数字の力
2009-07-08 | 不妊
周期5日目の受診してきました
最近はだいたい午前中の診察が締め切られるギリギリの時間に行くようにしています。
朝一番は採卵の人がいてとっても混んでいるし・・・。
トータルで考えると遅く行った方がかかる時間は短い気がして。
ただね、この時間は妊娠してる人も結構行く時間帯なんだよね。
もちろん、お腹が大きくなってる人なんていません。
不妊治療専門のクリニックですから。
確か9週で卒業だったと思うけどね。
今日、久しぶりに内診室に行ったんだけど、ここの内診室は3人が並んで入れるようになっていて。
入口は別だし、境の壁もあるんだけど先生側は一続きだから声も聞こえてしまうのです。
すごく小さい声だけどシーンとしてるから聞こえちゃうんだよね。
自分が妊娠する前には隣から「これが赤ちゃんです」なんて先生の声が聞こえると「いいなぁ~。私も早く言われたい」って思ってました。
自分が妊娠しているときは隣の人に聞こえたらイヤかなぁとか心配したり、隣からも「赤ちゃん」と聞こえると、ああおんなじだ~って思ったりしてました。
でも今日、久々に内診室で待っているとき「赤ちゃんって聞こえてきそう・・・」と思ってたら本当に「これが赤ちゃんね」って聞こえてきちゃったんです
まだ話が続きそうで、思わず両耳をふさいでしまいました。
こんなこと初めてです。
なんだかすごく動揺してしまいそうで。
一度にいろんなことを思い出しそうになって。
ここのところ流産のことは極力思い出さないようにしていたけど、やっぱりあの場所で「これが赤ちゃんですよ」と言われたときのものすごく嬉しく感動した気持ちや、「小さいね・・・」としか言われなくてその後「稽留流産です」と宣告されたときの自分とか、いっぺんに思い出してしまいました。
ブルーになったその後、先生のお話では「FSHがものすごく高くなっちゃってますね(32くらいだった)卵も2つ残ってるし、βhcgもまだ1.7だね」とさらに冷静に追い打ちをかけられ・・・。
「今周期はこのままで、次の生理が来たら3日目に来てください」で終了となった。
なんかものすごくショックだった
FSHが高いって卵胞刺激ホルモンが高いってことで、確か年齢を重ねていくとだんだん高くなってしまうんだよね。
そして妊娠が難しくなっていくんだよね。
私が通うクリニックでは説明会でも言っていたけどこのFSHの値をとても重要視している。
初めの検査で「ななさんはまぁ黄色信号くらいだからまだなんとかなるでしょう」みたいに先生から言われた記憶がある。
今日の値では完全に赤信号だ。
なんかやっとリセットして治療をまた頑張るぞって思って気合い入れてたけど、一気に妊娠できる気がしなくなっちゃった
あれが最後のチャンスだったのかなって。
神様が与えてくれた最初で最後のチャンスだったのかもしれないって・・・帰り道に思った。
先生も「う~ん・・・」ってちょっとどうしようかなって感じで「これだけ高いとピルを飲んで調整って言ってもね・・・効かない可能性もあるんだよね」なんて困ってたみたい。
はぁ~あ
クリニックに通っていなければ、こんなFSHなんて一般人が絶対に知らないであろう言葉も、自分の数値も知る必要もなくいたんだろうに・・・。
子どもを何人も産んだ人でさえ知らない知識だけを私たちはどんどん知るはめになる。
そして数値を示されて説明されれば、それを受け入れるよりほかにないもんね。
たまにはね「お医者さんに子どもはあきらめて・・・って言われてたんですけど」なんて人が妊娠したって聞くこともある。
でもそれって医療ミスくらいの確率でしか起こらないよね、きっと。
今日、ずっと待ち時間を過ごすために小説を読んでいたんだけど、その中に書いてあった言葉から連想しました。
ある文具メーカーがまだ未使用の自社商品をどんどん処分する。それは売れ残りで、持っていれば持っているだけで資産と見なされ課税されるから、だったら処分してしまった方が損失として計上できて、まだまし・・・という理由からだと書いてあった。
でも処分の現場を見に行った社員は思うわけです。世界にはノートや鉛筆がなくて勉強も満足にできない子どもたちもいるのにって。日本だってそういう時代はあった。運動会の1等賞の賞品が鉛筆でそれをもらうために頑張った。今の子は鉛筆も消しゴムも使い切る子なんてほとんどいない。ちょっと使ったら飽きて捨てて、また次のを買う・・・という話。
脱線しちゃったけど、私はそこから連想していったわけです。
欲しいところには、欲しいものは届かないんだなって。
今の日本のように食べ物が余っていて、十分食べられるものを捨てる国があり・・・でもその国では私のようにお金をはたいて治療をしてでも子どもを欲しいと願うがかなわないでいたりする。
また今、飢餓に苦しむ国では家族の食べ物がなく困っているのにさらにどんどん子どもが生まれ、また食べさせてあげられずに亡くなっていってしまう現状。
どっちもつらい現状だ。
話がどんどん大きくなっちゃってるけど、今日の帰り道は考えました。
子どものいない未来を考えていくことも大事かな、と。
ほんと・・・妊娠できる気がしない。
でもね、ダンナちゃんには言わないんだ。
戦意喪失してする気もなくなっちゃうかもしれないからね。
今日のことは私だけの心にしまっておきます。
ダンナちゃんにはもう少し希望持ってて欲しいし
ダラダラした愚痴記事でした
せっかく読んでくれたのにごめんね~
最近はだいたい午前中の診察が締め切られるギリギリの時間に行くようにしています。
朝一番は採卵の人がいてとっても混んでいるし・・・。
トータルで考えると遅く行った方がかかる時間は短い気がして。
ただね、この時間は妊娠してる人も結構行く時間帯なんだよね。
もちろん、お腹が大きくなってる人なんていません。
不妊治療専門のクリニックですから。
確か9週で卒業だったと思うけどね。
今日、久しぶりに内診室に行ったんだけど、ここの内診室は3人が並んで入れるようになっていて。
入口は別だし、境の壁もあるんだけど先生側は一続きだから声も聞こえてしまうのです。
すごく小さい声だけどシーンとしてるから聞こえちゃうんだよね。
自分が妊娠する前には隣から「これが赤ちゃんです」なんて先生の声が聞こえると「いいなぁ~。私も早く言われたい」って思ってました。
自分が妊娠しているときは隣の人に聞こえたらイヤかなぁとか心配したり、隣からも「赤ちゃん」と聞こえると、ああおんなじだ~って思ったりしてました。
でも今日、久々に内診室で待っているとき「赤ちゃんって聞こえてきそう・・・」と思ってたら本当に「これが赤ちゃんね」って聞こえてきちゃったんです
まだ話が続きそうで、思わず両耳をふさいでしまいました。
こんなこと初めてです。
なんだかすごく動揺してしまいそうで。
一度にいろんなことを思い出しそうになって。
ここのところ流産のことは極力思い出さないようにしていたけど、やっぱりあの場所で「これが赤ちゃんですよ」と言われたときのものすごく嬉しく感動した気持ちや、「小さいね・・・」としか言われなくてその後「稽留流産です」と宣告されたときの自分とか、いっぺんに思い出してしまいました。
ブルーになったその後、先生のお話では「FSHがものすごく高くなっちゃってますね(32くらいだった)卵も2つ残ってるし、βhcgもまだ1.7だね」とさらに冷静に追い打ちをかけられ・・・。
「今周期はこのままで、次の生理が来たら3日目に来てください」で終了となった。
なんかものすごくショックだった
FSHが高いって卵胞刺激ホルモンが高いってことで、確か年齢を重ねていくとだんだん高くなってしまうんだよね。
そして妊娠が難しくなっていくんだよね。
私が通うクリニックでは説明会でも言っていたけどこのFSHの値をとても重要視している。
初めの検査で「ななさんはまぁ黄色信号くらいだからまだなんとかなるでしょう」みたいに先生から言われた記憶がある。
今日の値では完全に赤信号だ。
なんかやっとリセットして治療をまた頑張るぞって思って気合い入れてたけど、一気に妊娠できる気がしなくなっちゃった
あれが最後のチャンスだったのかなって。
神様が与えてくれた最初で最後のチャンスだったのかもしれないって・・・帰り道に思った。
先生も「う~ん・・・」ってちょっとどうしようかなって感じで「これだけ高いとピルを飲んで調整って言ってもね・・・効かない可能性もあるんだよね」なんて困ってたみたい。
はぁ~あ
クリニックに通っていなければ、こんなFSHなんて一般人が絶対に知らないであろう言葉も、自分の数値も知る必要もなくいたんだろうに・・・。
子どもを何人も産んだ人でさえ知らない知識だけを私たちはどんどん知るはめになる。
そして数値を示されて説明されれば、それを受け入れるよりほかにないもんね。
たまにはね「お医者さんに子どもはあきらめて・・・って言われてたんですけど」なんて人が妊娠したって聞くこともある。
でもそれって医療ミスくらいの確率でしか起こらないよね、きっと。
今日、ずっと待ち時間を過ごすために小説を読んでいたんだけど、その中に書いてあった言葉から連想しました。
ある文具メーカーがまだ未使用の自社商品をどんどん処分する。それは売れ残りで、持っていれば持っているだけで資産と見なされ課税されるから、だったら処分してしまった方が損失として計上できて、まだまし・・・という理由からだと書いてあった。
でも処分の現場を見に行った社員は思うわけです。世界にはノートや鉛筆がなくて勉強も満足にできない子どもたちもいるのにって。日本だってそういう時代はあった。運動会の1等賞の賞品が鉛筆でそれをもらうために頑張った。今の子は鉛筆も消しゴムも使い切る子なんてほとんどいない。ちょっと使ったら飽きて捨てて、また次のを買う・・・という話。
脱線しちゃったけど、私はそこから連想していったわけです。
欲しいところには、欲しいものは届かないんだなって。
今の日本のように食べ物が余っていて、十分食べられるものを捨てる国があり・・・でもその国では私のようにお金をはたいて治療をしてでも子どもを欲しいと願うがかなわないでいたりする。
また今、飢餓に苦しむ国では家族の食べ物がなく困っているのにさらにどんどん子どもが生まれ、また食べさせてあげられずに亡くなっていってしまう現状。
どっちもつらい現状だ。
話がどんどん大きくなっちゃってるけど、今日の帰り道は考えました。
子どものいない未来を考えていくことも大事かな、と。
ほんと・・・妊娠できる気がしない。
でもね、ダンナちゃんには言わないんだ。
戦意喪失してする気もなくなっちゃうかもしれないからね。
今日のことは私だけの心にしまっておきます。
ダンナちゃんにはもう少し希望持ってて欲しいし
ダラダラした愚痴記事でした
せっかく読んでくれたのにごめんね~