトリック教会」といえば、かなり良いと噂されていたことと思いますが、それは、当時の司祭が、日本の状況に入り込むためにありえないほど甘い教育をしたからです。
後の私の苦労によって、すべてが明らかになりました。ですから、今までの私が、心にカトリックの教えに沿って人類愛や誠実な人生の一つとして、ミサに出ても、人間関係がうまくゆきません。
むしろ非常に問題です。途中に、いろいろありえない苦労をしましたので、今は、私は、無表情で、私は、一切の信徒は、信用していません。
しかし、幸いにも、最近日本人の主任司祭になり、私の本来の姿勢について理解していただけるようになってきました。またロザリオのグループを復活できました。それほど熱心には開きませんけれど。
さて最後なのですが、日本政府が考えるような、日本神道をそのままカトリック神学に合わせることは不可能です。
しかし、日本人にとっては、大昔、仏教を受け入れるときにそうしたように、そのまま当てはめようと考えることが多いです。そのために重要な神学が、全く異質の問題にすり替えられてしまうのです。
そして、公共教育にそれが生かされるようになって長いですから、私たちが上と思うことについて、決してそうならないで、いまの大人たちが育ったために、私から見て若い大人たちには、誠実に誠意を持って話せば分かるとはじめ思いましたが、とんでもないことでした。かえって悪魔のように向き直ってきました。その苦労は、今の母の病気につながりました。気落ちして倒れたのです。私もひどい状態でした。オバマ大統領のおかげでここまで思い出せました。心から感謝申し上げます。
そのように私たち日本人にとって、それぞれが身を守る手段は、意味も、目的も全く異なります。しかし、政党を同じくするなど、利益によって団結しています。だから、信じられないほどに今は不安定です。しかし、私の子供の頃のように、無理やりカトリックの教えと日本の事情を当てはめていた頃よりもずーと正しい状態になりつつあると思います。
しかし、若者を正しく規律できなくなっていますから、神にとっても私を強くする必要があると思います。
それらのたくさんの事を考えて疲れ果ててしまいわたしが、その疲れで、私もかなり疑心暗鬼になります。そうすることでコミュニティも不安定になります。
しかし、そもそも私が疲れる前に、無理に私に近づく人々に問題があってのことでもあります。
私が、緊張感を持って正しく適切な問題解決を考えているために維持できるコミュニティについて、みんながそれぞれに自己推薦して、それぞれの能力ばかりを主張しますから、私も大きく距離を置いて甘くないことを見せつけようとします。
しかし、それが評価されて、あるいは、私にさらに逆らって、さらに大きなコミュニティになっても、問題は一からですから、私が疲れ果ててしまいます。
ですから、休暇は重要なのですが、休暇を取れる立場になると、やっと大人になった人々の「羨望」にあって苦しみます。
それで長らく、どうしたらよいかわからないでいました。今はようやく、自分の体力に合わせてゆっくりと進んでいます。
それでも心配なのは、若い女性にとっては、結構大変だということです。私に完全に一緒になれば安全なのは私も、認識していますが、それまでは危険だらけです。
事実、そうして多くの女性には、結婚をお願いする前に誰かと結婚して、逆に私を苦しめています。それでそれに打ち勝つまで長い時間がかかります。
今回も様々な問題が明らかになりましたが、なんとか頑張りたいと思います。ただ疲れれば疑心暗鬼になるばかりですから注意したいです。
では長くなりましたがこれで今回の疑問に対する回答とさせていただきます。
日本の皆様、オバマ大統領とそのご家族、支えておられるホワイトハウスの皆様、USAの私がそう思う賢い市民の皆様(自信をなくさないでください)、カナダ、南アメリカ圏の皆様、すべてのアジアの皆様オーストラリア圏の皆様、アフリカ圏の皆様、イギリス、イタリアはじめユーロ圏の皆様、ロシア圏の皆様、中国と中東、イスラム圏の皆様それぞれに神様の恵みと祝福と平安とがありますように心からお祈りいたします。
Pietro Francisco Xavier Hiroyuki Sawaguti.