手術から2日後の日曜日、私の母が我が家にやってきた。
たくさんの荷物を持って・・・。
私に食べさせたい野菜や、自分の家で作ってきたお惣菜やらいろんなものを持って。
流産ということがわかってから毎日、ダンナちゃんと母は電話でやりとりしていた。
私は誰とも話をしたくないということで、まったく電話には出なかった。
母は1日も早く来たかったようだがそれも手術が終わるまでは誰にも会いたくないと断っていた。
月曜日からはダンナちゃんには会社に行ってもらわないと・・・という母の配慮もあった。
ダンナちゃんがいなくなったら1人で家で過ごさせるのは、と心配だったらしい。
食事の支度や掃除くらいならできるからと、3日間泊まる準備をしてやってきた。
実家の犬の世話も急遽、近所の方にお願いし。
正直なところ私は複雑だった。
気遣ってくれる気持ちはもちろん嬉しい。
でも、母だってすごく楽しみにしていたのにこんなことになり、出産後の娘の世話ならともかく、流産後の娘の世話に来るなんて。
切ないよ・・・。
それにダンナちゃんには私も多少の気は遣えるものの、自分の母となるとどうしたってわがままが出るし、言わなくてもいいことを言い合う羽目になるのでは・・・という危惧もあった。
そしてその予感は見事に的中した。
母が来て3日目、火曜日の夕方だった。明日帰るという日だ。
その日の朝、実は私の中では事件は始まっていた。
南の島の義母がお見舞いに送ってきてくれたユリの花を、部屋のあちこちに母が飾ってくれていた時のこと。
玄関の下駄箱の上に花瓶を置きながら母が言った。
「この電報が入っていたミッキーマウスのぬいぐるみ、ここに置くのは気に入らないのよねぇ(以前からうちに来ると何度も言っている)子どもでもいればまだしも・・・」
地雷を踏んだ。
今、子どもでもいれば・・・って言ったよね。この人。
何しにここに来てるの?娘が不妊治療の挙句、流産したから来てるんじゃないの?それで今「子どもでもいれば・・・」って言ったよね。もう信じられない。だからやっぱり経験のない人にはわからないんだ。私がここまでどんな気持ちで過ごしてきたのか。この家を買ったとき、子どもだってすぐにできると思ったよ。だから2人には広すぎる間取りだよ。車だって7人乗りを買ったよ。でも全然できなかった。家具だってなんだって、いつ子どもができたっていいようにって全部考えて揃えてた。そういうことがよくなかったのかなって思った時もあった。私がこんな思いでいるのに・・・。
という思いが頭の中を駆け巡り、涙が溢れた。
でもリビングのソファに座ったまま前を見て「お母さんのうちじゃないんだから関係ないでしょ!」という一言しか発せなかった。
玄関にいる母はまったく私の変化に気づいていない。
そして母は、買い物などに出かけお昼頃帰ってきた。
母がいない間にどうにか自分の気持ちをおさえようとした。
母だって悪気があって言っているわけじゃない。だから自分が言った言葉にも気付かないんだし。でも、あまりにも無神経すぎる・・・。
結局すっきりしないまま母が帰ってきてお昼を不機嫌なまま食べた。
その後もなんとか自分の気持ちを納めよう、忘れようとし、録画してあった映画を母と一緒に観たりした。
もう、明日帰るんだし、ここで私が黙っていれば・・・と思っていたのだが・・・
やはりダメだった。
急に悲しくなり、私が泣きだした。
「お母さんは無神経だよ。私の気持ちなんかなんにもわかってない。経験してないからわからなくて当たり前かもしれないけど、でもいつも私を傷つけるようなことを言う。J子さん(母の友人でずっと不妊治療をしていたが結局授からなかった人)だってきっとお母さんの何気ない一言に今までたくさん傷ついてきたと思うよ。私は彼女にだって申し訳ないと思うよ。」
と一気に言った。
母はしばらく黙っていたが
「お母さんは経験したことがないからって言われればそれまでだけど、でもななの気持ちはわかろうとしてるつもりよ。前もななにこういうことは言わないでって言われたからそれからは気をつけてたけど、でも言ってもらわなきゃわからないの。
いつもって全否定されちゃうととってもつらいんだけど」
「全否定してるつもりはないよ。でも・・・さっきの今朝のことだって気づいてないと思うけど・・・・・・って私に言ったじゃない!」
「・・・・・ごめん・・・そう言ったね、お母さん。本当に馬鹿だね。そういう意味じゃなかったけど・・・こんなの子どもっぽいっていう意味で言ったつもりだったけど・・・悪かったね。ダメな母親だね。昔から失言が多くてね、友達にも思ったことをなんにも考えずに言ってしまって、あとからしまったって思うけどもう遅くて・・・。お母さんはね、本当に欠陥だらけの人間なの。こんなんじゃ来なきゃよかったね。ごめんね」
もう、2人とも涙、涙で・・・。
私は母に自分のつらい気持ちをわかってほしかったけど、これは母に甘えたい、自分のことをもっとわかってほしいという気持ちだったと思う。
母を責めたいなんて気持ちはなかったし、来なけりゃよかったのにって思った瞬間もあったけど、1人でいるよりもちろんずっとよかったし、ご飯もたくさんつくってもらってありがたかったし。
子どもっていくつになっても母親の前では子どもで・・・自分を1番わかってる人であって欲しいと母親に望み、愛されたいと思ってる。
こんな年でそんなことってどうかと思うけど、私はまだ子どもから抜け出せないらしい。
でも情けない。60歳過ぎた母にこんな辛い思いをさせてしまうなんて。
早くおばあちゃんにしてあげたいのに、そんな当たり前のことができないでいる娘なのに母の口から「ダメな母親でごめんね」なんて言わせてしまうなんて。
私の方が娘失格なのにね。
なんでこんなことになっちゃうんだろ。
本当に辛いし情けない。切なくて悲しい悔しい。
普通は親が「もう孫の世話は勘弁して」っていうくらい、どんどん孫も増えて家族が増えて娘の幸せを見届けて親が先に旅立っていくんだろうに・・・。
不妊という10人に1人だかの確率の低い方に入り、さらに8人に1人だとかいう流産を経験し・・・どうしてこう少ない方に選ばれてしまうのか。
母とこんな話をしているうちに腹痛がひどくなった。
手術後5日間毎食後に薬を3種類飲んでいたのだが、その内の1つが子宮収縮剤で、飲むとお腹が痛かった。でもその時は食前だったのでまだ服用していないにも関わらず下腹部がかなり痛くなった。出血もどっと増えた。
きっと私が親不幸なことを言ったからだと思った。
そして翌水曜日の朝、祝日でダンナちゃんもお休みなのでみんなでゆっくり起きた。
でも私は昨夜からの腹痛が続いており具合が悪かったのでダンナちゃんと母が起きていることは知っていたがベッドにしばらく1人で横になっていた。
後でダンナちゃんに聞いたのだが、この時間に母は昨日のことをダンナちゃんに話したらしい。泣きながら・・・。
ダンナちゃんもそんな母を見るのは初めてだったから当惑しながら聴いていたようだが、母が
「私はこういう欠陥だらけの人間で、だめな母親なのよ」と言った時に
「お母さんはたとえそういう欠点があったとしても、それを上回るだけの素晴らしいものをお持ちですよ」と言ってくれたらしい。
あとで母と電話で話をした時にそのことを聞いた。母はそれがとても嬉しかったようだ。
ダンナちゃんのフォローに感謝する。
たくさんの荷物を持って・・・。
私に食べさせたい野菜や、自分の家で作ってきたお惣菜やらいろんなものを持って。
流産ということがわかってから毎日、ダンナちゃんと母は電話でやりとりしていた。
私は誰とも話をしたくないということで、まったく電話には出なかった。
母は1日も早く来たかったようだがそれも手術が終わるまでは誰にも会いたくないと断っていた。
月曜日からはダンナちゃんには会社に行ってもらわないと・・・という母の配慮もあった。
ダンナちゃんがいなくなったら1人で家で過ごさせるのは、と心配だったらしい。
食事の支度や掃除くらいならできるからと、3日間泊まる準備をしてやってきた。
実家の犬の世話も急遽、近所の方にお願いし。
正直なところ私は複雑だった。
気遣ってくれる気持ちはもちろん嬉しい。
でも、母だってすごく楽しみにしていたのにこんなことになり、出産後の娘の世話ならともかく、流産後の娘の世話に来るなんて。
切ないよ・・・。
それにダンナちゃんには私も多少の気は遣えるものの、自分の母となるとどうしたってわがままが出るし、言わなくてもいいことを言い合う羽目になるのでは・・・という危惧もあった。
そしてその予感は見事に的中した。
母が来て3日目、火曜日の夕方だった。明日帰るという日だ。
その日の朝、実は私の中では事件は始まっていた。
南の島の義母がお見舞いに送ってきてくれたユリの花を、部屋のあちこちに母が飾ってくれていた時のこと。
玄関の下駄箱の上に花瓶を置きながら母が言った。
「この電報が入っていたミッキーマウスのぬいぐるみ、ここに置くのは気に入らないのよねぇ(以前からうちに来ると何度も言っている)子どもでもいればまだしも・・・」
地雷を踏んだ。
今、子どもでもいれば・・・って言ったよね。この人。
何しにここに来てるの?娘が不妊治療の挙句、流産したから来てるんじゃないの?それで今「子どもでもいれば・・・」って言ったよね。もう信じられない。だからやっぱり経験のない人にはわからないんだ。私がここまでどんな気持ちで過ごしてきたのか。この家を買ったとき、子どもだってすぐにできると思ったよ。だから2人には広すぎる間取りだよ。車だって7人乗りを買ったよ。でも全然できなかった。家具だってなんだって、いつ子どもができたっていいようにって全部考えて揃えてた。そういうことがよくなかったのかなって思った時もあった。私がこんな思いでいるのに・・・。
という思いが頭の中を駆け巡り、涙が溢れた。
でもリビングのソファに座ったまま前を見て「お母さんのうちじゃないんだから関係ないでしょ!」という一言しか発せなかった。
玄関にいる母はまったく私の変化に気づいていない。
そして母は、買い物などに出かけお昼頃帰ってきた。
母がいない間にどうにか自分の気持ちをおさえようとした。
母だって悪気があって言っているわけじゃない。だから自分が言った言葉にも気付かないんだし。でも、あまりにも無神経すぎる・・・。
結局すっきりしないまま母が帰ってきてお昼を不機嫌なまま食べた。
その後もなんとか自分の気持ちを納めよう、忘れようとし、録画してあった映画を母と一緒に観たりした。
もう、明日帰るんだし、ここで私が黙っていれば・・・と思っていたのだが・・・
やはりダメだった。
急に悲しくなり、私が泣きだした。
「お母さんは無神経だよ。私の気持ちなんかなんにもわかってない。経験してないからわからなくて当たり前かもしれないけど、でもいつも私を傷つけるようなことを言う。J子さん(母の友人でずっと不妊治療をしていたが結局授からなかった人)だってきっとお母さんの何気ない一言に今までたくさん傷ついてきたと思うよ。私は彼女にだって申し訳ないと思うよ。」
と一気に言った。
母はしばらく黙っていたが
「お母さんは経験したことがないからって言われればそれまでだけど、でもななの気持ちはわかろうとしてるつもりよ。前もななにこういうことは言わないでって言われたからそれからは気をつけてたけど、でも言ってもらわなきゃわからないの。
いつもって全否定されちゃうととってもつらいんだけど」
「全否定してるつもりはないよ。でも・・・さっきの今朝のことだって気づいてないと思うけど・・・・・・って私に言ったじゃない!」
「・・・・・ごめん・・・そう言ったね、お母さん。本当に馬鹿だね。そういう意味じゃなかったけど・・・こんなの子どもっぽいっていう意味で言ったつもりだったけど・・・悪かったね。ダメな母親だね。昔から失言が多くてね、友達にも思ったことをなんにも考えずに言ってしまって、あとからしまったって思うけどもう遅くて・・・。お母さんはね、本当に欠陥だらけの人間なの。こんなんじゃ来なきゃよかったね。ごめんね」
もう、2人とも涙、涙で・・・。
私は母に自分のつらい気持ちをわかってほしかったけど、これは母に甘えたい、自分のことをもっとわかってほしいという気持ちだったと思う。
母を責めたいなんて気持ちはなかったし、来なけりゃよかったのにって思った瞬間もあったけど、1人でいるよりもちろんずっとよかったし、ご飯もたくさんつくってもらってありがたかったし。
子どもっていくつになっても母親の前では子どもで・・・自分を1番わかってる人であって欲しいと母親に望み、愛されたいと思ってる。
こんな年でそんなことってどうかと思うけど、私はまだ子どもから抜け出せないらしい。
でも情けない。60歳過ぎた母にこんな辛い思いをさせてしまうなんて。
早くおばあちゃんにしてあげたいのに、そんな当たり前のことができないでいる娘なのに母の口から「ダメな母親でごめんね」なんて言わせてしまうなんて。
私の方が娘失格なのにね。
なんでこんなことになっちゃうんだろ。
本当に辛いし情けない。切なくて悲しい悔しい。
普通は親が「もう孫の世話は勘弁して」っていうくらい、どんどん孫も増えて家族が増えて娘の幸せを見届けて親が先に旅立っていくんだろうに・・・。
不妊という10人に1人だかの確率の低い方に入り、さらに8人に1人だとかいう流産を経験し・・・どうしてこう少ない方に選ばれてしまうのか。
母とこんな話をしているうちに腹痛がひどくなった。
手術後5日間毎食後に薬を3種類飲んでいたのだが、その内の1つが子宮収縮剤で、飲むとお腹が痛かった。でもその時は食前だったのでまだ服用していないにも関わらず下腹部がかなり痛くなった。出血もどっと増えた。
きっと私が親不幸なことを言ったからだと思った。
そして翌水曜日の朝、祝日でダンナちゃんもお休みなのでみんなでゆっくり起きた。
でも私は昨夜からの腹痛が続いており具合が悪かったのでダンナちゃんと母が起きていることは知っていたがベッドにしばらく1人で横になっていた。
後でダンナちゃんに聞いたのだが、この時間に母は昨日のことをダンナちゃんに話したらしい。泣きながら・・・。
ダンナちゃんもそんな母を見るのは初めてだったから当惑しながら聴いていたようだが、母が
「私はこういう欠陥だらけの人間で、だめな母親なのよ」と言った時に
「お母さんはたとえそういう欠点があったとしても、それを上回るだけの素晴らしいものをお持ちですよ」と言ってくれたらしい。
あとで母と電話で話をした時にそのことを聞いた。母はそれがとても嬉しかったようだ。
ダンナちゃんのフォローに感謝する。