手術から1週間経った金曜日。
術後の初めての診察日。
五月晴れのまぶしい日ざしの中、久々の外出でした。
1人で行くことを母は心配していましたが、さすがにこんなことでダンナちゃんに会社を休んでもらうわけにはいかない。
午前中だけの診察の日でしたが、できるだけラッシュを避けてぎりぎりに遅く行こうと思い、11時到着をめざして家を出ました。
ふだんは快速に乗り換えるところもそのまま各駅で座ってゆっくり行きました。
クリニックは相変わらずとても混んでいて・・・かなり待った後の内診。
先生は「以前のようにきれいになってますね。まだ少し血液が残っていますが問題ないでしょう」と。
確かに、何もなかった。空っぽだった。
1週間前まではここに赤ちゃんがいたのに・・・と思った。
そう、稽留流産ですと言われたあの日、最後のエコー写真を先生に「要りますか?」と聞かれ黙ってうなずきもらってきていた。
初めて赤ちゃんらしい形になっていた。
頭も体も手らしきものもわかる姿だった。
もう胎児だった。
内診の後、またしばらく待った後診察室に呼ばれた。
「子宮の方は問題ないですね。ええっと、病理検査の結果ですが・・・あれっ?まだ出てないのかな?手術は1週間前でしたよね・・・。普通だったら出てるんだけど・・・あぁ祝日が入っちゃったからかな。次に来られる時には出てると思いますから」
次回は3週間後というから、そりゃ出てるでしょうね。きっと。
実はちょっとドキドキしていたのだった。
流産経験のある他の方のブログを拝見した時にこの検査で男の子か女の子かわかるようだったから・・・。
知っておきたいような気持ちとわかってしまったら余計に“赤ちゃん”と思ってしまうので知りたくない気持ちと・・・複雑だったのだ。
でも先延ばしになった。
次に来た時は血液検査でβhcgの値を確認するらしい。
これが下がりきらないと治療は再開できないとのこと。
2~3ヶ月はかかるよう。
出血も腹痛もまだ続いている。
まだあれから1週間しか経っていないのだから、心身ともに回復していなくて当然なのだろうか。
βhcgが下がりきらないということはまだ妊娠が続いている状態のようになっているということなのだろうか。
つわりの症状はなくなったけど、突然暑くなったり、寝つきが悪かったりトイレが近かったり・・・更年期症状とよばれるものに近いのではと思ったりする。
ホルモンバランスがくずれているからかもしれない。
手術は2~30分で済むもので医師の側から言えば「簡単な手術」と言えるのであろうが患者の側からすれば「簡単」とは言えない。
心身ともに受けたダメージは相当大きく、回復にもかなりの時間を要す。
全部終わったのが13時過ぎ。
この後、子育て支援の職場の同僚の方と会ってランチをする約束になっていた。
同僚の方と言っても私の母の年齢に近い方。
私が“トトロ”とあだ名をつけたくらい、どっしりとしてなんでも許容してくれるような雰囲気を持つ方で、私が職場で初めて不妊治療を打ち明け、ずっと相談にものってもらっていて、妊娠がわかったときも本当に涙を浮かべて心から喜んでくれた。
そして流産の報告をメールでしたときも、数時間後に職場のトイレからそっと電話をくれて、無言でいる私にただただ「残念だったね、本当に残念・・・」とだけ泣きながら言ってくれた人だった。
彼女だけはあの日から毎日欠かさずメールをくれていた。
たった一行だけ、毎朝届く「おはよう
」とか「今日もいい天気だね
」といったメール。
「トトロはいつもそばにいます
」なんていうのもあった。
私のことを毎日気にしてくれている・・・そう思えるだけで温かい気持ちになった。
私も初めは一行だけの返信。
何日か経つうちにその日の気持ちや状況などを返信するようになった。
そんな彼女だったから、感謝の気持ちも伝えたかったし、いろんなことを話したいと思った。
14時すぎに最寄りの駅で彼女が待っていた。
一緒に駅前のファミレスでランチをしながらたくさん話をした。
聴いてもらった。
子育て支援の仕事に私は復帰できるのだろうか。
辛くなったらどうしたらいいのか。
辞めて別の仕事をした方が自分のためか・・・。
でも治療を続けるには今の職場のように融通が利くところでないと難しい。
治療費を稼がなくてはならないのでまったく無職というわけにもいかない。
しばらく・・・と言って今のところ休ませてもらってはいるが、あんまり長引かせるわけにはいかない。せめて連休明けには結論を出さなきゃいけないよね。
ずっと気になっていたそんな話をする私にじっくりと耳を傾け、うんうんと聴いてくれた。
「ななちゃんは周りのことを気にかけすぎだよ。こんなときくらい自分のことだけ考えたっていいんだよ。私はななちゃんと一緒にまた仕事がしたいし、あの職場にはななちゃんは必要な人だと思うよ。でも、辛いよね。それはよくわかる。あそこはお母さんと赤ちゃんを一緒に見なきゃいけない・・・。
もっと、ゆっくりゆっくり時間をかけて考えな。まずは身体の回復を1番に考えて。
5月いっぱい休んだっていいじゃない。大丈夫だよ。
これからのことは一緒に考えよう」
本当になんて素敵な人なんだろう、なんていい人なんだろうと思った。
これだから職場でも利用者さんからもとても人気がある。
悩んでる人はこういう人を求めてるんだよね。
自分の肩の荷は自分で担ぐしかないのだけれど、一緒に持つよって言ってくれたり、ちょっと荷物をおろして休む場所と時間を与えてくれたり・・・これがものすごくありがたいことなんだって実感した。
私が学んでいるカウンセリングではこういうことをさんざん教わってきているのに、頭ではわかっていてもなかなか実践できていない。
彼女に身ををもって教わっている。
あっという間に数時間が経過し、まだ腹痛もあり心配していたが嬉しいと思えるひとときを過ごすことができた。
仕事についてはもう少し考えてみようと思う。
術後の初めての診察日。
五月晴れのまぶしい日ざしの中、久々の外出でした。
1人で行くことを母は心配していましたが、さすがにこんなことでダンナちゃんに会社を休んでもらうわけにはいかない。
午前中だけの診察の日でしたが、できるだけラッシュを避けてぎりぎりに遅く行こうと思い、11時到着をめざして家を出ました。
ふだんは快速に乗り換えるところもそのまま各駅で座ってゆっくり行きました。
クリニックは相変わらずとても混んでいて・・・かなり待った後の内診。
先生は「以前のようにきれいになってますね。まだ少し血液が残っていますが問題ないでしょう」と。
確かに、何もなかった。空っぽだった。
1週間前まではここに赤ちゃんがいたのに・・・と思った。
そう、稽留流産ですと言われたあの日、最後のエコー写真を先生に「要りますか?」と聞かれ黙ってうなずきもらってきていた。
初めて赤ちゃんらしい形になっていた。
頭も体も手らしきものもわかる姿だった。
もう胎児だった。
内診の後、またしばらく待った後診察室に呼ばれた。
「子宮の方は問題ないですね。ええっと、病理検査の結果ですが・・・あれっ?まだ出てないのかな?手術は1週間前でしたよね・・・。普通だったら出てるんだけど・・・あぁ祝日が入っちゃったからかな。次に来られる時には出てると思いますから」
次回は3週間後というから、そりゃ出てるでしょうね。きっと。
実はちょっとドキドキしていたのだった。
流産経験のある他の方のブログを拝見した時にこの検査で男の子か女の子かわかるようだったから・・・。
知っておきたいような気持ちとわかってしまったら余計に“赤ちゃん”と思ってしまうので知りたくない気持ちと・・・複雑だったのだ。
でも先延ばしになった。
次に来た時は血液検査でβhcgの値を確認するらしい。
これが下がりきらないと治療は再開できないとのこと。
2~3ヶ月はかかるよう。
出血も腹痛もまだ続いている。
まだあれから1週間しか経っていないのだから、心身ともに回復していなくて当然なのだろうか。
βhcgが下がりきらないということはまだ妊娠が続いている状態のようになっているということなのだろうか。
つわりの症状はなくなったけど、突然暑くなったり、寝つきが悪かったりトイレが近かったり・・・更年期症状とよばれるものに近いのではと思ったりする。
ホルモンバランスがくずれているからかもしれない。
手術は2~30分で済むもので医師の側から言えば「簡単な手術」と言えるのであろうが患者の側からすれば「簡単」とは言えない。
心身ともに受けたダメージは相当大きく、回復にもかなりの時間を要す。
全部終わったのが13時過ぎ。
この後、子育て支援の職場の同僚の方と会ってランチをする約束になっていた。
同僚の方と言っても私の母の年齢に近い方。
私が“トトロ”とあだ名をつけたくらい、どっしりとしてなんでも許容してくれるような雰囲気を持つ方で、私が職場で初めて不妊治療を打ち明け、ずっと相談にものってもらっていて、妊娠がわかったときも本当に涙を浮かべて心から喜んでくれた。
そして流産の報告をメールでしたときも、数時間後に職場のトイレからそっと電話をくれて、無言でいる私にただただ「残念だったね、本当に残念・・・」とだけ泣きながら言ってくれた人だった。
彼女だけはあの日から毎日欠かさずメールをくれていた。
たった一行だけ、毎朝届く「おはよう
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0140.gif)
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「トトロはいつもそばにいます
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私のことを毎日気にしてくれている・・・そう思えるだけで温かい気持ちになった。
私も初めは一行だけの返信。
何日か経つうちにその日の気持ちや状況などを返信するようになった。
そんな彼女だったから、感謝の気持ちも伝えたかったし、いろんなことを話したいと思った。
14時すぎに最寄りの駅で彼女が待っていた。
一緒に駅前のファミレスでランチをしながらたくさん話をした。
聴いてもらった。
子育て支援の仕事に私は復帰できるのだろうか。
辛くなったらどうしたらいいのか。
辞めて別の仕事をした方が自分のためか・・・。
でも治療を続けるには今の職場のように融通が利くところでないと難しい。
治療費を稼がなくてはならないのでまったく無職というわけにもいかない。
しばらく・・・と言って今のところ休ませてもらってはいるが、あんまり長引かせるわけにはいかない。せめて連休明けには結論を出さなきゃいけないよね。
ずっと気になっていたそんな話をする私にじっくりと耳を傾け、うんうんと聴いてくれた。
「ななちゃんは周りのことを気にかけすぎだよ。こんなときくらい自分のことだけ考えたっていいんだよ。私はななちゃんと一緒にまた仕事がしたいし、あの職場にはななちゃんは必要な人だと思うよ。でも、辛いよね。それはよくわかる。あそこはお母さんと赤ちゃんを一緒に見なきゃいけない・・・。
もっと、ゆっくりゆっくり時間をかけて考えな。まずは身体の回復を1番に考えて。
5月いっぱい休んだっていいじゃない。大丈夫だよ。
これからのことは一緒に考えよう」
本当になんて素敵な人なんだろう、なんていい人なんだろうと思った。
これだから職場でも利用者さんからもとても人気がある。
悩んでる人はこういう人を求めてるんだよね。
自分の肩の荷は自分で担ぐしかないのだけれど、一緒に持つよって言ってくれたり、ちょっと荷物をおろして休む場所と時間を与えてくれたり・・・これがものすごくありがたいことなんだって実感した。
私が学んでいるカウンセリングではこういうことをさんざん教わってきているのに、頭ではわかっていてもなかなか実践できていない。
彼女に身ををもって教わっている。
あっという間に数時間が経過し、まだ腹痛もあり心配していたが嬉しいと思えるひとときを過ごすことができた。
仕事についてはもう少し考えてみようと思う。